えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

日本語ラップに支えられた2022

福岡の街を歩きながら、「あ、いいな、このイベント、こんなメンツ集まるんだ」と思わず写真を撮った。一年前なら絶対に気に掛からなかった看板だった。
いかつめの出演者たち、派手なデザイン。



2022年、色んなことがあったけど大きなトピックは日本語ラップにハマったことだろう。
2021年の初め頃にCreepy Nutsにハマった頃はまだそこまでではなかった。あくまでCreepy Nutsが好きなだけで、そこから日本語ラップを掘り下げようとは思っていなかった。
ところが、ツーマンの生業や日本語ラップ紹介ライブ、梅田サイファーのメンバーのライブ、梅田サイファーのライブと手を広げれば広げるほどそこには面白いものが広がっていた。

そしていつの間にか、日本語ラップの曲たちが私のプレイリストには埋め尽くされるようになり、自然とそんな情報が街の中、歩いていると気になるようになった。
間違いなく、この音楽に出会わなければ2022年は全く違う形をしていただろうな、と確信を持って口にできる。




ここから先に書くのはあくまで「私にとっての」の話になる。なるのだけど、HIPHOPというカルチャーにとってその事実一つ一つが、何よりも大切だと思うのだ。


HIPHOPとは、「自分の格好いい」を信じ貫き、それが誰かの格好いいになることだと思う。いや極論、誰かの格好いいにならずとも構わないんだろう。でも、貫いたそれは大体誰かの格好いいになる。と、思う。


2022年の初め、あるいは春、夏、私は都度都度、自分の言葉にやられていた。





日本語ラップに惹かれてからつくは言葉に慎重になった」といつだか友達に言われた。私としてはそれは少し当たってて少し違う。
言葉にすることに怯んでいた時期に「それでも」と思わせてくれたのが、たまたま日本語ラップだったのだ。




言葉が好きだ。文を書くのも、喋るのも好きだ。
でも喋れば喋るほど、形にすればするほど、お前は違うと言われるし話したくないと言われる。




どうしたら良かったのかを考え、口を噤むしかないと思った頃に生業の札幌に行った。


そこにいた二人は、言葉にし続けた人たちだった。
言葉にしたことをなかったことにしなかった人たちだった。


その人たちが言う。目を背けずに続けてきたらこんなところに辿り着けた。



夏、そうして尽くそうが伝わらないと諦めかけた頃、野音での日本語ラップ紹介ライブや米カンパライブ、テークエムさんやKZさんのライブに行った。

そこにいたのは、諦めない、伝え続けることを選んだ人たちだった。
伝わらなくても意味はあるという人たちがいた。共感はなくても、理解し合えることを教えてくれる人たちがいた。



そんな人たちに出会うたびに「日本語ラップ」自体に興味を持つようになった。そこには、自分が言葉にするのを諦めて、我慢して殺した言葉に近いものがたくさんあった。それは、もしかしたらそれぞれの人にとってその人自身のために綴られたものかもしれないと思うものもあった。でも、むしろだからこそ、私にとって、その一つ一つがとても有り難かった。嬉しかった。



カンパライブでSHINGO★西成さんが言ってた、家に帰ったら好きな音楽をかけたら良い、がずっと頭の中に残ってる。
この一年、ずっと帰ってきてから好きな音楽を聴き続けていた。家に帰れば、好きな音楽だけが流れる空間を作れる。そう思えることが、とても心強かった。



熱しやすく冷めやすい自分なのでいつまでこんなふうに日本語ラップを聞き続けるか分からない。もしかしたらすっと熱が引く可能性もあるし、もっともっと好きになって聴くアーティストが増えていく可能性もある。
でもどちらにせよ、こんな風に音楽をする、言葉を紡ぐ人たちに出会えてよかった。



最近思う。
何があっても、好きになった時間は消えないのだ。良いと思って、過ごした楽しんだ事実はゆっくりと自分の中に蓄積されていく。
いつか形や名前を思い出せなくなる日がきたとしても、その時自分を形作ったものは消えたりしない。
そう思うと余計に、今年、この音楽を楽しめてよかった。でも、願わくば、ずっと、できるだけ長くこの音楽を楽しめる自分でいたいな、とも思う。