えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

私は星野源を見上げている

表情にびっくりした。
数えきれないほど観たライブ映像なのに、息を呑む。目を奪われた。
星野源さんのライブツアー『POP VIRUS』をNetflixで観た時のことである。


赤のパーカーにパンツ。素朴な格好をした源さんはドームのステージの真ん中。歌う、踊る。
照明に照らされたその表情がすごく、美しかった。


源さんに興味を持って衝動的に買ったのが、POP VIRUSで、一昨年からたびたび観てきた大好きなライブだ。
だけど、久しぶりに見たとき、その表情が初めて観たように感じた。


何かに初めて触れる瞬間って貴重だ。人生で一度きり。それは本当に、大切な瞬間だと思う。
だけど時々「出会い直し」が起こる。
記憶を無くしたわけでもなく、ただ、唐突に「今この出会い」は初めてだ、と感じることが私の生活の中には時々あるのだ。
まさしくこのPOP VIRUSもそうだった。
曲目もまさしく、ライブ2曲目の『POP VIRUS』。


星野源さんの音楽を奏でる姿が好きだ。気持ち良さそうで楽しそうで、世界で一番、面白いことをしているのだというその全身から伝わる感情が好きだ。
その瞬間観た時、ああひとってこんなに嬉しそうな顔をするのか、と思った。それは笑っていたとかじゃなくて「嬉しい」って言葉で形容すると、なんならズレてしまう気がする。
うん、そうだな、嬉しそう、じゃない。私が嬉しかったのだ。
生きてるひとの、しかも好きなひとが生きているという表情があんまり美しくて尊くて私は泣いた。
このひとが音楽を奏でているという現実を「私が」嬉しいと思ったのだ。


もしかしたら、初めてDVDで観た時よりも私自身が「星野源」への解像度が上がったからかもしれない。
ちょうど去年2021年は星野源さんにとって音楽の年にしよう、という年だったらしい。
だからたくさんの新曲と出会うこともできたし、その度インタビューやラジオ、バラエティで音楽についての彼の言葉を聴くことができた。
創造や不思議、Cubeと変わった音楽の作り方の話、そしてドームツアーの話。
それから、一度はドームツアーが終わった後、燃え尽き症候群のようになったこと。



ある時、ドームツアーで観た景色の美しさの話の際、最高の形で荷物を下ろしてしまえるような気持ちになった、と話していたのを覚えている。
手当たり次第、当時のメモをひっくり返したけど、ちゃんとその言葉を書き残していなかったし、どうしても私の主観が入ってしまうけど。


このライブツアーを久しぶりに見て思う。そりゃ、この景色はきっと、とんでもなく美しかっただろう。それこそ、荷物を下ろしてしまうほどに。

私が源さんの目に映った景色を本当に知ることはできないし、その気持ちになることはできない。
だけど、このツアーの最高の演奏、歌声を聴いているとまるで目の前にその景色が広がるそんな気がするのだ。


それはそんな源さんの言葉を知ったからかもしれない。何も知らずに見ていたあの頃の私とは違い、今の私はそれこそ「バイアス」がかかっているし、そんな私とこのライブツアーはある意味"はじめまして"の状態である。


私は源さんの言葉が好きだ。好きになってから何度もその言葉を繰り返し読み、ラジオで聴いた言葉をメモしてやっぱり繰り返し読んできた。覚えてしまうほど繰り返し読んだエッセイもある。
その中で、印象に残ってるものがある。
『よみがえる変態』の中の「『エピソード』」というエッセイである。
そのエッセイで源さんはこう書いていた。

本当は満足したい。「もう思い残すことはない」と一言いい残してかっこよく去っていきたい。だって、音楽をやる人なんて山ほどいるんだもん。


POP VIRUSで最高の景色を観た源さんは、「満足」したんだろうか。したのかもしれない。
これだけ素晴らしい楽曲をたくさん作り、ステージ上の最高のバンドメンバーと奏でて、ドームいっぱいのお客さんと音楽で橋を渡って、会えたんだとしたら。それは、この世でそう何度も起こるわけじゃない奇跡の一種だと思う。
音楽で遊び、橋をかける。そんな美しい奇跡を起こした彼が、ひとつ大きな山を登り景色を眺める、そんな幻を想像する。




それでも、彼は今も音楽を続けている。
私は、彼の演じたMIU404のキャラクター志摩一未で源さんに興味をもって、ちょうどその頃放送されたニューヨークライブで本格的に源さんの音楽を好きになった。
だから、もしもこのPOP VIRUSで「ああもう満足した」とステージを降りてしまっていたら、音楽を終わらせてしまっていたら、少なくとも音楽を奏でる同じ時を過ごす彼と出逢えなかったのだ。


ものづくり地獄の話をする源さんの話が好きだ。良い音楽が作りたい、まだこの世にない音楽を作りたい。そんな物凄く難しいことを続ける彼が好きだ。
きっと今もまだ音楽を作り続けるなか、ものづくり地獄に何度も何度も潜って、そうしてきっと源さんは素敵な音楽を届けてくれているのだと思う。



自分の気持ちを伝えるのが苦手で台詞で自分の気持ちを確認することができた。
音楽なら伝わるとギターをとった。
表現が前を進むために必要だった、とはっきり言った源さんの言葉をここ数日思い出していた。
そんな彼の音楽を聴いていると無性に嬉しくなる。それは、源さんがどうこうというよりかは私の話なんだ。


伝わらないことにべこべこに傷付く。誰かをまるっきり分かりきることはないのだと自分にうんざりする。
それでも、こうして、この瞬間、同じ場所にいたと思う。それは物理的な話じゃなくてなんか、そうじゃなくて、だけど、きっと大切などこかの話だ。
こういう場所がある、それが本当に嬉しい。



ああ楽しかった。そう呟いた源さんの姿を涙で目をしばしばしながら画面越し、見送った。




ああ全く、生きてるのは大変だ。
満足できるか分からなくて、もし奇跡的に満足できても「また」や「もっと」がやってくる。生きてる限り続く。
だけど、いま、それがこんなに嬉しい。本当に本当に嬉しい。


源さん、今日も歌い続けて音楽を奏で続けてくれて、ありがとうございます。
あなたを"推し"と呼べる今日が心の底から嬉しくて愛おしく思う。
毎日を迷わないために見上げる星のようなそんなあなたの生み出す音楽を私は愛している。


※この文章ははてなブログ特別お題「わたしの推し」をテーマに書きました。