えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

星野源のおんがくこうろん シーズン2

最高の番組が再び始まるニュースに心が弾んだ。星野源のおんがくこうろん。
源さんが好きだという気持ちがあるからという前提はあるけれど、それを抜きにしても最高に嬉しい理由はそこで出会う音楽にわくわくするからだろう。


しかもそれは単に「推しが増える」「聴く音楽が増える」という話よりも、「音楽というもの自体にわくわくする」という方が個人的にしっくりくる。
実際、私は星野源のおんがくこうろんで紹介されたすべての音楽家の作品をその後聴き込んでいるわけではない。ないけれど、どこかで耳にする度に「あ、あの」とニヤッとするし、いつか急に深堀したくなったりもするんだろう。そういう耕しの気配がどんどん広がっていくから面白いし、この番組がたまらなく好きだと思う。
おげんさんと同じく、定番化してほしい番組なのだ(シーズン3、待ってます)



そんなわけで、シーズン2全体の感想を文に残していたい。



おんがくこうろんは生み出した音楽とともにその作り手についても掘り下げる。だが、いずれにせよ、中心にあるのは音楽だ。
ここで面白いのが、音楽なんだけどどれか有名な曲一曲、ではない。
なんだけどただその人そのものの人生や性格などだけを掘り下げるわけでもない。
こうして文章化しようとして思う。不思議なバランス感覚と温度感をもって、成立していたあの構成はなんなんだろうな。



だけどともかく、レイハラカミの回を観ながら、ともすれば悲劇とも捉えられる、「物語化」してしまうものごとに対して、一度、音楽に焦点をあてて、そこにフォーカスしていくこと。
そしてその上でただ、それを単なる音楽的分析だけで終わらず、「その人」の分析になることはとても心地よく、すんなりと頭に入ってきて、終わる頃にはその人の音楽への価値観、思い、その人そのもの、曲そのものを好きになっていた。



好きが増えていく。
それはきっと、星野源のおんがくこうろんにあるのが、ただただひたすらに、好きの集合体だからだ。




もちろん、専門的な解説もある。しかもその専門的な解説がどれもこれも、誰が聴いても分かりやすいように噛み砕かれているから驚く。
例えばそれは、かいせついんのみなさんが語る言葉選びひとつ、林田アナウンサーの相槌や源さんのリアクションひとつをとってもそうだ。肩から力を抜き、ぼんやりと聴いても姿勢を正し、隅から隅まで聴き取ろうとしても楽しめる。
そして、パペットたちが画面にいることでさらにその空気が柔らかくなる。楽しそうに笑ったり頷いたりする彼らに何度かわいい!と心がきゅんとなっただろう。




画面の柔らかさはある意味でそこで解説される、語られる答えがただ唯一無二の「こうである」結論だとも示さない。ただただ、柔らかく、諸説ある可能性やさまざまな事実を並べてくれる。
そしてその一つ一つが好きに包まれて差し出されるものだから、私は居心地よく30分の番組を楽しんだんだろう。



印象的だったのは、ミッシーの回でのかいせついんのリアクションである。
本当に深い知識と分析があるうえで、何よりもかいせついんの彼女にとって大切な音楽であること、好きな音楽であることが伝わってきて私は嬉しくて、ほんの少し泣いた。そうしながら、当たり前なのだけど、かいせついんの皆さんは「好き」だからこそ、かいせついんなのだと気付いて、なんだかそれはとても、素敵だと思った。




この時代、何かをただただ純粋に好きでいるひとの姿を見ることができることが、どれだけ貴重で幸せな景色だろうか。



いつかの星野源オールナイトニッポンで源さんが俺について語ってくれるおんがくこうろんがあればなーと冗談っぽく(かつ、記憶を掘り起こしつつ書いてるのでかなり意訳ではあるけど)話していたことがなんとなく印象的だった。
確かに、おんがくこうろんで語られる好きを通した音楽の話はとんでもなく愛おしい。
それは専門的であるし、個人的でもあって軽やかででも重厚なその素晴らしいバランスだからだろう。




ジョン・ケージの回を観ながら、音楽とはそのまま生きていく手段なのかもしれないと思う。
それは、悲しい辛気臭い話ではなく、そういう創意工夫、生きていく中で肯定や愛情、優しさ、ともかくなんだかそういうものを形作る、かつ、そのために変に歪めるわけでもないものが、音楽なんじゃないか。

言葉にできない色んな想いがふわふわして困る。それこそ、こういうものはひとは音楽にするのかな。


そんなことをふと想像してしまうくらい、おんがくこうろんの眼差しは優しくて、そこにいる人たちはみんな愛おしい。






808回で語られた、心身ともに傷付いた音楽家にとっての無機質な機械だからこそ寄り添えたこと、また、まるで人格があるように思えるという源さんの言葉にもそんなことを強くより、思う。
音楽というものには、色んなひとの色んな想いを受け止める器の部分もあるし、ただ単に器というだけではなくて、寄り添い対話してくれる、友達のようなところがある。
それを信じている作り手が、この「星野源のおんがくこうろん」を生み出しているのかもしれない。



そうして世の中にある色んな人の「生きていくための手段」は、耕していつか何かになる。
そんなことを星野源は、そして星野源のおんがくこうろんの作り手たちは知っているのだろう。何が育つかまでは期待しない。でもきっと、それは素敵なものだと信じてくれる優しい眼差しが、私はとても大好きなのだ。