えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ただ空高く舞え

自分の仕事がどこに繋がるのか、考えていた。

1ルピーで人々を空が飛べるように。飛行機は富裕層のためだけのものではなく、庶民にだって与えられるべきだ。そんな思いを持った主人公ネドゥーマーラン。
そんな彼の過ごし方、熱意や言葉、そこから動かされていくものを見ながら、ずっと、考えていた。

 

 

ただ空高く舞えは去年末に観たTheriの予告で見た時から気になっていた。絶対好きな映画だ、と思ったし、案の定、観るととても好きで、観てからずっとあの熱量を思い出してなんで好きだったかを考えている。

 

 

 

インドで貧富の差やカーストで差別されることなく、どんな人も空を飛べるように。それは、広いインドでは街の発展を意味する。
そしてそれを願い、夢見る彼自身が過去、家族の別れにお金を理由に飛行機に乗れず、立ち会えなかった後悔があるからこそ、そこにはただ理想論ではなく、血の滲むような思いがあった。

 

 

 

この映画の好きなところはもちろん、メインの「飛行機の夢」に向けたマーランの熱量である。
だけど、その核に触れる前、冒頭のボンミとマーランの出会いのシーンから私は「ああこの映画が好きだ」と思った。
ふたりはそれぞれに夢があり、その夢を叶えるため、が第一である。世間だとか「普通」だとかに合わせるつもりもなく、彼らにあるのは「彼らの真っ当」だ。
そして互いのそんなところに一目見て気付き、互いに互いが惹かれる。
ただ、ボンミは簡単に「はい結婚しましょう」とはならない。まず第一に、各々の夢の階段を登ること。それが出来ない相手に用はない、くらいのあっさりさで彼女は彼のもとから去っていく。

 

 

そう、この映画で好きなのは「自分への誇り」があることなんだ。
性別やカースト、経済力ではなく、それぞれがそれぞれに自分の信じるもの、叶えたいもの、大切にしたいものを尊んでいる。もちろん、それを踏み躙るひとも出てくるが、それを尊ぶ関係も随所にあって、私はそれが好きだ。

 

 


彼の後悔、それから描かれてはなくても彼女が乗り越えてきたもの。そしてだからこそ、それぞれ惹かれもするけどただそれだけで結婚ハッピーエンド、とはならない。そんな二人の関係性も好きだ。愛しているからこそ、相手にも求める。対等であろうとする、大切にする。そんな関係の描き方に、冒頭からグッときた。

 


暴力ではなく、訴えるということ。
何かを知るということ。

 

 


印象的だったのは、マーランの賢さである。
経済や飛行学、マーケティングなど、色んな分野に彼は詳しかったように思う。自分の夢を叶えるために必要なことは一見関係なくても吸収し、考え、行動する。
ボンミの店の立地についても彼のアドバイスが効くシーンがある。
なんというか、私はそれにかなり感動していた。そうだよな、と思う。強い意志や行動力。もちろん、夢を叶えるために必要なことだ。
だけど、色んなことを「知る」ということは中でもかなり大切ではないか。
それはある意味では「教師の息子」である彼の生い立ちを想像するし、また、そうしながら、つい、自分を顧みてしまった。
私は、何かを知ろうとし続けられるだろうか。何か伝えるために語りかけ、そのための知識や対話を大切にできるだろうか。

 

 

私は、この映画に出る主人公たちが好きだった。自分の人生や生活を賭け叶えたい夢があること、またそれを仕事にする彼らが、大好きだった。

 

 

仕事が好きだ。
好きだし、誇りもある。だけど、叶えられない色んなこと、叶えたいけどそれが理想論でしかないのだということに打ちのめされることもある。
だからか、尚更思う。諦めた方が簡単なのだ。
儲ける、ということ、いやそれ以前、お金を稼ぐということの前に「理想」が邪魔をすることは往々にしてある。
理想は叶わないから理想なのだとどこかの悪役のようなことを口にしそうになる。その方が楽だし、傷付かない。利益だって、あるような気がする。
だけど、そんなことを思うたびに重なった違和感がスクリーン向こう、マーランが足掻き続ける姿と共鳴して聞いてくる。「それでいいのか?」「お前は、そんなことがしたくて生きているのか?」

 


彼の夢が叶うように願った。彼の理想が届きますようにと祈った。
それは、誰かのため、彼のためじゃなくて、私のためだった。それが叶うなら、私はまだ、諦めずに進める。そんな道があるような気がして、ひたすら、映画を見ている間に体に力がこもっていた。

 


この映画を、私はこれからも毎日の中で思い出すだろう。仕事をしている時、マーランなら、ボンミならどうしてた?と問いかけることもあると思う。
そうできることが、私は嬉しい。本当に。とてもとても、嬉しい。