えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

否が応でも一日が増えてく

朝焼け直前に家を出て、朝がじわじわくるのを見るのが好きだ。家の位置の関係なのか、私の感覚なのか分からないけどそういう時目撃するのは明確な朝日よりもゆっくりゆっくり夜と朝が入れ替わる空だ。
本当にゆっくり変わる。ああ暗いな、夜みたいだな、というか夜だな、が黒の色が紺に変わり、紺が次第に白っぽくなる。遠くに見える航空障害灯がぼやけていくのを見ながら飲む缶コーヒーは近頃飲んだものの中でもベスト3に入ると思う。




好きな音楽を聴いてるとなお最高に良い。
人が少ないからちょっと口ずさんだりもできるし、なんなら踊ったって良い。



誰かの不在は時として暴力だ。それはこの間観た映画を撮った監督の言葉を自分なりに噛み砕いて咀嚼した言葉だ。
そんなことを繰り返して考えることがある。
それを考える時はそうだよな、と思っている時というより「でもさあ」と考えてる時だ。



死にたいじゃなくて消えてしまいたいと好きなラッパーが歌ってるのを聴いてそうだなあと思うことがある。こんがらがったもの、情けなかったもの許せなかったり許してもらえなかったことを全部ひっくるめてなかったことにしたい。逃げたいし消えたい。嫌なことや嫌なやつを消したり暴力を振るったりできないから、だったらこっちがいなくなる折衷案で手を打たせてほしい。




ただ、そうして選んだ選択がどれくらい人にダメージを残すか、知ってるつもりだ。その不在は、自分が好きだと思うひとほどダメージを受ける暴力に変わる。




自分が誰かにとっての特別じゃない相手だとしても、不在の強さは、そんな関係を飛び越えてその人の人生に染み付く。し、たぶん、自分で言うのもあれだけど、そこそこに私のことを大事に思ってくれてるひとがいるわけだ。
それを認めないのは、そうであった方が自分を投げ出せるという自分のための楽のために他ならない。自分が大事に思われてない方が都合が良いことは時々、往々にしてあると私は思うのだ。




あなたの今の体調不良はきちんと怒るのが苦手で怒ってることを全部なかったことにしたから代わりに身体の不調に変えて身体が訴えてるんですよ、とこないだ病院で言われた。なるほど、とも思うし、でも結構私、怒ってもいるんですよ、とも思う。やっぱりその怒りも私が好きだな、大事だな、と思う人にほど伝わって心配や迷惑をかけてるので、ままならねえな、と思う。



いつだか、夜中に見かけた「あの人はそんなことをするような人じゃなかったのに」という言葉がいまだに自分の中でこべりついて離れない。それはその人の、それこそ決死の覚悟での優しさだったんじゃないのか。それをそれすらを今もないことにされて、理想を押し付けられて生きていかなきゃいけないこと自体、酷い話じゃないのか。




そういう、不意打ちで誰かに話すにはちょっと出し方次第ではただただ誰かを消耗させてしまう話をずっと考えて考えて、考えすぎて何もなくなるくらい考えて、夜明けの道を歩く。歩いて歩いてしてるとだんだん頭の中で言葉が溶けてまあ良いか、に変わる。
気分が良くなって、なんてことはないけど、好きなアルバムも一枚聴き終わって次は何聴こうかな、ってちょっとわくわくしたりもする。





そして、空はいつのまにか完全に朝に変わる。
道を歩くひとの数が増える。すれ違うひとの顔がちょっと晴れやかに見える。ああ、一日が始まるんだな、と思う。






流石に今は早い時間すぎるけど、もうちょっと時間が経ったら友達に連絡しても良いかもしれない。今すぐ遊ぼうなんて予定じゃなくても、先延ばしにしていた約束を取り付けに行っても良いし、特になんでもなく、楽しかった話をしてもたぶんなんでもないまま一緒に話をしてくれるだろう。
そんなことを自然と考えたりもする。
ついでに言えば、誰かからそういう連絡がきたら、それがあなたからなら、私は結構嬉しいんだと思う。



MIU404の感想の中で口にした言葉を思い出してたよ、と友達から言われた。自分のために残した言葉を誰かがそう言ってくれるなら残しておくことはいいんじゃないかと思った(その言葉はラジオごっこで口にした言葉だから、厳密には残してはないんだけど、それはそれとして)
かと言って、やっぱり私は誰かのためにはたぶん、書いてない。自分の言葉で自分のことを雁字搦めにしてそれを命綱だなんて呼んだりするんだ、たぶん。




だからこれは、あなたを励ます言葉ではない。
そもそも、励ますつもりもない。
だって、あなたの不在が誰かにとっての暴力になり得るけどその覚悟があるか、と問い掛けてるようなものなんだから、励ましなんてもののはずがない。
それでもとやる選択を許さないのもなんか、違うんだけど。そしてだから責めたいというのも違うんだけど。もしもの時は、それだって一つの正解だろう。





それでもそれはそれとして、少なくとも今、否が応でも一日が増えてく。ここにいる限り、一日は増える。
積み重なっていくだけに思えるその中で時々、たまらなく楽しい日がある、嬉しくて何回も何回も繰り返し思い出す日がある。
今日はもしかしたら、そんな日かもしれない。