えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

#つくのラジオごっこ(22.11.28更新)

#つくのラジオごっこ


メインはTwitter(@tsuku_snt)のspaceにて、友達と一緒にその時話したいことについてあーだこーだ言ってます。

ラジオ「ごっこ」という名前の通り、
ここ数年ラジオに何度も面白い!となってきた私が小さい頃やってたごっこ遊びのように好きな番組への憧れを詰め込みまくって話をしています。

どんな話をする上でも「好き」を核において話がしたい。その中で、"ラジオ"でしか見えないものがあると思ってやっています。



またAnchorのアプリを使ったひとりで喋る #つくのラジオごっこ もしています。

AnchorというアプリはSpotifyと繋がっていて短いですが、Spotify上の音楽を流せます。
なので、ここでは自分の「好き」とそこから考えたことを話しつつ、最後に延長線上にある「好き」な音楽を流します。


また #つくのラジオごっこ というハッシュタグを最近つけています。
メインがTwitterのspaceになるため、コメント機能がないのですが以前ツイキャスでお話をした時、コメントをもらいつつお話できたのがとても楽しかった記憶があります。
そのため、実際拾えるか拾えないか、そもそもリアクションがくるのか分かりませんが、ハッシュタグを作りました。良ければご利用いただけると嬉しいです。


ともあれ、どんな媒体・テーマ・やり方でも変わらず、「好き」の話をしていこうと思います。
最近すごく思うのは、私は自分の「好き」をアウトプットしながら自分の外に出たその「好き」を確認することが大好きなんだと思います。


よければ、お付き合いいただけたら嬉しいです。


ひとりでの #つくのラジオごっこ

エピソード1 "ラジオ"の話

エピソード2 エンタメの話

エピソード3 ブルーピリオドと表現すること、好きなものの話

番外編1 withセンパイ

エピソード4 THE TAKESの話


エピソード5 HIPHOPのライブを観て考えた話

#つくのラジオごっこ 日本語ラップ

日本語ラップって面白いな?!って話をソラちゃんに聴いてもらった回


#つくのラジオごっこ 雑談回

友達のしーくんとごった煮雑談をした回


#つくのラジオごっこ 畳屋のあけび

配信で観た畳屋のあけびが面白かった話をソラちゃんとした回


#つくのラジオごっこ アンサンブル・プレイ

2022年9月に発売されたCreepy Nutsさんのアンサンブル・プレイについての妄想を語る回


#つくのラジオごっこ 1周年だよやった〜!

なんとこの遊びを始めて1年が経ちました


エピソード6 伝わりますか?

今更ながらに伝わるって難しいな〜と思った話をひとりでしている


#つくのラジオごっこ 最近楽しかったこと

最近どう?何が楽しかった?の話をソラちゃんとする回



#つくのラジオごっこ(録音) 「好きに値する」ってなんだろう

色々あったので「好きに値する」ってことについて考え込むのにソラちゃんに付き合ってもらう回

ココロ踊ル

自分の好きなものを信じてるひとが好きだ。

だから、ココロ踊ルのコンセプトや企画趣旨、思いに触れた時に本当にわくわくした。
ENGの佐藤修幸さんが全面協力して松本稽古さんの「これが創りたい」を最高のキャスト、スタッフの力が集結して生まれたお芝居。
それだけで、もう「ココロ踊ル」。


舞台は架空の国。
そこではダンスと政治が密接に繋がり、男性以外がダンスを踊ることは許されない。「女性らしく」を厳しく監視され、騒いだりお酒を飲んだりすると「女性らしくない」と言われるし、ダンスなんてもう、もってのほかだ。
そんな中で、こっそり機織り工場で働く女性たちは夜な夜な踊る。機織り機の音に紛れ、踊る彼女たちの、そして男性やその国が大きく揺れ、変わる。
ある日、大国である隣国の青年が密入国してしたことによって…。



そんな「女性のパワー」を前面に押し出した作品だったわけだけど、なんだかずっと愛おしかった。
ダンスが上手い人がともかく出てきて、定期的にダンスシーンがやってくるから数分ごとにわくわくしたからかもしれない。



「身体が勝手に揺れる」
私はギリギリ、ダンスが必須科目になった時代を体験した人間なんですが、ダンスがともかく苦手だった。リズム感もなく、かつ、運動能力がともかくなかったものだからダンスは決して得意ではなかったし、踊ってて「なんか変」と笑われた経験も多いからダンスが好きかと言われると難しい。
それでも見るのが好きで、音楽を聴いてるとわくわくして勝手に身体が動くし、嬉しいことがあるとひっそりこっそり小躍りする。
なんだか、そんなことを思い出した。
抑圧されてる女性たちが機織り工場でひっそり踊るシーン、音楽や機織り機の音ともに笑顔でくるくると踊り、腕を上げ、足を上げるシーンで不思議と涙が出た。楽しかったし、にこにこした。

嬉しいな、楽しいということを身体いっぱい、表情いっぱいに表現する人たちがそこにいることが、たまらなく嬉しかった。



そこにあるのは単に「抑圧されている怒り」だけではなかった。反骨精神的にだけではなくて、ただただ、「楽しい」から「好き」だから踊る。それ以上でも以下でもなく、そこにある人たちの気持ちがただただ、気持ちよかった。



ところで、私は松本稽古さんのYouTubeで投稿されているダンス動画が好きなわけですが
中でも、YOASOBIさんの群青を踊る動画が大好きだ。





投稿された1年前から、繰り返し繰り返しみている動画で、見るたびに不意打ちで泣きそうになる。
好きな事を続ける人に捧ぐ、とタイトルに書かれたこの動画が、私はとても好きだ。
好きなものややりたいこと、それを信じる人たちが好きで、その気持ちがたっぷり詰まってるように感じるから、本当に好きだ。



例えば、そこにはいろんな感情があるだろう。プラスな感情だけではなく、マイナスの感情……怒りや悲しさ、悔しさ、そんなものだってあるだろう。だけどそれを全部飲み込んで、煮詰めて、それでも、と好きなことを手放さない人たちが本当に好きだ。
機織り工場で踊る彼女たちを観ながら、そんなことを思い出していた。
あの動画が好きで、色んなものを楽しい!に変換して踊ってくれる、そんな企画を作ってくれるこの人が、そこで踊るこの人たちが好きだと心の底から思った。そこからこの舞台は地続きだと思った。


物語は、やがて自国の領地などを賭けて、ダンスバトルをすることになる。そこで、最初こそ「男性だけ」にこだわって踊ろうとして、うまくいかず、男女混合でのダンスを作り上げ、ダンスバトルへと臨んでいく。



言葉にすると「まあそういう展開になるよね」なんだけど、当然、そこにいる人たちの感情、なにより「ひっそりと踊ること」を受け入れてきた人たちが「自分の声」を取り戻していく彼女たちが愛おしくて可愛くて最高で、そこから変わっていくダンスが本当に好きだった。



そして、それを「ダンスバトル」関係なく、それぞれがそれぞれのダンスに楽しく、ワクワクしていること含めて、最高だった。

 


楽しいことはすごい、といつも思っている。正確に言えば、思っていたい、と願ってる。だから後半、ずっと、楽しいことはすごい、と思い続けるこのお芝居が大好きだった。
それが、何より松本稽古さんはじめ、作り手の皆さんが「面白いことはすごい」「楽しいことはすごい」「ダンスはすごい」「お芝居はすごい」をまっすぐ信じて、形にしてくれていることが、本当に本当に嬉しかった。


配信ではあったけど、劇場の揺れる空気に触れた気がした。
一歩踏み出せば、好きなものをやりたいことを信じて、愛して行動すれば、何かは変わる。それは世界、なんて大きいものの話ではないかもしれない、自分、という話なのかもしれない。だけど、そんな小さく近いそこが明るい方に進めることこそ、すごいことなんじゃないか。



ココロ踊ルを観て、確かに踊った気持ちがそんなことを繰り返し、思ってる。

あの夜はこの夜につながっている

日々色んなことがあるなかで、一日で一番何をしていることが多いだろうと考えるとたぶん、ここ二年はラジオを聴いてる時間が一番長い。
かといって、じゃあ色々聴いてるかと言われるとそうでもないし、なんなら同じ回を何度も何度も聴いてたりする。でもやっぱりそういう録音の時間を含めても一日の中でラジオを聴いてる時間が一番長いと思う。




そんな中、オールナイトニッポンのサブスク、JAMが始まり、その割合はいよいよ不動のものになった。新たな番組開拓がしたくても物理的な時間が足りなくなる悲鳴を上げてすらいる。でも、週に何度も「今日はこの日」とわくわくソワソワできるのは最高に健康に良いな。


さて、そんなJAMで毎週、Creepy Nutsオールナイトニッポン0を聴いている。
2021年の2月からラジオは聴き始めたので、今更新されている回はどれも初めて聞くエピソードばかりだ。中には書き起こしで読んだことがあった回もあって楽しい。
JAMにはスリーピング機能(タイマーをかければ終わるのでわざわざ起きて止める必要がない)もついてるので寝る前のお供として最高である。


どうでも良いけど、一度星野源オールナイトニッポンを聴きながら眠ったらCreepy Nutsオールナイトニッポン0の時間になり、ふたりの爆笑に起こされたことがあった。
それはそれで「なんやねんもぉー」と笑いながら二度寝できて幸せだったな。



ともかく、そうして聴いている中でも好きな回が増えていく。オールナイトニッポンJAM、多分、再生回数を確認できるようになったら極端に再生しまくってる回が分かるくらい明確に「この回」という大切な回も増えてきた。



そんな毎日の中である。
いつものように火曜の朝、タイムフリーでCreepy Nutsオールナイトニッポンを聴いていた時のことだった。
オープニングトークはワールドカップについて。
ふたりのワールドカップの記憶からワールドカップのテーマとどんどん話は広がり、話題は方言へと移っていく。しかし、そんな会話も耳半分に(ごめん)私は結構感動していた。





ワールドカップの話をしている!




Creepy Nutsオールナイトニッポン0が放送を開始したのは2018年。そう、前回のワールドカップが開催された年である。当然、オープニングトークでそれに触れられた回は何度かある。
その時、DJ松永さんは「ワールドカップの話題やめよ…」と言っていた。今週の回でも触れられたが、そんなにワールドカップそのものに興味がないという二人は2018年もほぼワールドカップを見ず、そんなに結果にも興味がなかったようである。



第12回 2018年6月19日放送 『あえて見ていないナナメな自分』 Creepy Nutsオールナイトニッポン0(ZERO)




そんな中、「興味がないから見てない」をスかしていると取られたくないといつものあの松永さん節で喋る回を何回聞き返しただろう。
だからこそ、今回のオープニングトークの1話題として、普通に話しているふたりの会話を聴きながら感動した。




すげえ、四年後の世界にいるのだ、私は。




そうか、人間は変わるんだな。そんな当たり前のことを思う。
変わったことも変わらないこともないまぜに人は生きてそこにいる。なんだかそんなことがやけに嬉しくて、噛み締めて聴いた火曜日の星野源オールナイトニッポン



お知らせのところで、話題は年末になり、「来年は良い年になると良いな」と源さんが呟いた。
私は2020の星野源オールナイトニッポンの最後の放送で話された言葉が、大好きである。
「いい年になればいいな」そう思うけど、きっとそんなことはないと話した源さんの言葉が大好きで大好きで、それは2021年のお守りだった。
その源さんが今年、「良い年になると良いな」と呟いたそのことにぐっときた。



こういう年越しになると、来年は良い年になるだろうなって、なってほしいなって思うじゃない?
でもね、たぶん大変だと思う、来年も。



その言葉は、うちで踊ろう(大晦日)について書いたブログの中でも触れるくらい、琴線に触れた言葉だった。





先の見えない不安感を「あるよね」とただ示してくれたような気がしたし、その諦めにも似た感覚が、あの時の私には必要だった。
そしてだからこそ、今年の来年はいい年になるといいな、がたまらなく嬉しかったのだ。



あの時の諦めに近いような感覚も、そこから繋がってのそれでも、来年いい年だったら良いな、もどっちも嬉しい。うれしいな。




その時々がまるでタイムカプセルみたいに詰め込まれて残るのがラジオなのかもしれない。
ラジオごっこをやってる時も思う。ある程度「これを話そう」と決めていても全然思いもよらない、なんか感情のぎゅうっとしたものが飛び出すこともある。



変わったこと、変わらないこと、その間にあったことを断片に、電波越しに見ていたからこそ、なんだか、より一層、ああいいな、と思った。
それは今回の変化が「良いもの」だからという話ではもちろんない。




人が生きて、変わっていくこと。
その時々で考えや思いが変わること。
そんなことをこうして当たり前みたいに触れることができるラジオが改めて愛おしくなった。
そして長くラジオをやってくれているからこそ、こうして変化に触れられることに嬉しくなった。



これからも色んな話を聴くんだろう。そこで初めて聴くこと、何度も聴いた話、そんなあれこれがごちゃ混ぜになって夜を過ごすのだ。それが時々また「あ、あの時の」とつながる。そんな日も、私はほんの少し楽しみである。

問い掛けに「はい」と返す

舞台に立った。



確認するまでもなく、私はただの会社員で一般人で、別にブログやラジオごっこをやろうが、ただの普通の人である。
それでもたまたま色んな巡り合わせで、お話を作り、練り上げて舞台に立った。


舞台に立つ日、私はかなり元々ベタにキメたいたちなので、Creepy Nutsの板の上の魔物を聴きながら朝、ぼんやりしていた。




「つまらねぇお前の人生はつまらねぇ」
ずっとコイツに言われ続けて来た今の今まで
「つまらねぇお前の人生はつまらねぇ」
だから俺はテメェにある武器ただ磨いて来ただけ


ああ、ほんとにそうだよ。
自分が板の上に立つこと、何かを表現すること、それに値しない人間だと誰よりも自分で自分に思いながら、ここまでやって来たんだよ。





私は、元々、自分の表現というものに自信がなかったんだと思う。
お金を稼ぐ生業でもない、誰かに求められているわけでもない、かと言って「それをしないとやっていけない」ほどの切実さもない。



その上、人並みより少し多めに表現というものに肩入れして生きているものだから余計に「そんなもの」と自分の表現にどこか卑屈になっていた。




ただ今回、色んな巡り合わせで「一緒にものづくりをしませんか」と誘ってもらって、本当に短いお話を書いた。
作る時に、この2年でずっと考えていたことを物語にしようと思った。言葉にしようと思った。それは、お芝居というのかラジオというのか、なんかそのあいのこみたいなお話だった。



源さんの「話したいことがある人はラジオやってみれば良いと思う」で背中をおされ、Creepy Nutsをきっかけに「俺の話」をしたいと思い立ち、KZさんのライブで自分が好きなことをやろうと思った私は、ともかく、この2年を全部詰め込みたかった。
嬉しかったことも悔しかったこと、いまだに飲み込めてないことも全部全部、板の上に置いていこうと思った。




どうしたって、いま、表現が私はしたかった。




生きていかないといけないなら、せめて表現がしたいと思った。目を開けて歩いてるだけでわりとしんどくなる瞬間が多いので、自分で好きだと思えるもの、好きだとか面白いだとかそういうもので身の回りを固めて、そういう時間を自分の時間の中で割合増やして、なんとかやっていきたかった。




誰かに請われて、求められてやってるわけじゃない。どこまでも自己満足で自分のためで、だからこそ、徹底的に楽しもうと思った。




学生の頃なら。
自分を知らない、自分に対しての好意とかで「良く見てくれる」甘やかしてくれる相手以外から評価されないといけないと思っていたし、それができないから自分の表現に価値を見出せなかったんだと思う。
だけど、あの頃からしばらくの時が経って。むしろそうじゃなくて自分の手の届く範囲、自分にとっての大切なひとが、笑ってくれる「ああ楽しかった」って言える瞬間を増やすことがしたくなった。




そして、そういう意味で、今回芝居を一緒に作ったひとが「舞台上にいる時、本当に楽しかった」と笑ってくれたことがめちゃくちゃに嬉しかった。観客にとってどうだったか、で雁字搦めになってたらきっと思えなかった。それがどれだけ奇跡的か、今の自分なら知ってる。独りよがりに消耗させたこともあるから、嬉しそうに笑ってくれた相手の顔をちゃんと覚えていようと思った。




終わった後あそこはああしたら良かった、ここは伝わりにくかった、と反省点は多い。大満足!と叫ぶには、まだ足りない。でも、そんなことが、たまらなく嬉しい。
また何かを作りたい、と思えてることがすごくすごく、嬉しい。




終わった後、ある人が話しかけてくれた。星野源オールナイトニッポンに大いに影響されて書いたのでほんの少し混ぜた、おまじないみたいなオマージュにニヤッとしたと言ってくれた見知らぬ年下の方が、「もしまた何かあったら一緒にやりたい」と言ってくれた。
それが実現するかは分からないけど、自分が作ったものを見てくれた人が「ああ楽しそうだな」って思ってくれたことを繰り返し繰り返し、思い出してる。
好きな人たちが作ってくれる「楽しい」や「面白い」でなんとか毎日生活している私でも、誰かの「楽しい」や「面白い」まではいけなくても「楽しそう」は作れただろうか。




自惚れ過ぎてもダメだろうし、「こうしたかった」もたくさんあるけど、それ全部含めて、幸せ噛み締めて、やりたいことをこれからもやっていこうと思う。
自分がやりたいなら、表現はどこでだってどんな形だってできるかもしれないんだから。




まあそれはそれとして、今年、仕事もがむしゃらにやって小説書いてラジオごっこしつつ好きなことも全力で楽しんで、舞台までやり切れたことはちょっとだけ「よくやったんじゃないの」と思いながら自分を褒めてやろうと思う。
そうして、次、また何か面白いことをやっていくために。




そんなことを、日常に戻りながら思ってる。


それはそれとして、こんな無茶いろんな友達や家族が助けてくれなかったら実現できなかったので何よりそれを忘れないようにしたいな

Creepy Nuts Major Debut 5th Anniversary Live 2017〜2022 in 武道館

まだ余韻の中にいる。
すごく食らうライブで、情報量も熱量もすごくて、間違いなく「このライブを観たこと」が一つ大きな意味になったというか、大事な時間になった。
そのこと含めて受け止め方を考えてて、そんな中で何度も聴いた彼らの過去のラジオを聴きながら、思わず聞こえてきた言葉をメモした。


スヌープドッグについてのHIPHOPニュースを話した後の彼らが言う。


「でもHIPHOPってそれやんな」
「確かに」
「なんか誰が何をやるかが重要なんよ」


第10回 2018年6月5日放送 『革命』 Creepy Nutsオールナイトニッポン0(ZERO)
#ANNJAM



ああ確かにな、と思った。
あの2時間のライブは、そんなライブだった気がする。他でもないCreepy Nutsの二人が、しかも2022年のふたりが生み出し、紡いだからこそ、意味がある2時間だった。



Creepy Nuts Major Debut 5th Anniversary Live 2017〜2022 in 武道館」


デビューから5年を記念したライブは、予想外で予想以上で最高で物凄かった。




この5年間で彼らが得たもの変わったもの、逆に変わらないもの。5年という時間、今この瞬間、R-指定とDJ松永という1DJ1MCのふたりの現在地。ひとりのひとの、ふたりの、今と過去の話。どれもそのままそうだ、とも思うし違う気がする。
一言で表せないその2時間の濃密な時間のことを、書き残したい。



※セトリについて大いに言及しています。













メジャーデビュー指南から始まった冒頭。軽快な掛け合いに「待ってました!」とばかりに会場が揺れる。
多少「今の彼ら」に合わせた改変はあれど、おおよそ、デビューが決まった時の友人との会話のまま、曲が進んでいく。
タイアップにCM曲、主題歌にオープニングとエンディングテーマ、その他諸々。
MCで語られていた通り、彼らが当時なんなら多少自分たちを揶揄するように「いやまさかね」と冗談混じりに口にした"デビュー後"をほとんど……どころか、それ以上に驚くような晴れ舞台での快進撃を彼らがこの5年カマしてきたことを歌い上げていく。
それを聴きながら私たちの脳裏にもこの5年間で彼らが成し遂げてきたアゲてきた場面が浮かぶ。ほんとにとんでもない人たちだな、と思うし、今日この場がその5年の行き着いた先なんだな、と思う。





最後「すごいやん、俺、未来見えてたやんけ」と言う「友人」にRさんが言うすごいのはそれを一つ一つ実現してきた「俺と松永」という一言に最高に痺れる。




2年前よりも収容人数を増やした武道館。
開演前、どんどんと埋まっていく客席を見ながら心が熱くなった。すげえ人数の人がそこにいた。
私は、コロナ禍で彼らを好きになったから尚更、そんな満杯の観客席で彼らのライブを観れることがたまらなく嬉しかった。




配信で見た「かつて天才だった俺たちへ」が初めて観た彼らのライブで、そこからCaseに生業、アンサンブル・プレイと重ねて彼らのライブに足を運んできたけど、そうなんだよな、生が一番なんだよな、そうヘルレイザーのバースを噛み締めながら思う。ちょっくら前から禁断のmedicine。でも、その「禁断」もちょっとずつ解禁されてきて、全部が元通りじゃなくてもこうして少しずつ形を変えながら、「生」を取り戻してきた。それは全部、ここにいる人たちの努力の結果だ。





畳み掛けるようなセトリは、スタミナだとかそういうの全部度外視で爆発しそうな熱量だ。
どうやってシーンの中で立ち回ってきたか。
Abemaで放送されたMy name isでRさんが口にした「最初の頃は(特にフェスなどの現場ではより顕著に)交渉からライブが始まった」という言葉が印象的だった。
HIPHOPを聴き慣れていない人がたくさんいる現場だろうがHIPHOPを聴き慣れている人が「なんか違う」と言おうが、彼らの手段で耳と目を集め、彼らの場に変えていく。



そうした結果、彼らは「助演」ではなくなったし、自分たちなんか、と下げながら話すこともなくなったという。



いつかの自己卑下的に歌ってきた、「このまま」でのしあがっていく狼煙的な曲が逆説的に「カマし」になっていく。




初期曲が好きだ。
新しい曲が出るたび、好きな曲は増えていく。毎回最高傑作だな、と思う。それと同じくらい、変わらず初期曲がずっとずっと好きだ。
ぬえにどっち、かいこ、シラフで酔狂にたりないふたり
そんな曲たちは、今、変わらずずっと聴いていて、自分に重ねてこなくそって頑張るための自分をぶらさないためのリピートソングだ。

その曲を、彼らが歌う。

だんだん自分たちの現状と合わなくなってきたから、と歌うことが減った曲たちもあり、その分余計に「ようやく聴けた!」と嬉しかった。
そして、その嬉しさの中で手を挙げながら思う。



どんどんと動く時代、評価、貼られるレッテル。彼らが、もう助演ではないことは彼らも私たちもよく知っている。
たりないふたりなんて下げる必要はないし、下げたら嫌味というか、「なんか違う」にだってなるのかもしれない。でもその中で、変わらずあの頃のままなのに「変わった」とされてきているものだって、あるのかもしれない。





重ねて重ねて重ねて、吐き出して生み出して形にして、でも形にした瞬間、ズレたものはなかったか。いや、形にした瞬間、というとそんなことはない気がする。でも他人の手に渡った瞬間、ズレたことはあってんじゃないか。
それは届く範囲が広がったからこそ、余計に。




今の彼らが得ているものを過剰な評価だなんて思わない。それこそ「バレた」んだと思うし、私について言えばそうだったからこそ出会えた。でも、触れるひとが側面が増えれば増えるほど届かなくなっていくことは、なんとなく想像できる気がする。





表面だけ捉えるという話でもあるし、そもそも人はその人が持ってる尺度でしか物事を見ることができない(なんなら、今こうして書いている私の文章もそんな「私の目を通した」あの時間、彼らの話なわけだ)
そうなると、触れる人が多ければ多いほどそれだけの数のフィルターが通され、元の形が分からなくなってしまうんじゃないか。




そんなことが頭の中でざわざわと過ぎる頃、まるでタイミングがあったようにかかったイントロに息を飲んだ。
それが、外側からだけではなく、内側からも向くこと。




傷付けるように解らせるように、自分たちはここにいるのだと吐いた言葉。
誰かの為ではなく、「俺の為」がなかった人たちの為の自分の為の音楽、言葉。その音楽に重ねる、重ねて上がって、その流れで、15才がデジタルタトゥーが置いていったもの、傷付けてしまったもの、変えてしまった変わってしまったものを歌う。
そのことに何度も、真正面に言葉がブッ刺さる感覚を味わう。
そこにはCaseやアンサンブル・プレイの関連のインタビューで語られ続けた「自分を削って吐いてきた言葉」のことを思い出す姿があった。かつ、そこに外野がどうこう言う範疇がないな、と思うくらい真っ直ぐで鬼気迫るものがあった。




言葉を綴ることがラップを音楽をやることが、何よりもの自傷行為であり、セラピーであること。
自分がやったことを否定しない、改心ではない。その中で言葉を重ねて重ねて。まだ、私はあの時見ていた光景を表す言葉を見つけられていない。というか、勝手に言葉にすることに怯んでもいる。
それくらい見たこともない光景だった。Rさんの言葉との向き合い方に何度も打ちのめされて、奮い立たせられてきたから余計に、目が離せなかった。




そんな中で、と歌われた2020年以降の楽曲たち。
「Lazy Boy」のなか止まる時間なんてないこと、その時間の中、得たものもあること。幸せもあること「Bad Orangez」で、それまでは見えなかったものが見えたもの。
生きて生活を続けてるだけでも立ち止まって振り返ってができないまま過ごしているのに、分刻み秒刻みで生きている彼らは尚のことだろう。その中で、むしろここまで色んなことを見つけてきた、景色を広げてきたのは、とんでもないことだと思う。




お馴染みになったのびしろのリズムで手を叩きながら、のびしろが最初、30歳になることへの哀愁も込めていたというのを思い出す。
ある意味、初めてそんな意味合いを濃く受け取った気がする。変わってしまった、あの頃の約束を置いてきぼりに生活に追われることをそれでも、と歌うこと。
まだのびしろがある、と言うこと。オトナ3文字で括らずにまだまだやりたいことがある、ということ。そんな奮い立たせるように、まだまだと口にする感覚を、知っている気がする。
そして、何よりもそんな感覚が30になる人以外にも、違う年代にも広がって届いて、明るく優しい応援歌に変わる。



届く範囲が広がったからこその景色。
思いがけない、想像も想定もしていなかった景色は、こんな美しい光景だったりするのだとたくさんの人が手を叩くのを観ながら思った。



そう思った後でも、土産話、未来予想図と畳み掛けてくるから本当に予想がつかないんですけども。
起承転結が綺麗についている物語でありながら
まだ続いている人たちのドキュメントだからこそ「ハッピーエンド」も「バッドエンド」もくれない。一色で片付けられない、その時々の見えてる面が変わる。




「俺は俺のために歌っている」とCaseで聴いたRさんのMCが私にはずっとお守りだった。今回、「ラップをすることは、生理現象であり、1番の快感」と言い切ったRさんの表情もたぶん、これからずっと忘れないんだろう。忘れられない。それを言い切って、そこに立つRさんとその隣で音楽を鳴らし続ける松永さんのことをずっとずっと、考えてる。




自傷行為でセラピー。それをすることが楽しくて苦しくてずっと続けていくことが生理現象であるあのふたりの表現のことを、ずっと考えてる。




毎度思うけど、セトリが絶妙過ぎる。セトリそのものが物語の筋で、軸でそれを色んな楽曲がMCが彩ることによって生まれる表現に私は何回、息を飲んだらいいんだ。
それは勝手に「私はこう思う」の解釈ではある。
だけど、少なくともその解釈自体がズレていたとしても構成で、曲で、パフォーマンスで、MCでその全てで彼らが「俺らの話」を届けようとしたことは紛れもない事実だ。私はその、全ての手段を持って全力で届けるという彼らのエンタメが、大好きなのだ。




生きることにガチというか、どう生きていくかを考えた時にこの道と選んだ人の苦しさと美しさと楽しさとが詰まっていた。
その2時間で浴びるには濃すぎる濃度の時間が、やっぱり私には「お前はどうしたい」と語り掛けてきたような気がする。




濃厚な彼らの俺の話を聴いてから、彼らのことを自分のことをずっと考えてる。それはまさしく「勝手に重ねてる」んだろうな。





彼らが彼らのために音楽をやっていることが好きだ。何故なら私は、彼らのために彼らの音楽を聴いていないからだ。私は、私が心地いいから、勝手に重ねたいから、彼らの音楽を聴いている。
そのことを、ずっと考えていた。



きっとこのふたりは、私たちが私がいなくても音楽を続ける。死ぬまでラップが、DJがうまくなりたいという言葉は嘘偽りなく、彼らの本心なんだろう。
私は、それが嬉しい。そうしている人がいること、そんな人が音楽を生み出していることが嬉しい。そして、そんな音楽を自分が好きだと思えることが嬉しい。




また、彼らの音楽を聴きにいくんだろうな。




5年目をいつかまた振り返った時、また彼らはこの時間のことをどう言うんだろう。これから先、どんなことをドキュメントしていくんだろう。
彼らが彼らのために作る音楽に、これからもきっと勝手に重ねながら、楽しんでいく。その時間がなるべく長く続くことを祈ってるし、きっと、長く続くんじゃないかって思っている。




だがそれでいい。こうやって生きてきた時間が積み重ねていく、それを全部肯定できるかどうか、今のこの瞬間次第なんだろう。
「だがそれでいい」で泣く日がくるとは思わなかった。そうか、こういうこともあるのか。
生きているから変わり続ける残酷さ以上にこんな景色もあるのか、という驚きが心地よくて、最高だった。




私がいなくても彼らは音楽を続けるんだろうなってことに、心底安心した。それとは関係なく、私はこの人たちの音楽を聴いていたいと思ってることが結構良いなと自分に思った。
そして、そういう中、同じ音楽にそれぞれ勝手に揺れながら、楽しいこと合法的にトぶこと、そういうことが、本当に心底、私は好きなのだ。

深夜バスに乗って

深夜バスが好きだ。
東京に行く時に「深夜バスに乗って」と言うとぎょっとされる。お金ないの?と心配されるし(まああるわけではない)しんどくない?と聞かれるしそっから大体深夜バスでやられた時のエピソードを聞くことになる。



んだけど、それでも私は深夜バスが好きだ。
みんなが言うようにくたくたに疲れるか、というとそうでもないし、なんなら普段の朝よりも熟睡できるような気がする。
朝、休みだろうが仕事の日だろうがなんだか身体に纏わりつく疲労感みたいなスッキリしなさが、深夜バスに乗るとない。




とはいえ、このコロナ禍、深夜バスに乗る機会はめっきり減った。おいそれと遠征できなくなり、劇場やライブハウス、会場に向かう足だけではなく、バスへの足も遠のいた。




久しぶりに深夜バスに乗った時、嬉しかった。
私は、安いからとか時間効率が良いからだけじゃなく、この乗り物が好きで乗ってるんだと思った。




一番バスに乗っていた頃、仕事から逃げるように乗り込んだバスは4列シートで、後ろの人に倒して良いか聞くのすら億劫で身体を小さく縮めてイヤフォンを耳に突き刺して眠った。好きな音楽と揺れる決して寝心地が良いわけではないシートにしがみつけば、朝、大好きな街に着く。そこで、最高の景色が見れる。



いつも、その帰り、このままどっか違うとこに行きたいな、とか帰れないままでもいいけどな、と思いながらバスに乗り込んだ。
それでも東京を出る時色んな人がかけてくれる「気を付けて帰ってね」にそんなわけにも行かないよな、と思い直して、現実に一歩一歩近付く。
そんな時、細切れにやってくる休憩時間、お芝居を振り返って、ぽちぽちとTwitterに感想を書く。夜中だというのにそれに反応が返ってくるのをみんな寝てくれーと思いつつ笑っていれば、なんか、全然、いけるな、と思った。




そんな日々のことを久しぶりのバスの中、思い出していた。




寒さに震えながら降りたパーキングエリアで見た月が綺麗だったこと。
ちょっとずつくる朝焼けをぼんやり眺めたこと。
夜中、寝れずに起きて見た電子時計。
寝やすい姿勢をみつけた時の達成感。
着いた時の運転手さんのアナウンスに何故かいつも嬉しくなること。




相変わらず私は4列シートのバスに乗る。そこには、いつかの思い出が変わらず詰まっていて、増える一方だ。いつまでこのバスに乗れるだろうかとちょっとしんみりしてしまうくらい私はこの乗り物が好きだ。



「この乗り物に乗れば、自分は幸せになる」



そう細胞レベルで私の体は覚えてるのかもしれない。
何より、ぽっかりとあいたエアーポケットのようなその乗車時間はどこか浮世離れしていてふわふわと漂うような気持ちになれる。
その時間でじゃぶじゃぶと自分をシンプルにしているのだ。
そうして着いた街で身体いっぱいの楽しいを詰め込んで、また現実に戻ればなんだか大丈夫な気がしてくる。
そんな深夜バスの旅は、私にはきっと、ずっと必要だ。

ドリエンライブ

やばいものを観た。
何度も反芻している。
47歳の脱サラした「普通の人」のはずのおじさんが、横アリで声を枯らしていく姿を見ながら、私は泣いていた。


佐久間宣行のオールナイトニッポン0 presents ドリームエンターテイメントライブに行ってきた。




声優さんに芸人さん、HIPHOPのレジェンドに最高のロックバンド。そんな出演者たちのラインナップ、それからそれを進行するのが佐久間さんというすごいライブイベントである。
そのライブイベントを「なんのジャンルのライブか」と聞かれると難しい。
ただ、どういう人たちの集まりだったのか、と聞かれたらシンプルで、「佐久間さんが好きな人たち」の結晶で、かつ、「佐久間さんを好きな人たち」なんだろう。



佐久間宣行のオールナイトニッポンXもそうで、エンタメの唐揚げがあったら100個食べる、というCMの通り、本当に「どこに時間があるんですか?」ってくらいの量の面白いもの、楽しいものをたくさん観て聴いて、そしてそれに心底嬉しそうにしている番組なんだ。
そして私は、それが本当に好きなんだ。
それは、普段のフリートークもそういうところがあって私は佐久間さんの目を通して世界が面白いに溢れているんだな、と思える瞬間が心底嬉しくて好きだ。



会場に向かう道すがら、様々なラジオ・アーティストのグッズを身に着けている人たちが集まっていく風景を見て、ドキドキした。
そして、横浜アリーナに入り、チュロスの香りが溢れてて爆笑しながら嬉しくなった。
「ラジオリスナー」という普段姿の見えない同じ周波数で繋がるひとたちがそこにいる。
きっとここにきた経緯も、普段の生活も好きなものもみんなバラバラで、考えも感じ方も違う。でも同じラジオが好きだということだけ一緒で、それはなんて楽しいことだろう。



一人目のアーティストは花澤香菜さん。
2曲目で「Moonlight Magic」を聴いて、テンションが上がるとともに涙腺が緩む。
それは、私にとってはラジオのことを更に好きになるきっかけになったドラマ「お耳に合いましたら」のオープニングだ(ということをイコールにできたのはライブに向かう道中の友人との会話の中でだけど)
そこで、ああここには好きなものが詰まってるんだ、と改めて思う。
それから彼女自身が「ラジオの虫」だからこそ、会場に集まる一万人の「ラジオ好き」に目を輝かせる。そんなところにもストレートにやられてしまった。そうだよね、と思う。
そうだよね、普段ひとりで聴くラジオが好きで、それは別に誰かがいなくても良くて、でも好きなものを同じように好きな人たちがいるってことが具現化されてる景色は奇跡みたいだよね、と心の中で頷いた。
恋愛サーキュレーションも最高。高校時代何万回も口ずさんだ曲をこうして生で聴く日がくるとは。あと全然関係ないけど、私あの頃から韻踏んでる歌詞好きだったんだな…。



そこから徹底的に場が壊れていく芸人さんパート。破壊力がやばい黒沢さんから始まってもうなんか、すごく笑った。
すごい。
普段そんなにお笑いをみないんだけど、こないだから人に勧められたお笑いからちょっとずつ見出しててそのたびにこのカルチャーやべえ、最高だな、と噛み締めてるんだけど、いやお笑いってすげえ。
黒沢さんのパフォーマンス、パフォーマンスって言っていいのか分からないんだけど、いやでもあれは、パフォーマンスだった。面白くて、色んなことを笑いに変えてて、最高に好きだった。


からの金田さんのパート。確かにあの破壊力の後はしんどいwとなりつつも、私、あのパフォーマンスなんか無性に好きだった。なんだろう。
テレビをほぼ見ない人間だったので、初めて聴いた曲&観たダンスだったんだけど、それ含めて、なんか、好きだな〜〜〜!と思った。


そしてしゅーじまんのStandby。その後のトークパートの菅田さんへのコメントなど諸々含めて最高。細部がいちいち「わかる」表現があって褒め言葉としてめちゃくちゃムカついてすげえ好きでした。なんだったん?あとStandby、それはそれとして名曲なんだよな。



からの、RHYMESTER
4月末の大阪生業から食らって楽しみにしていたRHYMESTER
アウェー(色んな意味で)だから…と言いながらしっかりぶちかますKing of Stage、大好き。
だし、だからこそ自己紹介的な「HIPHOPRHYMESTER」の名乗りから始まるような構成で最高だった。
好きな曲、楽しい曲からアガる曲、そして最後の刺さる曲。パフォーマンス姿を観ながらずっと「どうしたい?」と聞かれてるみたいだった。

ちょうど前回更新のover the sun(局違うけどライブ中も話題に出てたから許されたい)でジェーン・スーさんの思う「HIPHOP」の話があった。







それを踏まえても思う。
お前はどうしたい?と聴いてくるこの音楽は私は大好きだ。そしてそれは私が「そう聞かれていたい」つまりは、この人たちの前では「ちゃんと自分で選んだ自分でいたい」と思っているからそう聴こえるんだろう。
曖昧な評価基準じゃなく、自分の思う最高のもの、良いもの、面白いもの、その表現を磨いて色んな人を巻き込む。
HIPHOPはそんなカルチャーだと思うし、そこのレジェンドであるRHYMESTERはそんな天才たちの集団だ。
そして、このラジオイベントも、そんなところに繋がるんじゃないか。



そして、サンボマスターである。何度もその曲で背中を押してくれるロックスター。
物凄く詳しいわけではなくても「この人たちは自分の味方だ」と信じさせてくれるロックスター。
そんな人たちのステージは思った以上に食らうものだった。





言葉は、時々足りなくなってしまう。
そのまま受け取ってくれたら伝わるのに、とか、その曖昧なものを言葉にして出さないと「分かって」なんて無理だよ…とちょうど悩んだ1週間の締めだったからかもしれない。
すごい演奏、歌、熱量で「お前に俺は話してるんだ」「聴けよ」「サボんなよ」と語り掛けてくるステージは、問答無用の説得力があった。
「生きてまた会おう」「約束しよう」という言葉はあの時、アリーナの一万人ではなく、私、に向けられていた。
音楽は世界を変えられないかもしれない。それでもだからなんだと「世界を変えさせてくれよ」と歌い続けることかできるロックバンド、大好き過ぎるよ。




そうだ、面白いも楽しいも現実のクソを変えてくれることはない。
何かを救う方法でもないと思う。何も変えない。一瞬、忘れられるだけ。
だけなんだけど、私はそれが大好きで、そういうもので歩いてきた。


サンボマスターの山口さんが煽り、横浜アリーナの真ん中、佐久間さんが歌う。



「世界を変えさせておくれよ」

「毎日を美しくしたい意味なく暴れてはっちゃけたい」

「僕を滅ぼす闇に美しく歌う君を探しにきたよ」



スキルだとか関係なく、涙が出た。声が枯れても掠れても、歌詞が間に合わなかったり間違えても、そこには歌があって、だから音楽が好きだと思う瞬間の結晶みたいだった。
いつだって、面白いを届けてくれる佐久間宣行さんの姿は、そんなことを確かに私たちに教えてくれて、だから、船長と呼んで、私たちは彼が大好きなんだ。



テレ東を辞めてなぜかトロッコに乗ってるおじさんを見て、たくさん笑って、今、ありがとうって思ってる。
面白いは世界を救わないかもしれない、変えないかもしれない。だけど、人をひとり支えることができる変えることができる。
きっとその先、きっと良いことがある、良い世界に変わる。そう信じたくなる最高の時間が、あのライブだったんだろう。



アフターテイストというお話を書きました

2022年、秋のM3でもなんとむせおのアルバムにまた呼んでもらいました。やったー!!







そんなわけで、宣伝です。




前回、去年のM3では「グレー・スケール」という作品を一緒に作った。






作って1年経つけど、私は変わらずこのアルバムが好きだ。自分が書いた話も書けて良かったなあと思うけど、なにより、むせおの曲が好きだ。
最近、ちょっと機会があって何度も繰り返し聴いてるんだけど、良いアルバムなんだよな。


なんとまだ通販でも買えるよ!そしてM3でも頒布されるみたいだよ!!




そんなわけで、今回またアルバムへ物語を添えさせてもらえると聴いた時はめちゃくちゃ嬉しかった。
しかも、関西のコミティアの帰り道、むせおをはじめ、高校時代の友人たちと電車に乗りながら「書きたい!」と言った話を書いて良いとGOサインも出たので、最高にもう、嬉しい。



タイトルは、アフターテイスト。
小説の話としてはある喫茶店の物語だ。
そこには寡黙なマスターと出逢う人みんなが好きになってしまう「ヨウコさん」という女性がいる。そこの常連である"ぼく"がそんなヨウコさんを好きになった人たちと話をする。




サンプル アフターテイストプロローグ





今回のお話は、グレー・スケールとは大きく雰囲気が変わっている(と思う。たぶん)
ある喫茶店の物語、そこにいるヨウコさんという「出会った誰もが好きになる」ある女性を取り巻く物語だ。とはいえ、ドロドロの恋愛劇なんてあまりにも専門外なので、今回も、ただただ、そんな「好き」という感情をああでもないこうでもないと出てくる人たちが話しているだけだ。



そう書いてみるとなんか、このブログと地続きというか、私は誰かの「好き」の話を延々と考えるのが好きなのかもしれない。



とはいえ、恋愛もの書く!と宣言した際に「マジか」と聞かれるような中でも今回この題材を選んだのはジャケットを担当された丹さんの絵の存在がめちゃくちゃ大きかった。
細やかなところまで描き込まれた絵の世界観に関西コミティアで触れて「やべえな?!」と心底興奮した。
更に言えば、描かれるひとの魅力的な空気感にこの人の絵があったらヨウコさんの説得力も生まれるのでは…?と思った。し、実際、めちゃくちゃ想像が広がった。本当にすごい。




このアルバムってどう説明したら良いんだろう。



グレー・スケールについて説明するときもいつも思うけどいわゆる「イメソン」ではない。
基本的に物語を書き上げてそれをむせおに渡して音楽を作って、という作業をしてきたけど、何か特別に擦り合わせたりとかはしていない。個人的には「このお話のための曲」というとなんとなくズレる気がする。でも、そうじゃない、というのもなんとなく違う。
じゃあ、何なのか。



例えば私が最近小説を書こうと思えたのは、間違いなくむせおのおかげだ。書いた物語の中、ヨウコさんが活き活き動き出したのは丹さんの絵のおかげだと思う。
なんというか、そういうことじゃないんだろうか。
うまく一言では言い表せないけど、ひとりだと生まれなかったものが生まれる。別にめちゃくちゃ擦り合わせて「合作」というほどのやり方をしたわけではないかもしれないけど、お互いの作品が影響しあって(しあったのかな、分からない、こっちが一方的に影響を受けただけかも)何かが生まれた。



それは、なんか、私は好き面白くて楽しいと思うのだ。
どこにも届かなくて良いなんて思えないくらい、作っていて楽しかった。少しでも、色んな人に届きますように。




まずは告知動画を見てください。天才なので。