えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

あの夜はこの夜につながっている

日々色んなことがあるなかで、一日で一番何をしていることが多いだろうと考えるとたぶん、ここ二年はラジオを聴いてる時間が一番長い。
かといって、じゃあ色々聴いてるかと言われるとそうでもないし、なんなら同じ回を何度も何度も聴いてたりする。でもやっぱりそういう録音の時間を含めても一日の中でラジオを聴いてる時間が一番長いと思う。




そんな中、オールナイトニッポンのサブスク、JAMが始まり、その割合はいよいよ不動のものになった。新たな番組開拓がしたくても物理的な時間が足りなくなる悲鳴を上げてすらいる。でも、週に何度も「今日はこの日」とわくわくソワソワできるのは最高に健康に良いな。


さて、そんなJAMで毎週、Creepy Nutsオールナイトニッポン0を聴いている。
2021年の2月からラジオは聴き始めたので、今更新されている回はどれも初めて聞くエピソードばかりだ。中には書き起こしで読んだことがあった回もあって楽しい。
JAMにはスリーピング機能(タイマーをかければ終わるのでわざわざ起きて止める必要がない)もついてるので寝る前のお供として最高である。


どうでも良いけど、一度星野源オールナイトニッポンを聴きながら眠ったらCreepy Nutsオールナイトニッポン0の時間になり、ふたりの爆笑に起こされたことがあった。
それはそれで「なんやねんもぉー」と笑いながら二度寝できて幸せだったな。



ともかく、そうして聴いている中でも好きな回が増えていく。オールナイトニッポンJAM、多分、再生回数を確認できるようになったら極端に再生しまくってる回が分かるくらい明確に「この回」という大切な回も増えてきた。



そんな毎日の中である。
いつものように火曜の朝、タイムフリーでCreepy Nutsオールナイトニッポンを聴いていた時のことだった。
オープニングトークはワールドカップについて。
ふたりのワールドカップの記憶からワールドカップのテーマとどんどん話は広がり、話題は方言へと移っていく。しかし、そんな会話も耳半分に(ごめん)私は結構感動していた。





ワールドカップの話をしている!




Creepy Nutsオールナイトニッポン0が放送を開始したのは2018年。そう、前回のワールドカップが開催された年である。当然、オープニングトークでそれに触れられた回は何度かある。
その時、DJ松永さんは「ワールドカップの話題やめよ…」と言っていた。今週の回でも触れられたが、そんなにワールドカップそのものに興味がないという二人は2018年もほぼワールドカップを見ず、そんなに結果にも興味がなかったようである。



第12回 2018年6月19日放送 『あえて見ていないナナメな自分』 Creepy Nutsオールナイトニッポン0(ZERO)




そんな中、「興味がないから見てない」をスかしていると取られたくないといつものあの松永さん節で喋る回を何回聞き返しただろう。
だからこそ、今回のオープニングトークの1話題として、普通に話しているふたりの会話を聴きながら感動した。




すげえ、四年後の世界にいるのだ、私は。




そうか、人間は変わるんだな。そんな当たり前のことを思う。
変わったことも変わらないこともないまぜに人は生きてそこにいる。なんだかそんなことがやけに嬉しくて、噛み締めて聴いた火曜日の星野源オールナイトニッポン



お知らせのところで、話題は年末になり、「来年は良い年になると良いな」と源さんが呟いた。
私は2020の星野源オールナイトニッポンの最後の放送で話された言葉が、大好きである。
「いい年になればいいな」そう思うけど、きっとそんなことはないと話した源さんの言葉が大好きで大好きで、それは2021年のお守りだった。
その源さんが今年、「良い年になると良いな」と呟いたそのことにぐっときた。



こういう年越しになると、来年は良い年になるだろうなって、なってほしいなって思うじゃない?
でもね、たぶん大変だと思う、来年も。



その言葉は、うちで踊ろう(大晦日)について書いたブログの中でも触れるくらい、琴線に触れた言葉だった。





先の見えない不安感を「あるよね」とただ示してくれたような気がしたし、その諦めにも似た感覚が、あの時の私には必要だった。
そしてだからこそ、今年の来年はいい年になるといいな、がたまらなく嬉しかったのだ。



あの時の諦めに近いような感覚も、そこから繋がってのそれでも、来年いい年だったら良いな、もどっちも嬉しい。うれしいな。




その時々がまるでタイムカプセルみたいに詰め込まれて残るのがラジオなのかもしれない。
ラジオごっこをやってる時も思う。ある程度「これを話そう」と決めていても全然思いもよらない、なんか感情のぎゅうっとしたものが飛び出すこともある。



変わったこと、変わらないこと、その間にあったことを断片に、電波越しに見ていたからこそ、なんだか、より一層、ああいいな、と思った。
それは今回の変化が「良いもの」だからという話ではもちろんない。




人が生きて、変わっていくこと。
その時々で考えや思いが変わること。
そんなことをこうして当たり前みたいに触れることができるラジオが改めて愛おしくなった。
そして長くラジオをやってくれているからこそ、こうして変化に触れられることに嬉しくなった。



これからも色んな話を聴くんだろう。そこで初めて聴くこと、何度も聴いた話、そんなあれこれがごちゃ混ぜになって夜を過ごすのだ。それが時々また「あ、あの時の」とつながる。そんな日も、私はほんの少し楽しみである。