えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ウタのライブのあの席にいたのは私だった

※映画ONE PIECE Film REDのネタバレを大いに含みます



ウタに向いた愛情も憎悪も冷笑もどれも覚えがありすぎた。あそこに、あの観客席にいたのは、たぶん、他でもない私だ。




ワンピースの映画を映画館に観に行ったのは何年ぶりだろう。
その上、ぶっ刺さった要素が周りの声と比べてズレてる気が薄々してきた。


そもそもこの映画は話題が盛りだくさんになってる。
ウタがシャンクスの娘である、というとんでもキラー設定により賛否を呼び起こしまくっているし、
ついでに言えばあのキャラもこのキャラも詰め合わせ、キャストスタッフともに超豪華みたいなお祭り映画なわけですごい騒ぎになっているわけだ。


ウタというキャラクターがワンピースという世界に及ぼした波紋とか、親とは、という話とか。
話し出すと止まらないくらいの要素が詰まっていて、かつそのどれもがかなり強いので、人によってはそのうちのどれかが飲み込めないということはあるだろうし、そうなると映画自体が楽しめなくなることはそうだよな、と思う。



そして私は、もちろん、それらの話だってしたいのだけど、私がここまで観てから数日考えた理由はきっとそのどれでもない。



私がONE PIECE REDがぶっ刺さった要因はただ一つ。
ウタが所謂世界中を熱狂させる歌手であり、
そしてストーリーがそのウタの初めて人前でやるライブによって進むというそのコンセプトである。



冒頭からライブに向けた熱狂、この2年間人々にとってウタが、そしてウタの音楽がどういうものだったかが描かれる。




私はライブが好きだ。音楽が好きだし、生のエンタメが好きだ。
ライブとして楽しいので、と先に見ていた友人達が口を揃えていっていたことをすぐに納得した。できたらぜひ良い音響のところで私も見て欲しい。


だからこそ、そこにああして喜び、手を挙げはしゃぐ人々の気持ちが痛いほど分かった。この音楽、この瞬間のためにやってきたのだ、と思うような瞬間を、私は知っている。

しかし、その気持ちは徐々にひりひりした気持ちに変わっていく。ウタちゃんは良い子だ。可愛くて、フランクなキャラクターは親しみやすい。でも、その子は色んな人から想いを託され、その一つ一つをなんとなくで受け取らず全部全部真っ正面から一つも取りこぼさず、受け取って、"世界を変える"計画をぶち上げてしまう。



私は、音楽で世界を変えられると思っていない。
楽しいことだけの世界になればいい、とも思っていない。そりゃ、なれば素敵だ。
悲しいことのない世界。楽しいことだけあって苦しみはなく、みんなが笑ってる世界。そんなものは存在しないのだ、とそれでも思う。だって幸せも楽しいも人それぞれで、かつ、きっと苦しいや「変えたい」という思いがなければ世界は止まってしまう。
だからこの世はずっと苦しいし人間はクソだし、音楽はエンタメはそんな地獄で寄り添ってくれるものであって、なにかを変えたりはきっと、しないのだ。
変えられるとしたらそれは、暴力でしかないのだと、私は思う。



まあでも、それを願って祈って、寄り添ってくれた音楽にそれを生み出したひとに、勝手な願いを信仰を感情を、押し付けたことが私は何度も何度もある。
その感情願望が暴力だと何度も自問自答して、相手は神様でもなんでもなく同じ人間なんだと確認して、そうやってなんとかやっていってるひとりのオタクである私にとって、ウタの言動、一つ一つが刺さった。
ごめん、もう良い、もう良いよと何度も心の中で言いたくなった。でも、きっと、私たちのためでもあると同時に、彼女自身のためでもあったあの行動をどう思えばいいのか分からなくて、まだずっと考えている。


ああ本当に、ままならない。




自分の力の暴走の結果、人々を殺し島を一つ壊したのだと知っていたと吐露するウタが、それでもこの計画を止めることはできなかった、と言われたシーン。心臓が痛かった。
その時のことをずっと考えている。
自覚があったなら、知っていたなら何故止まれなかったのか。その理由を考えれば考えほど、私は苦しい。




活動1年で、その頃には「ウタの歌、音楽に救われました」って言葉を受け取ってるだろうからこそつらい。


その時知ったとして「実は私は島をひとつ滅ぼしていたみたいです、自分の歌は誰かを幸せにできません」なんて言えるだろうか。



それは自己防御というのももちろんあるけど、ぎりぎりのところで自分の音楽を支えにする人を大きく傷つけて裏切ることになるのだ。
(ということを、フィルムを聴いて自分がここで自殺したら、死んだら自分の音楽を聴いてくれたひとを裏切ることになるって踏みとどまった源さんのエッセイを読んで思うなどした)




じゃあせめてシャンクスを恨むな、と言えばそうなんだけど、整合性というか、自分を言い聞かせて思い込ませて、誰かのせいにしないと生きていけなかったウタの弱さだし愛おしさだろうな、と思う。
というか、知ってからどんどん今回の計画に向けて追い詰められていったんだろうな、という気持ち。


あとウタ的にシャンクスにだからこそ近くにいて、助けて欲しかった、はあるかもしれないし、でも同時に自分が島を滅ぼしたから嫌われたのかもしれないって恐怖もあっただろうし、と思うと、ウタの絶望的な気持ちや恐怖を感じて具合悪くなる。
そりゃあんな無茶苦茶な計画立てるよ…。



無茶苦茶だったけど、そこにあるのは痛切で強くて優しい願いだった。
どこかで掛け違ったボタンが、押し損なったスイッチが、悲しい方向に突き進むことを、それに私たちが憧れ、大好きなルフィやシャンクスが手を伸ばし続けるのを、ひたすら、目に焼き付けていた。



自分が、日々好きだと思うもの。これがあるから生きていけるのだと身勝手に感情を願いを託してきたもの、ひと。
そんな大切なもの一つ一つのことを、考えていた。どうしたら、とずっと考えていたし考えている。
それでも、そんなものがひとが私は好きで大切にしたくて生きていく中で必要で、でもその感情をただ「良いものだ」と呼ぶのには懐疑的で、そうやって、ずっとやっていこうか。



何かをただただ楽しむことの暴力性についたも容赦なく描いた上で、でも音楽が何より映画がどれだけ素敵なものかも見事に描いたこの映画が、私は大好きだ。


答えは出ない。考え続ける。でも、それで良いのだ。
こうだから間違えていた、正しかった、そう言い切るんじゃなく、考えて考えて、生きて歌うこと、楽しむこと。目の前の誰かを大切にすること。
変わらず、楽しい冒険を、仲間を描く物語を生み出し続けてくれているのだと久しぶりに体感した私が分かるのは、今はただ、そうしてこうして出会えた物語を真っ直ぐ大事にしたいというそれだけだ。