えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

RRR

RRRは、今年観た映画の中でも衝撃の大きなものだった。好きな、とか、一番良かった、とかよりもなんとなく私の中では「衝撃の大きな」という言葉が似合う。
友人に付き合ってもらって観に行ったのだけど、「ライブ前に観ようや」と無邪気に言ったことを後悔するくらい観終わった直後やられていた。ちなみに言えば、私の性格をよく知る友人には「ライブ前に大丈夫?」と言ってもらっていたのに「いけるいける」と軽く返した自分が憎い。えてして、自分のことって自分より周りが見えてたりするよね。



本当に良い映画だった。観て良かったとも思ってる。でもおいそれともう一度観るにはカロリーが高く、しかし気が付けばあの映画について考え込んでしまう。
それは単なる上映時間3時間という時間からくる話ではない。というかまじで3時間だとは思わなかった。体感30秒とはよく聞く表現ではあるが、まじで誇張なく体感30秒だった。あれなに?




ナートゥのシーンが好きだ。
本当に観た時からずっとナートゥのシーンが好きだ。そして気が付けばYouTubeで延々とナートゥのシーンを観てしまうし観るたびにすげえなあとテンションが上がってしまう。本当に素晴らしく、良いシーンだと思う。
このシーンを爆音で聴きたいと思うと、やっぱりもう一度映画館に行きたいと思う。






ところで、これはTwitterでも何度か書いていたけど、RRRのすごいところは音の演出だと思う。
暴力描写が苦手なんだけど、好きな暴力を伴うアクションシーンがある映画もあり、何が違うかを考えてみたら、たぶん、「音」なのだ。生々しい殴打音や皮膚を破る音などを入れるか入れないかでそこから伝わってくる痛みの感じは大きく変わる。そして、RRRは、この音がわりと容赦なく入る。ああ骨が折れた、と人生で思うことはそう多くないと思うけどRRRを観てる間は3時間、わりと結構な回数、思う。
ただ私は、RRRに関しては、この演出がとても好きで、好きでというか「必要だしあって良かった」と思っている。



その演出は明確に一つのことを私に伝える。
暴力には痛みが伴う。
格好良いだけではなく、またただ酷いと片付けてしまいがちなシーンも具体的にどう痛みがあるのか、どういうことなのか。理解る、と言ってもそれはあくまで私の頭の中での想像に過ぎない。だけど、想像はできる。してしまう。それが私にはこのRRRで描かれる物語にとって必要だったと思うのだ。



「そうはならんやろが全部起こってかつ納得する」
そんな風にTwitterでRRRが紹介される時に表現された。
観たことない手法、アクション、カメラワークにお芝居。そのどれもが心躍る。血湧き肉躍る、とはこれだとも思う。実際、RRRのアクションシーンは景気が良く、派手で、気持ちがいい。
だけど、パワフルな画面とは裏腹に沈む気持ちになったのも私は否定できない。


大英帝国をぶちのめせ、なのか?
人の子なら赤い血が流れているし、だとしたら幼い子どもにどうしてあんなにひどいことができるのか。
でも、そんな人も、人だとは思えない所業をする人も、大切な人を失った時、涙を流す。

同じ人だからこそ、途方に暮れるのだ。
全国民に武器が渡り、その時何が起こるのか。




でもじゃあ当たり前だけど、画面の中描かれる彼らの怒りを、悲しみをそれを晴らしたいと思うことを否定したいかと言われると、一切そんなことは思わない。自業自得だと思う。思うからこそ、途方に暮れてる。どうしたら、と思う。思うのは、どうしようもない、と思ってるからだ、きっと。



どれだけ爽快に見えるアクションも、そこで行われているのは痛みを伴う暴力だということ。
だけど、じゃあ、と単なる綺麗事では片付けられない怒りや悲しみ。



この感想も、痛みを知らないからこその平和ボケしたそれだろうと思う。うまく受け取りきれていないとすら感じる。



でもそれでもだからこそ、その作品中、描かれたナートゥのシーンが大好きだ。


そしてきっと、人々がこの映画をここまで愛してやまないのは、ナートゥのシーンやふたりの兄弟のシーンが大きいんじゃないかと思う。



そこに描かれる暴力や怒り、悲しみがリアルであればあるほど、そこにある愛に楽しいが生み出す笑顔に嬉しくなる。




ナートゥで英国紳士が参戦してきた時のビームの笑顔のことを思う。
歌が民衆を動かす瞬間を思う。


暴力以外の手立てを、と安易に言う気にはならない。そんな綺麗事で片付けられないものがたぶん、たくさんある。
だけどそれでも、ナートゥのシーンが好きだとはずっと思っていたい。



面白いと楽しいをこれでもかと詰め込み、その上で暴力や怒り、悲しみから目を背けず、でもただただ、自分の思う最高を作り上げてきたRRRは、本当に良い映画だと思う。