えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

好きなもののことなど

好きなものの話をする。
大泉洋さんが好きなんだけど、洋さんが北海道で以前連載されていたエッセイで好きなものと嫌いなものの話を淡々とするのがあって、
私はあれがとても好きで、なので、好きなものの話をする。




お芝居が好きだ。
劇場で観るお芝居が好きだ。最寄り駅から道を確認しながらのんびり劇場に向かう時間が好きだ。グッズを買って、鞄にしまってメガネをかけて客席の会話をぼんやり聴きながら時間を待つのが好きだ。
前説で色んな工夫をしてくれる公演が好きだ。
別に、前説面白いことをしてほしいわけじゃない(し、たまに、その面白いこと、は疎外感を感じることもあってしんみり寂しくなることは実際ある)客入れの音楽を聴きながらお芝居の内容を想像するのが好きだ。
お芝居を見た後、好きだった台詞を忘れないように頭の中で呟くのも好きだ。なんなら家で声に出して見るのだって好きだ。
生身の人が、力一杯台詞を吐くのを観るのが好きだ。びりびりと身体が震えるその瞬間が好きだ。
生で見るお芝居は、観客の些細なリアクションで表情とか空気感が変わって大好きだ。


頭がぐちゃぐちゃになるストーリーが好きだ。ちょっと苦味がある笑いだって、ストレートな力技な笑いだって好きだ。
日替わりアドリブシーンはちょっと苦手だ、でも、それにも最高!ってなることはある。
できたらハッピーエンドが好きだ。手放しじゃなくても良いから、でもやっぱり、笑っていてくれる終わりが好きだ。



映像で観るお芝居だって好きだ。
がっつり観るのも良いし、巻き戻して好きなシーンばっかり観るのも好きだ。
生で観てたのに景色が全く変わる瞬間は、毎回わくわくする。
観るとはなしに、家の中で流れてるお芝居も好きだ。たぶん、私は時々、好きなお芝居のことを同居人みたいに思うことがある。


ライブが好きだ。拳を突き上げるのもフラッグ振るのもタオルを振るのも好きだ。
歓声に怯むことはまあ、正直あるけど、それでも嬉しそうにしてるファンの顔を見るのが好きだ。それにあがるアーティストの気配ににこにこするのもサイッコウに好きだ。
ダンスや音楽に乗っかるのも好きだ。
MVや、音楽番組では見れない演奏する人のそしてそれを聴くひとの嬉しそうな顔を見るのが好きだ。

音楽で気持ち良さそうに目を細めるアーティストを観るのが好きだ。
カーテンコールでさっきとは全然違うだけど満ち足りた顔を役者さんがしてくれる瞬間が好きだ。


映画が好きだ。映画館にふらりと出掛けて気になった予告を手帳にメモするのが好きだ。人が詰まってる映画館も片手で足りるくらいの映画館も好きだ。
没入しながら、ほんの少し違うことを考える瞬間が好きだ。日常生活の中に映画を招いたみたいな気持ちになる。
映画だから観られる景色、表情が好きだ。


ドラマが好きだ。全てがそうというわけではないけれど、でもほとんどのドラマがテレビを着けるだけで観られて、やっぱり私はそのフランクさが好きだ。近所に住んでる幼馴染みたいな気軽さの存在がいてくれることに安心する。
Twitterのタイムラインで同じドラマを観る人たちがああでもないこうでもないというのを眺めながら観るドラマも、ひとり向き合ってずぶずぶ沈んでいくように観るドラマも好きだ。



ラジオが好きだ。どんな時でも笑い声や話し声を聴いてたら楽しくなる。映像がない分、想像できるから好きだ。一緒じゃないのにひとりじゃないから好きだ。ひとりじゃないけど、一緒にいる必要もないから好きだ。



コーヒーやお酒が好きだ。何か飲み物が好きだ。そこに誰かの好きやこだわりが介在するから、そしてきっと自分がそこに完全に加わることがないと分かってるから好きだ。



誰かが好きなものの話をしているのを観るのが好きだ。布教されることは苦手だ。でも、誰かが嬉しそうなことは単純に嬉しいから好きだ。素敵なものがある、ということを確認できる気がするから好きだ。



文を書くのが好きだ。書けば書くほど、自分の自我が詰まり過ぎてる文にうんざりするくせに、それでも気が付いたら文を書きたくなってしまう。
でも、やっぱり、そうして恥ずかしくてメモアプリの奥底に仕舞い込んだ文を数年越しに見ると懐かしくて、懐かしいと思えることに嬉しくなるから、だから文を書くのが好きだ。時々、誰かに届いたりするのも、たまらなく嬉しくて好きだ。





この間、星野源さんがゲスト出演された夜会で好きなラブソングの歌詞をみんなで話していた。私はそれが本当に本当に好きだった。好きな理由、好きなものがてんでばらばらで、でも別にそれを茶化すわけでもほぼなくて、すげえ良かった。
その上、そうして「好きです」と言われたものを生み出した源さんがすごく真剣な顔をして聴いていたから好きだ。まるで聴き逃すまいとしてるようにも、こんなことを聞けるなんて、とでも言い出しそうなようにも見える、そんな表情で聴いていたことをあれから繰り返し繰り返し、思い出してる。
それからいつも、ああ好きなものがあって良かったな、と思う。そうやって、毎日、確認作業をしている。



好きなものは、ひとは、たぶん私にとって「まだこの世界を許せる」と頷くために必要な一つ一つなんだ。それはたぶん、結局私の場合、まだ私は私を許せる、と頷くことなんだろうな。