えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

selectshop MAISON de SIGN2周年イベント

頭の中がごちゃついてる。たまたま知ったライブで、梅田サイファーのライブが延期になった悲しさだとか色んなことがうまくいかない嫌気だとか、好きな曲生で聴けるかなあっていう打算とかでつい1週間前に行くことを決めたライブ。
そこであったことを覚えておくために、とりあえず文を書こうと思ってる。



selectshop MAISON de SIGNの2周年企画のライブに行ってきた。1アーティスト45分持ち時間のショーケース制のライブ。
ところで、その中身が最高だった話をする前に、予約時点でかなり元気になった話をしたい。

そこそこ遣る瀬無い気持ちをなみなみにしていたので、それを吹っ切るためにと思い切って予約したライブ。そこの予約の際の備考欄に気になるアーティストの出演をきっかけに予約したこと、ほかの人のライブも楽しみなことを書いた。
その予約確認メール。あまりの手際の良さに自動返信かと思いきやコメントが一言添えてあった。私が気になるアーティストさん以外にも素晴らしいアーティストさんがたくさんいるので、当日楽しんでください、という一言。



世の中に楽しいエンタメは溢れていて、色んな人がいて、しかもそのどれもが大体オートマ化しているので忘れがちな「イベントの向こうに人がいること」を私は改めてその時実感した。
しかもその人は自分の好きなアーティストをはじめ、その人が大好きな人たちを集めて最高の時間を作ろうとしてる。なんかそれだけでもう、かなり嬉しかった。噛み締めたし何度もメールを読み返した。これだけでなんか十分、幸せな気持ちになった。

誰かが音楽を楽しんで、しかもそれがあれば最高のイベントになること、それがお店のお祝いになること、パーティーなことを確信しているということ。それはなんだか、最高で、嬉しい事実だった。



そんなわけで、体調を崩さないように祈って朝一、熱測って平熱でコンディションも悪くなくて迎えたライブ当日。
とんでもない時間で、それを少しでも真空パックにして忘れたくないのに、でもたぶん、間違いなく忘れていくんだろう確信と、それでも受け取ったものを失くさないぞという気合いでもって、こんな文を書いてる。



知らないユニット、バンドのパフォーマンスから始まった時間。知らない音楽に身体が揺れることを思い出した。知らない曲でも拳は挙げられるし、踊れる。
世界はどうせ変えられない。そんなMCのことを思い出してる。
変えられないんだよなあ。どうしたって。
ロックにインスドゥルメタルやHIPHOP。音楽ジャンルごちゃ混ぜだったけど、どのアーティストも熱量とか怒りとか楽しさとかなんか、盛りだくさんだった。それが居心地良くてひとりで場面転換の間ぼんやり照明を眺めるのも最高に楽しかった。
THEライブハウスに行くのもそういや、久しぶりだった。コロナ禍に入り、アリーナやホールには行っていたけど、ライブハウス、は私の日常からなくなってたな、そういやめちゃくちゃ私はライブハウスが好きだったよな、と思った。


色んなアーティストが好きなひとが一つの場所にいて、知ってる音楽にも知らない音楽にも手を挙げて身体を揺らす。めちゃくちゃそれが居心地良くてふわふわ楽しんでいた。
初めて聴いたインストバンドがまっっっじで最高で。なんかこう、あ、すげえと思った。好きなものが増える。すげえ。
インスト、静かなイメージがあるけど、全く容赦なく賑やかで楽しそうで、音楽すげえ、楽器すげえ、といっこいっこにはしゃいでしまった。
あー来てよかった、と思った。予約メールの返信を思い出していた。本当だな、ほかのアーティストさんも最高だった。好きな人きっかけで予約したけど、予約して良かった、とこの時点で思えて本当によかった。



そして、そうこうしてたら梅田サイファーからのKZさん、テークエムさんのターンがやってきまして。
場面転換がスムーズにいったから、とDJプレイから始まって、もうなんかその時点で「あ、すげえ」とびっくりした。最高とかすげえしか言ってないけど、すごい、だって好きな夏ソングがかかってフロアをどんどんぶち上げていくの「あ、すげえ?!こういうことか!」とテンション上がったし、スチャダラパーサマージャム'95を一人の部屋以外で楽しめたのすごく嬉しかった。
この時点でお腹いっぱいで嬉しかった。

からのKZさんターン。
HIPHOPは広くて深いという話から始まって今日は深い方のパフォーマンスです、という言葉から始まったパフォーマンス。



今自分が30歳で、なんとか毎日過ごしてるわけですが。
「ずっと遊べると思ってた」という言葉が身に覚えがありすぎて、音楽にノるとかいう余裕が全部なくなってしまった。
HIPHOPをこの数年好きになって、どこが好きだという話をする度に言う「俺の話をする」ということの本領発揮というか、ああこういうことか、がそのままストレートに刺さる。自分を勝手に重ねる楽しみをただただはしゃぐんじゃなくてそれこそ「深いところ」で味わった気がする。


ちょっと前にラジオごっこでも話してたけど、「こんなもの」って諦めて捨てるしかないと思ってたことを、意味があるものにしてくれる、そんなHIPHOPに私は何度もこの数年、元気になる。



そこからテークエムさんにバトンタッチされて「インターバルをください!」と心の中で叫んでしまった。食らいすぎていたので。足ガクガクしてたというか、気合入れて立ちすぎて本当に足のヒラがやばい感じになってた。

あの、ぶっちゃけ、今回「Leave my planet」が生で聴きたい、という感情から行くことを決めた。去年の秋に聴いた時から繰り返し繰り返し聴いて、今年の夏から調子を崩す度にかけてたアルバム。
でも好きな何回も聴いたアルバムの曲を生で聴くってすごいことなんだな。もう何度も色んなライブに行ってるのに毎度驚く。自分の好きな曲が、音楽が存在する事実を何度も何度も確認できることはすごく、幸せなことなんじゃないか。



毎晩寝る前、明日目が覚めなきゃ良いと思うし、毎朝目が覚めたことにがっかりしてしばらく、布団の上で頭を抱える。
それは別に病んでるとかっていうよりかは性格的なものだし折り合いをつけて最低限の迷惑で済むように自分でバランスをとっていくしかないものだと分かってる。そうやって仕方ないって言いながら毎日過ごしてほつれた部分が直されていく。
諦めたりそんなもんだ、と片付けたことを全部拾ってきてもらったような気がした。ラッパーが綺麗事言わなくてどうする、という言葉に本当に来てよかったと思った。
こういう言葉を音楽を受け取りたくて、私は今日、ここにきたんだ。


selectshop MAISON de SIGNのことを考えながら音楽を聴いていた。このライブきっかけで知ったセレクトショップだけど。
色んなアーティスト、バンドも、KZさんやテークエムさんも、好きなもの、自分がイケてると思うものを集めて飾って作り出して届けてくれる。
世間がとか、バズるものとかなんとなく正しそうとされてるものとかじゃなくて、自分が「最高」だと思うものを信じて、それを届けるための方法をいくつもいくつも磨いて、そこに立っている。そうして生きていくことはなんとなくで「仕方ない」で諦めることの真逆にあった。
そのことを噛み締めて、何度も思い出して、諦めそうになった時に思い出す記憶の箱の中に詰め込んでる。



不可能から可能は、遠くない。



受け取ったその言葉を、忘れずに今日、やっていく。平日になって、今日もダサくて今すぐ消えた方がマシなような邪魔なんじゃないかって不安だとかはとりあえず押さえつけて、自分にだって、不可能から可能に変えられると念じながら歩くための時間が、そこにはあった。