えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

LEO

LEOを観れた。日を追うごとにヴィジャイさんに夢中になるにつれ「今度公開されるという噂のあの映画は日本では果たして観れるのか…」と思い悩んでいたのが、まさかこんな形で叶えられるなんて…!
インドの封切りと同時上映というお祭り的な、奇跡的なスタートに思わず名古屋まで足を伸ばした。
(西日本でもお待ちしております…!)(Twitterでも冒頭の挨拶でも西日本での公開に向けて動かれていることがぼんやりと伝わってきて有難さしかない…!)



そんなわけで、初めての自主上映に足を運んだ。まず、この経験が最高過ぎた。
日本で過ごすインド出身の方達がたくさん映画館に足を運ばれている中に混じり、映画館へ。
英語字幕しかないこと、またその字幕も早いらしいしそもそも英語力がないのにいけるのか?という疑問もありつつ、その始まる前の空気感で幸せな気持ちになった。
この場が久しぶりの再会になった人もいるのかもしれない。いや、そもそも知り合いじゃなくても、同郷の人と会えるだけで嬉しくなる、という感覚は地元を離れて過ごしている私もなんとなく共感できる気がする。しかも彼らの場合、国まで越えて、なんだから尚更だろう。
主催の方への歓声に私も一緒になって拍手を送り、映画が始まった瞬間。
何本かヴィジャイさんの映画を拝見する中ですっかりお馴染みになった「タラパティ・ヴィジャイ」の文字と共に寸分違わないタイミングで「タラパティ!」と歓声が上がった。






もう、それが本当に嬉しくて。
なんか、今回、自主上映に足を運んだことでより、彼が「タラパティ」と慕われる理由や空気感を肌で感じられた気がする。







私的世界一有名なヴィジャイさんファンであるピーターくんのことを思い出した(「響け!情熱のムリダンガム」)
彼や、彼らの周りのタラパティファンがヴィジャイさんの映画の封切りに興奮し、祭りのようにはしゃぐ、あの光景の中に私はいた。
もう、なんだかそれがたまらなく嬉しかった。



何より、映画好きとして、インド式の映画の楽しみ方は新鮮でかつ、とても幸せな光景だった。
もちろん、合う合わないはあると思うし、その時のメンバー、座席によっても印象は変わるだろう。どうでもいいけど、私は映画館でひとりで観る映画も結構好きだ。タイミングや上映回の都合で貸切状態で静かに映画を観るのも好きだし、たくさんの観客がいるけどしんと静まりかえってるのだって、居心地がいい。
そしてそれと同じくらい、この踊り歓声や野次が飛ぶスタイルの映画体験にもグッときたのだ。
きっとトレーラーで何度も観て習得したんだろうダンスに興奮したし、わからないながらに起こる笑いや歓声にワクワクした。それはたぶん、そうした諸々に改めて映画って「体験」であり、「コミュニケーション」だ、と思ったからかもしれない。
そして、それを初めて経験するのが大好きなヴィジャイさんの作品であることがたまらなく嬉しかった。






そして、LEOの話である。
以下、若干のネタバレを含みます。また、英語ができない中で観ているため細かいニュアンスなどは拾いきれていない可能性もあり、誤ってる可能性も大いに含みます。そういう意味でも日本語字幕がやっぱり観たい…。





元々バラバラのように感じていたピースがどんどん集まっていくように感じたのは、私が英語ができないからなのか、それともそもそもの脚本の構成なのか。わからないけど、いずれにせよ、ピースが集まり、またひっくり返って違う絵が見えてくるようなストーリーに、最初から最後までわくわくしっぱなしだった。




ヴィジャイさんのアクションに冒頭から痺れ、ストーリーに息を飲みながらグッと身体に力を入れながら映画を観ていた。



観終わった直後は「なんか、今まで観たどの作品とも受ける印象が違ったな」と思っていた。意外に(パールティバン周りの人たちが無事だったこともあり)あっさり観れたなあ、とも思った。

特にここ最近はメルサルやサルカール(2回目)を観たばかりだったので、強いメッセージ性や社会風刺色が強くなく、そういう意味でも自身に問いかける的な心地にならずに観れたせいかも、なんて思っていたのだ。



でも妙に印象に残った「picture yourself」の言葉、そして最後の長台詞と、考察や感想を読み漁り拾いきれなかったものが見えてくると、いややっぱり「「ヴィジャイさん節」」じゃないかと頭を抱えたくなった。
もちろんこれは、私のヴィジャイさんに抱いている憧れや願望ありきの話かもしれない。



ところで、話は少し脱線するけど、ヴィジャイさんの長台詞の魅力を今回改めて再確認した。なんなら最後の台詞は正直意味を拾いきれずに観ていた。だけど、その言葉に込められた感情や思い、何より聴いていて心地いいリズムに訳もわからず感動していた。
今回の作品の中での演じ分け含めて、ヴィジャイさんの役者としてのスキルの高さ、深みを改めて(言葉が直接的に分からないからこそ)実感できたこともものすごく嬉しかった。




話を私が感じた「ヴィジャイ節」に戻す。
私が彼の作品を好きだと感じるのは、その根底にずっと自身を誇ること、自分の人生を生きることを強く語り掛けてくれるからである。
そこから誰かの人生を大切にすることも含めて伝えてくれる彼の映画に何度も私は勇気と元気をもらってきた。


そしてLEOも、もちろん今まで私が観た社会風刺やヒーロー映画のヴィジャイ作品ではなかったけど、まさしくそんな話だったように思うのだ。




自分がどう生きたいか、何を守り、何を誇りたいのか。そのためなら時に手段すら選ばずに、自分の人生を守り抜く、彼が好きだ。
冒頭のハイエナがLEO、あるいはパールティバンその人と重なる。ボロボロに傷付いて、威嚇して。そう思うと労うように撫でた、彼の手の優しさに思い出しただけで泣きそうになる。
そうして、ハイエナがそうであるように、傷付いたその先、「ここを守る」と決めたからには、守り抜き、その場所で生きる自分こそを「自分の人生」と呼ぶんだろう。




そう生きる彼は、紛れもなく大好きなヴィジャイさんだった。




じわじわと効いてくるLEOのこと、これからもずっと好きでいたいし、もっと知りたい。だからまだまだこれからもLEOがどんどん広がりますように。