えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ペンディングトレイン -8時23分、明日 君と

甘えんなよという言葉をずっと思い出してる。



まさか、最初はこのドラマをこんなに好きになる予定ではなかった。
正直最初は出演陣は好きだけど刺さらないかもなあと思っていたし、毎週欠かさず聴いてる山田裕貴オールナイトニッポンXの話題についていくために観るかなあどうかなあくらいに思っていた。
それを猛烈に反省してる。



そもそも、あんまり……と思っていたのは、自分がサバイバルものがそもそもそこまで好きじゃない上に、果たして地上波でやるサバイバルものがどれくらいのものを描けるんだろうか、なんて思ってしまっていた。
今なら課金制のもう少し予算が組めそうな枠があるし、そっちでの方が合うんじゃないか。豪華なキャスト陣でその分、大丈夫か?なんて知ったようなことを思ったことを思って本当にすいませんでした。






むしろこの「ペンディングトレイン8時23分明日も君と」は地上波でやるからこその意味があったのだ。
課金制の、限られた人だけが観れるものじゃない。チャンネルをつければ、無料配信サイトにアクセスすれば、萱島たちの物語に出逢える。
それは、本当にすごく、素敵なことだと思う。



そしてそれが単に物語の良さだけで、キャストの良さだけで成立させているものではなく、恐らく全スタッフの創意工夫で成立しているものだということに、当初、嬉しくてはしゃいでしまった。脚本の無理のなさ。サバイバルの限界を描く方法。それを成立させるために撮影場所や他の様々な部門が担っていること。




それはある意味で、この物語で繰り返し言われる「協力して生きること」の答えな気もする。
緊急事態に陥った時に人は、人と協力し合えるのか。誰かと生きることは無意味ではないのか。



残念ながら……と言ってしまうけど……私たちはある程度、この数年、その答えを知ってしまったように思う。答えはノーだ。そう、この3年の間、私は何度も思った。
苦しい空気が蔓延した時、人は人と協力するよりも誰かを蹴落としたり下げたりすることで「助かろうとする」。
そんなことを思ってしまう私にとって物語として、あるいは倫理観として説かれるであろう、「それでも人は助け合える」という物語に冷めてしまうんじゃないかとすら思っていた。


でもペンディングされた萱島はじめとするあの乗客たちはどこまでも人間臭く、そして愛おしい人たちだった。彼らが本気で怒り、反発し、それでも、と協力し出す姿は「綺麗事だろ」と笑い飛ばしてはいけない熱量が、あったと思う。




語り出すと際限がないけれど、どうしても萱島のことを語りたい。
今回観るきっかけになった主演を務める山田裕貴さん。私は、この人のお芝居が本当に好きだ。どん詰まりで何をやっても苦しく、馬鹿馬鹿しくて悩んでいた頃に観た「HiGH&LOW」の中で村山の「俺とお前何が違うんだよ!」という叫びに救われたあの日から、何度も思う。
この人が、お芝居をやっていてくれて本当に良かった。
そして今回の萱島も、私には、とても大切な役の一人になった。



それが、冒頭の「甘えんなよ」というシーンである。
3話で、誰かに頼るのではなく、生きようとすること、役割を果たそうとしないと生きていけないことを乗客たちに伝えるシーン。そこからの、萱島の過去がわかる一連のシーン。





私事だけど、私は、たぶん、無限に頑張りたくなるたちである。仕事がしんどかろうが、結果に繋がるなら自分のキツさよりも結果が欲しいと思う。それを誰かに強要するつもりはないけれど、でも自分がそうしたい。頑張らないと呆気なく失くなるものがいくつもあった。だから、もっと頑張らないと。気が付けば、毎日の中でそう思っていた。





だからこそ、萱島と白浜のラストのシーンはドンピシャに刺さってしまった。
誰かに強要するつもりはないと言いながら、頭の中で甘えんなよ、と過ぎることがある。結果が出せて良いね、と言われるたびに自分にはできないと言われるたびに甘えんなよ、同じくらい頑張ろうともしないで、知ったような口をきくなよ。そう反発した気持ちが、確かにあった。




そして、それは、どこか、自分への自信のなさ、自分がどこかで間違えた不安からくるものじゃなかったか。






もちろん、萱島の甘えんなよ、という言葉、そして白浜の「だから自分をそんなに責めるなよ」というシーンに自分がドンピシャに重なると思わない。それは、改めてこうして感想を書いていてもそう思う。






でも極限の生活の中でむしろ、日常生活で置いてきたはずの蓋をしたはずの感情や想いといやがおうにも向き合うことになっている乗客たちの姿は、私にも同じように問い掛けてくるような気がしているのだ。
どこかで言い訳していないか、誤魔化してないか。
良いも悪いもそういうものがいくつも私たちの生活の中にいくつもあって、だから、乗客から目が離せなくなる。
そしてその中でも改めて生きたいと、誰かを大切にしたいと思う彼らに私は毎週元気をもらっているのだ。





生きていくために誰かを想うこと。
それは、綺麗事でもない。説教でもない。そういうものではなく、ただただ、切実で真っ直ぐな気持ちなんだ。








緊急事態に真っ先に失くなる、要らないと言われるそんな「不要不急」のエンタメ。面白いこと、楽しいこと。
私はまだ、このあの時巷に溢れた4文字のことを憎み続けていて、だからあの回で彼がばら撒いた、破いた絵のことをずっと考えている。





生きていくことは、くだらなくなんてない。そしてきっと、面白いということも。
それを繰り返し繰り返し、毎週訴え続けてくれるこのドラマに、この春出逢えて本当に良かった。