えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

TAKAHIRO 道の駅2023 大阪初日


※レポではなく、道の駅2023大阪道の駅で、久しぶりにLDHのライブに行ったオタクが、敬浩さんを好きだと叫びたいだけのろくろです
(ただし若干やった曲について触れていますのでご注意ください)




照明に照らされてる姿が、本当に格好良かった。
私が参加した大阪初日では口にされなかったけど、今回のEXILE TAKAHIROソロツアー「道の駅」ではともかく照明が凝られていた。日本で導入されるのは初だという照明は確かにとんでもなくて綺麗で楽しくて、それで生み出されるステージは、とても格好良かった。
敬浩さんが歌い、腕を振り、ドラムに腕振りをする。そんな姿の一つ一つがさまになっていて格好いい。ただ所作の一つが美しいというだけじゃない。
目が追う、心が踊る、ずっと観ていたいと思う。





その姿を観て、照明に照らされてる姿を観て、ああ彼は本当にすごいなあと思った。
照明に照らされるべくして、照らされてる人だ。本気でそう思う。





敬浩さんが手を振ると「黄色い歓声」が上がる。絵に描いたような黄色い歓声。
なんなら手を振らなくても、視線を振るだけで、黄色い歓声が上がるのだ。
スターってこういう人を呼ぶんだな。思わず、みたいな振りたいんだ!って勢いで手を振る人たちを観ながら思った。





ああ、彼はやっぱり、モンスターグループのフロントマンに抜擢されて、最前線で戦い続けてきた人だ。





照明に照らされること、人の目を集めること、愛されること。
その全てを感じる時間。敬浩さんってこういう人なんだよな。それを噛み締めていたあの数時間、本当に幸せだった。
それが、道の駅なんだ。




しかし、そんなスターな敬浩さんは物凄いフランクさで手を振り、MCで客席に言葉をかける。あれ友だちなのか?と時々頭が錯覚しそうになる。
天気の話だとか最近あった、もしくは昔にあった面白いこと。
そういえば、デビューしたての頃のマネージャーさんとの話を聴きながらオチの付け方、振り方、声音が、すごく「職場にいる面白いひと」のような印象があった。




それは話の精度がどうとかではなく、ただただ、すごく近い距離で「この人たちを笑わせたい」「楽しませたい」と思ってくれてるんだな、と思ったからなんだと思う。
スターだから、芸能人だから、ライブのMCだからではなくて「目の前のこのひと」を楽しませたいという気持ち。そんなものが届く。しかもそれはとても自然な姿できっと、いつもこんなふうに家族を、メンバーを、スタッフさんを笑わせてきたんだろうな、と想像できるような雰囲気でなんでか、泣きそうになる。



会場には少し早く着いてて、グッズを事前に購入しながら周りに集まったファンの人たちの客層の厚さを観て驚いた。
「こういうひとたち」と一括りできないような年齢、性別、雰囲気の人たちが、ただ一つ「敬浩さんのライブに行く」という共通点を持つ。好きな理由も好きになったきっかけも、今日きた理由も様々で、その幅広さがこれまでの17年間の活動の全ての結果なんだろう。




今回は、前回・前々回の「道の駅」とは違い、ファンクラブイベントではなく、ソロツアーとして銘打たれ、いろんな人がやってくる。でも、個人的にはファンクラブイベントの時と変わらず、距離が近く、愛に溢れていて、優しい空間だったように思う。それは、敬浩さんの「誰のことも置いていかない」「ファン歴や好きなスタンスの違い関係なくそこにいるあなたに語りかけ歌う」という筋が少しも変わらなかっただろう。



どちらでも変わらず、愛されて、愛していることを考え込んだ。



そうして、次々と歌われる曲の中にある思わず口ずさんだ、聴いたことのある曲。
EXILEに出会ってから何度も味わった「生活の中の音楽を歌ってきたんだな」という思いを改めて噛み締めた。好き嫌いに関わらず、あちこちで流れ、耳にしてきたヒットナンバー。時代の色、波を作ってきたグループ。
何度目かわからない、そこにいるってどんな気分なんだろう、と考える。しかも、そのグループのことを自分自身がものすごく好きだったなんて。大ファンであるそのグループのフロントマンになるって、その夢を叶えるって、どんな景色なんだろうか。




これは私が敬浩さんについて考える時に必ずぶつかる物思いのひとつだ。2020年にも、ステイホームの期間、過去の活動……特にデビューの2007-2008の頃の活動をまとめてみた時に思わずブログを書いたりもした。








そのブログを久しぶりに、自分で読み返す。

今年の秋には、敬浩さんのもう一つの夢が叶う。
夢を叶えるって怖いことなんじゃないか、と時々考える。夢を叶えて、「幸せになれなかった」らどうするんだろう、と思う。
夢を叶えた先も、人生は続く。
その途方もなさを敬浩さんは怖れないんだろうか。
なんなら、とんでもなく努力して努力して、そうして掴んで、その後も色んなことが起こることを私なんかの実感以上に彼は知っているはずだ。何度も夢を叶えてきたからこそ、その「叶えた後の怖さ」だって何度も味わったはずなのに。





それでも、敬浩さんは夢を叶えるための努力をやめない。自分の目指す先に、光に歩く足を止めたりはしない。
そうして「夢を叶える」と嬉しそうに楽しそうに、笑ってくれるのだ。



武道館に立つということ、その夢をまた叶えるつもりだということ。その知らせを聞いた後に「夢のステージ」で、笑い、歌い私たちを笑顔にする敬浩さんを見ていることはとても幸せな時間だった。






ところで、Ti Amoが好きだ。何度か足を運んだEXILEのライブでも、Ti Amo、そしてLovers Againは好きなタイプのパフォーマーの表現を思い切り楽しめる時間として心底楽しみにしている時間のひとつである。
今回、ライブ会場に向かいながらソロツアーで観るそれぞれの曲は、ソロツアーだからこそ、敬浩さんの音楽だけ、パフォーマンスだけを楽しむことになるんだよな、と改めて噛み締めてわくわくした。


そして、そのわくわくは数倍になった。
なんだったんだろう、あれは。


EXILEのライブでは、パフォーマーをついつい観てしまうけど、私の中でTi Amoの忘れられない瞬間がある。
それは、2020年、コロナで本格的に生のエンターティメントが楽しめなくなる直前、なんなら、まさしくその「当日中止」の前日に見た公演2月24日の、そのパフォーマンス。



ずるいひとね、あなたは


そう楽しそうに寂しそうに悔しそうにともかく、人間のしうる一番複雑な、そして美しい顔をして笑った、敬浩さんのことを私はいまだにずっと覚えている。その表情が好きで、その表情を選んだ彼が好きで、どうしようもなくジタバタとした気持ちで「ああ明日も、この人のライブを観るんだ」と思った、あの日の感情を忘れることはないだろう。



歌い出し、そんなことを思い出した。思い出しながら、でも、目の前の光景が、とんでもなく美しくて、びっくりしていた。
昔は苦手な曲だったと、MCで敬浩さんは言う。だけど、努力して歳を重ねて、回数を重ねて、自分の曲にした敬浩さん。今は、この曲が好きだと笑った顔を見た時に、涙が出た。



いつ、彼が「この曲を好きだ」と思えたのかは分からない。だけど、間違いなく、2020年から2023年までのこれまでもその「好き」に繋がるものを彼自身で重ねてきたんだということは分かる。そして、これからもどんどん、彼はこの曲が、EXILEの曲が、自身の曲がもっともっと好きになって、大切に愛していくんだろう。




私の知る………私の好きなEXILE TAKAHIROというひとは、そんな人だった。







いつかの熱量がないね、と言われたら、否定はできない。
そんな自分が、道の駅に行くことについて、「どんな人でも受け入れてくれるライブだ」というレポをいくら読んでも、考え込むことはやめられなかった。
私が「楽しみ」というのか、あるいは楽しんだ後「楽しかった」というのか。それは、なんか、良いのか。ありなのか。
そんなことを、結局はまた、ぐるぐるとずっと考え込んでいた。



だけど、今、思う。
何も変わらず、だけど、変わり続けて、その瞬間瞬間を敬浩さんはくれるのだ。




最初に、敬浩さんのことを好きだと具体的に、文に残した日を覚えている。



モニタリングでファンの方たちと交流しながらそれぞれの好きを、とても丁寧に、誠実に受け取っていく姿に「ああこの人が好きだ」と思ったのだ。




どこまでも愛されている人だということ。





好きなものが増えて、いろんなものが変わって、それこそ「当たり前なんてないのだ」と思い知って、離れた時間のこと、変わらなかったこと。





職場で、「つくさん、ああいうイケメンな人も好きなんですね」と(それはめちゃくちゃに各方面に失礼ではあるけど)言われてから、
私は敬浩さんの音楽が好きなのか顔が好きなのか、それとも他の何かなのか、考えた。その答えはたぶん、そのどれでも少し違っていて、たぶん、彼が「愛」を大切にしているから好きなんだ。愛することも、愛されることも、あんなに素敵にやってのける人を、私は他に知らない。



今回、道の駅に行って残ったのは当たり前はないということ、そして途方もないような愛だった。
当たり前がないからこそ、自分の大切なものを思い切り愛そうとする大好きなひとが、ステージ上で、笑っていた。





彼が愛されていることが愛させてくれていることが、私は嬉しい。






初めて彼のことを好きだと思った日「どうかこのまま、笑ってくれますように」と思った、その日の続きに昨日、道の駅にいた私は立っていた。






夢を叶えるのは怖くないのか。いろんな理不尽の中でどうしてそうしていれるのか。ポジティブで真っ直ぐな言葉を口にできるのか、ああして笑えるのか。
もしかしたら、敬浩さんはどうせどうしようもないことが多いなら愛することにしたんじゃないか。そしてその人は、私たちに愛させてくれもするのだ。
そのどちらもとてつもなく、幸せなことじゃないか。





そして敬浩さんは、愛の人だけど、超常現象的な奇跡ではなく、自分の視界、手の届く距離を愛していきたいというニュアンスの愛なんだ。
だから私は怯えず、彼のステージに喜んで、好きだと思える。何かを愛することをあんなに楽しそうに嬉しそうにやってのけて見せる彼は、やっぱり今でも変わらず、私の大好きな人なのである。