えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

アンサンブル・プレイ 12月8日さいたまスーパーアリーナファイナル

さいたまスーパーアリーナでのライブ。それを、彼らが想像もしなかった景色だといい、噛み締めるように時間を過ごしていた、その幸せな光景のことをずっと考えている。




ライブは生きていくためのインフラ。そう松永さんが語ったことにストレートに喰らい、数日間考え込んでいた。
実際、今まで参戦した名古屋公演、神戸公演の時にR-指定さんもここでの体験は自分たち演者にとっても非日常で、明日からの糧だとMCで語っていた。私はそれにも少し驚いて、そうか、としみじみ思った。
ちょうど今年は年末、観た他のお芝居でも思ったけれど、ああいう生の人が集まり織りなすエンタメはハレの場なんだろう。そういう空間の持つプラスの力が、私たちには要る。




ライブを観て「生きてて良かった」と思うこと。
それは、励まされる応援される、ただそれだけではない。ここに辿り着けて良かったという景色を観れることでもあるのかもしれない。そしてそれは、「いままで」の肯定になる。「これから」を続けるほんの少しの勇気になる。



ストーリーテリングで聞かせてもらった色んな人がいて、色んな人生があること、そしてそれは「私」がいるということでもある。「スポットライト」の前口上がずっとずっと、聴く度、好きだった。どの会場でもほぼ変わらず、R-指定さんが上げてくれるその言葉に何度もゴンフィンガーを挙げた。

そうだ、ここだってずっと、スポットライトで照らされている場所だった



ふたりのライブだけどそこにいる全員で作り上げるライブだと言う。
私たちの飛び跳ねる音がクラップが、音にならない気配が、ふたりに届いて上がる。



そしてそれは、日本語ラップのシーンについて話す時にも思いを馳せてしまう。
誰かの一人勝ちではないこと、それぞれがそれぞれの持ち場でぶちあげて今、このHIPHOPシーン・日本語ラップシーンがあることを語るMCを、聴きながらある意味でそれこそ「アンサンブル・プレイ」ではないかと思う。
それぞれが主役の群像劇が幾重にも起こり、こんな日につながっている。
誰かの一人勝ちではない、でもなあなあの「みんながよーいどん、一等賞」じゃない。それぞれの人生で主役でいるために足掻き、笑い、進んできた先がきっと、この日なのだ。




5周年記念ライブをついこの間、武道館で成功させた彼らだけど、12月8日に開催されたこのアンサンブル・プレイファイナルもまた、彼らの5年の集大成であるように思う。
語弊を恐れずに言うなら5周年の陰と陽とすら思った。武道館は陰で、アンサンブル・プレイファイナルは陽だ。もちろん、だからといって武道館をクサしたいわけでもないし、何もあれがネガティヴなライブだったとはこれっぽっちも思ってない。だけど、やっぱりどこか、武道館のライブは今に至るまでの苦悩や迷い、それを含んで前に進み続ける覚悟に重点を置いていたように思うし、それに対してアンサンブル・プレイは明るく、自信や誰かの……それはもちろん、彼ら自身を含み背中を押すことに重きを置いていたように感じた。
そしてそのどちらもが「彼らの話」であり、伝えようとしている言葉だということが、彼らの魅力なんだろう。





4回入ったアンサンブル・プレイ、全てで同じセトリが1度としてなかったことに驚いている。
まさしく「今日この日しかないライブ」を各公演で作り上げてきた彼らに尊敬しかないし、まじでどこにそんな時間があったの…?と考え込んでしまう。
それは単に曲の変化と片付けてしまうのは勿体無い。それぞれがツアーをやる中でその時その時で「彼らが見せたいもの」の変化なんだと思うとわくわくする。
もちろん、大きな大筋は変わらない。だけどほんの1.2曲が変わるだけでライブ全体のグルーヴは変化する。それは、DJとしてのDJ松永さんの繋ぎのうまさなのかもしれないし、曲と曲の合間を埋めて更に引き立てていくR-指定さんのライブ力の強さなのかもしれない。



何度も話す、お馴染みの話。MC中の珍事。
夢にさえ観なかった大舞台でいつも通りの彼らが見れたこともとんでもなく嬉しかった。
ドリエンライブで佐久間さんと宇多丸さんが、同じ話を何度もすることがいいのだと言っていた。なんとなく、そのことを思い出した。何度も聴いた話でも「ああまた言ってる」「またやってる」のやりとりでも、いやだからこそ、愛おしくて、好きなのだ。それは内輪ノリ、と片付けてしまうことも少し違う気もするし、でも表現するならその人たち自身をこれだけ好きになったからこそ感じる喜びになる。難しいな、言葉はいつも少し、追いつかない。
だけど短いながらに好きになってからの日々も含めて1日1日の積み重ねでの12月8日であること。それがただ彼らの中だけの実感ではなく、観ている私たち観客にも沁みて感じられて、それが本当に嬉しかったのだ。



頑張れとは決して言わない。でもこんだけすごい景色を見せてくれた彼らがどんな人で、どんな風に踏ん張り、好きなものを好きで居続けてきたのか、私たちは楽曲を通してではあるけれど、知っている。
そんな中で観た景色を愛おしく、最高だと思えば思うほど、もう少し頑張ってみようか、と、気持ちよく思ってしまうのだ。