えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

星野源のオールナイトニッポン リスナー大感謝パーティー

凄まじい夜だった。
星野源オールナイトニッポンリスナー大感謝パーティー
あまりにも楽しくてげらげら笑ったり泣いたりしながら過ごした3時間(!)が奇跡のようで、まだ頭が興奮している。睡眠時間は短くなってしまったはずなのに「楽しかった」という麻薬でちっともその疲れを感じない。
(だというのに、あの観ていた楽しい時間があまりにも奇跡的過ぎて薄れていってしまうのが惜しくて堪らないので覚えてる限りの感覚を使える言葉全部を使って書いていたいと思う)



企画が発表されてから、毎週知らされる企画内容に一体何が起こるんだろうとドキドキそわそわしていた。
それは源さんが何をするんだろうということはもちろんだけど、一体どんなイベントになるのか、というワクワクに他ならない。


星野源」が何かをするのではなく、「星野源オールナイトニッポン」が面白いことをする。


思えば、今回のイベントはそんなイベントだったように思う。し、何よりそもそも、「星野源オールナイトニッポン」はそんな番組だと思う。
私は、MIU404をきっかけに源さんを好きになりこのラジオを聴くようになったけど、きっと約1年、このラジオを聴き続けた理由は"星野源"が好きだから、だけではたぶんない。この番組が好きなのだ。寺坂さんをはじめ、スタッフの皆さんのことが好きで、リスナーのことが好きで、あの2時間が好きなのだ。
そして今回のイベントはそんなラジオそのものだったので、私はたまらなく嬉しかったのだ。


そう、ラジオそのもの。
今回、イベントが始まって早々、興奮したのはその点でもある。
始まって冒頭、前説で(いい意味で)気が抜けながら突如ハマったコンテンポラリー(風)のダンスにびっくりしてげらげら笑いながら不思議な感動を味わっていると、画面にはマイク前に座った源さんが映る。
そばにはパソコンを持ってスタンバイしてる寺坂さんもいる。そして野上さんをいじりつつ、爆笑して、みんなの声が少し入ったりする、その空気感はまんま火曜深夜1時なのだ。


7月に「彼女ができましたー!」のジングルが好きすぎて書いたブログでも書いていたけれど、


『そういえば、星野源オールナイトニッポンのCMで、深夜に友達の家に遊びに行くような感覚という表現があった。』

『そうなんだ、だからくだらない話でげらげら笑ったり時々真剣な話をしたり、その直後にまたふざけたり。それは、確かに深夜、友人と眠いねなんて言いながら過ごすあの感覚に似てる。』

日常の中の、妙に居心地がいい友達の部屋のような星野源オールナイトニッポンが好きだ。
そこには色んな面白い人がいて、口々に面白いことを話したりふざけたり、時に真剣な話をしたりする。


そしてその空気がまんま、イベントにはあった。


目を閉じればまんまいつものラジオだし、目を開けていてもああいつものラジオだ!と興奮した。

そしてかつ、映像がついたことでこんな表情で彼らはいつも届けてくれているのかと思う。だけど、私たちはそれを知っていたような気もする(それは編集後記やSNSで番組での様子を写真で見ることができるからというのももちろんあるだろうけど)
色んなスタッフさんの企画やリスナーから送られてきたもの、佐久間さんとの話に目を輝かせげらげら笑う星野さんを観て私たちも笑う。
笑ってひたすら楽しそうで楽しくて、そんな景色を観続けるのが、本当に嬉しかった。


だって"面白い"ことも"楽しい"ことも必需品なのだ。
星野ブロードウェイの「娯楽を失った星」での物語を描いた『娯楽の星』。創意工夫で切り抜け、なんでもない瞬間を面白がり、笑って、斬り抜けること。
こんなに星野源オールナイトニッポンに似合う物語があるだろうか。
特にここ最近はラジオを聴くたびに「ああよかった、まだ笑える」と思うことが増えた。2時間げらげら笑った後、私はいつもほっとする。色んなことが嫌になる瞬間を忘れられる2時間は娯楽、で不要だと切り捨てられてたまるか、と思う。必需品だ。

にしても本当に、星野ブロードウェイ、凄かった。見事なあてがき。それぞれのキャストだからこその設定、活かした台詞。
そして、源さんの"実況"。
熱量を増していく台詞と表情に、映像でこれを観れることの奇跡に感謝した。

なんという理不尽!
理不尽に抗うことが最後の我々の希望!!


叫ぶように、しかしはっきりと届けられた台詞がもう嬉しくてたまらなくて、朝からもっかいおかわりしてしまった。すごい脚本だし、すごいお芝居だった。
これがイベントの一部でしかないの、どういうことなの、だし、だからこそ星野源オールナイトニッポンだな、とも思う。余すところなく、全力なんだよな、全部。


そうして最後、番組内で作った『君と星』が流れる。
この企画の間、本当に我々、すごく愛されてるな、と思った。リスナーから歌詞を募集する、と発表があった時、源さんが言った「こういう時、誰が採用された、されなかった、みたいな気持ちにどうしてもなると思うけど、そうじゃなくて、みんなで作る、だから」という趣旨の話をされていた。
それを聞いたとき、なんて細やかな気遣いをされるんだろうと思った。ので、何一つ、不安でもなかった。一応、メールは送りはしたんだけど、でも採用されたい!というよりかは「送れた」という満足感があったのは、そんな気遣いのおかげだと思う。

そしてそんな気持ちは、昨日の放送で増した。
なんというか、本当に"みんなで作った"と思った。すごいな。
だって、どんな気遣いをしても「採用された/されなかった」は発生し得ると思うし、して良いと思うんだ。でも、「秘密作りたいなと思って」といい、送られてきた言葉で色んなひとがあげていた言葉を中心に歌詞を組み立てていく姿に本当に「みんな」で作ったと思わせてもらった。


ばらばらという歌を歌い、ひとはどこまでいっても独りだと言い続けた源さんの作り出す"みんな"はとんでもなく優しい形をしていた。
それは、"同じ"のみんなではない。
そこにある"ちがう"を一つ一つ掬い上げて作った別の"みんな"だからこそ、響いたんだと思う。



それは今回のイベントがオンラインの配信限定イベントであるということからも感じる。
今、有観客でのイベントへ賛否が再び(それは状況的にもどちらも仕方ないと思う)湧き上がっている。その賛否どちらであるかのスタンスについてはここでは書かない。というか、書けない。

しかし、今回のイベントが「誰も寂しくないように」観たいと思う人が可能な限りみんな観れる形式でやってくれたことが私はずっと嬉しかった。
みんなで同じように楽しめることが本当に本当に、嬉しかった。
それにきっとそれは、コロナだからというだけじゃないんだろう。思えば、今までのソロでのオンラインイベントの時でも、源さんは病院にいる人や小さな子どもがいるひと、コロナに関係なく外に出てイベントに行けない人のことを口にしていた。


みんなで楽しいって、本当、嬉しい。



そして、優しくて胸に迫るようなメロディにのせながら、いつかちゃんと発表するときは楽しくなるようなアレンジをする、と宣言する星野源に歓声をあげてしまった。
本当に、どこまでも「楽しい」に貪欲な人すぎる。
そんなところを、私はきっと好きになったんだ。



どんな時でも、楽しい、ということ。面白いはあるということ。
聴きながら、たまらなくなって、私はノートに色んな言葉を書き殴っていたんだけど、呆れるくらい繰り返し、楽しい、面白いと繰り返し書いていた。湧き上がるような気持ちだったし、その時もそして一晩明けた今も、まるで血液が急に巡り出したような感覚がある。


楽しいし、面白い。


そのことが、寿命を延ばすような生きていけると思わせてくれるような夜がある。
それをあの大好きな友達の部屋のような空間で私はまた、思い知ったのだ。



まだなんとアーカイブでこの凄まじく最高なイベントが見れます。