えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

MIU404 8話

MIUは、始まる前からドキドキとワクワクが詰め込まれた楽しみで仕方ないドラマだった。
機動捜査隊という、聞き慣れない警察の部署の一つ、その中で架空の設定の臨時部隊「警視庁刑事部・第4機動捜査隊」が舞台となる、かなりハイテンポの1話完結ノンストップ「機捜」エンターティメント。


楽しみにしていたそのドラマに想像以上に釘付けになりながらなんならそこをきっかけに予期せぬ星野源さんという存在に夢中になりながら、毎週金曜の22時を過ごしている。


アンナチュラルを描いた野木作品といえば、ある程度抉られることは予想していた。なんせアンナチュラルの時は毎週ティッシュをぶつけられる勢いで号泣していたのだから。それでも毎週、楽しみに待ってしまうのは単純に堪らなく面白く、また小気味いい会話が最高だからだ。
とはいえ、本当に、MIUに釘付けになっている。それは色んな要因があるものの、うまく言葉にできない衝動に似ていた。
間違いなく、役者陣の最高の演技、それを引き出す脚本・演出とスタッフ陣の強靭さ、そういうものにノックアウトされているというのはあるのだけど、
それもだけど、何よりこの物語に唸るような気持ちを言葉にしたい。


6話、星野源さん演じる志摩一未の過去が紐解かれ現在へと繋がった回を観た直後、呻いていた。
前回、星野源さんにハマった夜を思い出しながら書いたブログを引用する。

『6話は、救いの物語だ。1話から張られていた星野源さんが演じる「志摩一未」の過去が紐解かれ、今、に繋がっていく話である。
そして私はその救い、の話を観てのたうち回っていた。優しさだとか救いだとか、これからの希望だとか、もちろんそういうものも感じてはいたけど、なんだか言い表せないような不安感みたいな、どうしようもなさみたいなものにひたすら呻いていた。』



そして8話を観た今、繰り返し考えている。
「人は、果たして他人がいることに救われることはあるのだろうか?」


8話、山中で見つかった変死体を捜査する志摩と伊吹。未解決連続殺人事件の可能性から捜査を続けるうち、二人は伊吹の恩人である蒲郡へと話を聞くことに
そして二人は、事件の真相を確かめることになる…。


野生のバカ、と評される伊吹のこれまでの軌跡を知る回であり、またそのこれまで、を、覆すような回だった。
「腐っていた」伊吹を正しい道へと導いたガマさんの犯してしまった罪。それぞれの手から零れ落ちたスイッチをこれでもかと丁寧に描いていく。
それを観ながら私はともすれば、人間というもののどうしようもなさに途方に暮れそうになった。その遣る瀬なさというか、途方に暮れる感じは6話の志摩が「救われた」時に感じた不安に似ていた。


だって、人は生きていくのだ。
そして正しい今日は正しい明日と連続性がない。


MIUの中で犯罪を犯すのはそのほとんどが「特別」な人間ではない。どこにでもいる、なんでもない人たちだ。狂気を抱えてるわけでもなくて、本当に「普通の人」なのだ。
ただ彼らはスイッチを押した・あるいは押せなかっただけで。
そう考える時、アンナチュラルで語られた言葉を思い出す。どんな人間か、どんな生い立ちかは関係ない。ただ、そこにあるのは罪だけなのだ。


だとして、それでも、今回の事件についてどこならやり直せたのか、どこがスイッチだったのかと訴える伊吹の泣く声が耳からこびりついて離れない。
劇中、これまでも語られてきた「スイッチ」はもしかしたら人間には押せないものなのかもしれない。
いや、正確には人が押してるんだろう。それはでも意思を持ってというよりも「押してしまってる」「見逃してしまってる」んだと思ってしまう。それは、私がそう思いたいだけかもしれないが。
だって、ガマさんの言葉通り何回考えても「できることは何もない」のだ。それは別に時間は巻き戻せないからだとか、そんな話ではなく。もう、それはきっと「そうなる」ようにあの2019年4月の事件の日に決まってしまったのだ。


そう考えるとどれだけの意味があるんだろうと思ってしまう。それはひどい話なのかもしれないが。スイッチは意思意図を持って押されるものじゃないとしたら、あまりにも虚しい。どうして、という後悔ばかり残していくんじゃないか。
思えば、これまでの話でもたった一回間違えてしまったがために失った人がたくさん出てきた。ほんの少し、一瞬前までは「正しい道を歩いていた人たち」が、だ。


そんなことを考え、あのガマさんが連れて行かれるシーンからの「警察」の表情を思い出す。
警察は、やり直しを信じる組織なのかもしれない。
だからこそ、ガマさんの犯した罪は、あるいは何度刑務所に行っても「更生」しなかった彼によって奪われたものについて思う時、苦味が残る。



やり直せることなんてない。やり直しに意味なんて、少しもないんじゃないか。




それでも、MIUは同時にこれまで何度だって強く強く描いてきた。人と人が出会って、手を伸ばすことで確かに「スイッチ」が優しい先へと動くことだってある。
「何があっても殺しちゃダメだ」「死んじゃダメだ」「だって、やり直すことはできるはずだ」
それは「そうだから」なんていう一般通念なんて話ではなくて、気がつけば切実な響きで祈りみたいに思ってる。手を伸ばし掴むことができる。そうして願うことはできる。生きていれば知って、歩くことができる。
それしか、なのかもしれないけれど。


今回8話で、大好きなシーンの一つが伊吹がガマさんとハムちゃんと独り身同士三人で楽しく暮らしたいと話すシーンだ。
そこで、まるで夢のような話を本当に優しい顔で、伊吹は語る。それから、「はいバカだっていいたいんだろ」とどこか諦めたように伊吹は呟く。
そんな伊吹への志摩の言葉を何度も何度もその表情と一緒に思い出してる。


誰かといることでその人にできることはないかもしれない…スイッチを押せることもないのかもしれない。
それでも、誰かと一緒にいることは誰かの存在は意味があると思いたい。
何かのストッパーとして直接作用しなかったとしてもそこに在ることで安心できるような、御守りにはなれるんじゃないか。
そんな風に祈ってる。そうして幸せになってほしいと思ってる。めちゃくちゃに。

いつの間にか志摩や伊吹をはじめ、あの世界に生きる人たちを大好きになってしまっているので。
物語は、最終回に向けて加速していく。そのいく先を祈りながら見届けていきたいと思う。