えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

あの夜を覚えてる 千秋楽

ラジオが好きだ、と思う。
長く聴いているリスナーではない。私がよく憧れる学生時代から支えにしていた、なんて思い出は私にはなく、ここ数年でラジオを聴き出した、しかもradikoのタイムフリーを駆使しての超ライトリスナーである。


それでも、ラジオが好きだ。
ラジオがある生活が好きだ。


オールナイトニッポン55周年記念で生まれた「あの夜を覚えてる」は、そんな私にとって特別な"あの夜"になった。



ラジオの魅力は色々ある。だけど、大きな一つは、作中でもそしてこの公演に夢中になった色んな人が口にした通り、距離の近さだろう。

どんな大スターも、ラジオの電波を通して声を届けてくれる時、ただの人になる。いや、人って言ったってそもそもずっと人だし、そしてラジオを通してもすごい人はすごいんだけど。
でも、笑い、時々は真剣に話す彼らのことを私は推しだとか関係なく、大好きになっていた。



どんなインタビューよりも、ドキュメンタリーよりも身近に思える。あれは、どうしてだったんだろう。


ラジオには、"本当"があるという。
それに私は大きく頷く。
たとえば、源さんの結婚報告の時。
たとえば、菅田さんのラジオ卒業発表の時。
たとえば、DJ松永さんのテレビで思っているのとは違う受け取られ方をした時。

彼らはその時々で、"自分の言葉"で私たちに声を届けてくれた。きっとそれは書き起こし記事や切り取り記事では伝わらない温度感で、私の中にずっと残る"あの夜"だ。



真面目なあの夜ばかり取り上げてしまったけど、それだけじゃなくて
松永さんの遅刻回だったり、菅田さんのグッズ発売でうまくいかずごたごたした回だったり、源さんの元に届いたリスナーのジングルに一緒に爆笑した回だったり。
そういうバカバカしい忘れちゃいそうな何気ない夜だってある。



なぜ、私はその夜を「本当の言葉」を聴けたと思うんだろう。実際、私は、その声が届けられる瞬間を目にしていたわけじゃない。
ふとそんなことを「あの夜を覚えてる」を観ながら思った。


このお芝居は、その人の中の「あの夜」があればあるほど、重なる物語である。
知らないはずのラジオが生まれるラジオブースでのやりとりに、ああきっとこうして私の好きなラジオたちも生まれたんだろうな、と思った。


この企画のすごいところは、本当にきっと、関わる人全員が、ラジオが好きなことだ。本当のところを知っているわけじゃない。だけど、こんなクレイジーな企画を成立させれるのは、好きじゃないとできないんじゃないか。そんな風に思うのだ。
そして私は、ラジオが好きなひとりの人間としてそうしてラジオが愛され、大切にされている様子に無性に泣けてしまった。



生でやるの破茶滅茶過ぎるんですよ。ガラスが多すぎることとか。そもそも、社屋で普通に仕事をしているなか、全体を使って放送って時点でも結構無茶だ。



でも多分、この物語は生じゃなきゃダメだったんだと思う。



配信とかもそうで、目の前にお客さんがいないから収録と一緒だと受取手も発信者も言うことがある。実際、そういう面もあるだろう。
あるだろう、とは思うんだけど、でもそうじゃないんだ。
見えなくても聞こえなくても、そこにいる。ずっと一緒にいる。
それはメールだとかチャット欄の話じゃなくて、届け!と念じることだったり、真剣に聴くことなのだ。
そしてそれが、私がラジオに対して「本当」があると思う理由なんだと物語のクライマックスを見守りながら思った。


声だけのメディアで、音だけが届くその中で、それだけじゃないものを私たちは受け取ってきた。
お互いの姿は見えないのに、私たちは互いがそこにいることを信じている。それはパーソナリティとリスナーだけじゃない。リスナー同士も、互いの存在を確かに知っている。
その距離感が、温度が、越えさせてくれた夜があった。
そこだけでなら伝わるいくつもの言葉を私たちは知っている。


本当に無茶苦茶な企画を、ばかまじめに作り上げてくれた全ての人に対してありがとうの気持ちが溢れて、もう昨日からずっと興奮している。
きっと私は、この夜も忘れないだろう。
繰り返し繰り返し聴いている大切なラジオの録音のように、記憶の中、何度も何度も、この公演を私は思い出す。


その夜は、私の大好きなものがいかに愛されるか教えてくれた、そしてそれは確かに存在し続けるのだと教えてくれた、そんな夜なのだ。



なんとまだ公演を観ることができます。
生だから意味があった、なんて書きましたが、きっとアーカイブで観ても、届くはず。
だってタイムリーで聴くラジオもまた、愛おしいものなので。