えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

サーカス・メロディー

今更ながら、ここ最近2014年にリリースされたDJ松永さんのアルバム、サーカス・メロディーをひたすら聴いている。なんだか急にぶっ刺さり、繰り返し繰り返し聴いてしまう。
元々はこの中に収録されているR-指定さんとのCreepy Nutsとしての曲「トレンチコート・マフィア」をひたすら聴いていた。
ライブで聴き「盛り上がった」ことと、その後の刺し方、ステージとしての演出、HIPHOPが「自分ごと」を表現する音楽であること、かつ、それに勝手に自分を重ねること。
そういうことを改めて考えた大好きな曲だったわけですが、他の曲も聴きたくなった。


きっかけはたしか、Apple Musicの自動シャッフルですれ違い狂想曲が流れたことだったと思う。


すれ違い狂想曲 feat. コッペパン

すれ違い狂想曲 feat. コッペパン

  • DJ松永
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255



これはCreepy Nutsの犬も食わない、とかもそうなんだけど、ちょっと落語っぽいというかストーリーが進んでいくような曲を聞くとついついにやにやしてしまう。
うん、そう、落語に近い。
この曲のオチがどこにいくのか。そんなことを想像してニヤニヤする。もちろん、メッセージ性の強い曲も大好きだしひたすらチルに徹底した曲だって好きだ。でもなんとなく、落語な構成の曲を聞くと楽しくなる。



そんなわけで、自動シャッフルモードが発動するとすぐさま自分の好きな曲に切り替えてしまう私にしては珍しくじっくり一曲聴いてしまった。手元にあるアルバムだから聴いたことはあるはずなのに、なんだかその時、妙に耳に馴染んだ。コッペパンさんのフロウも好きだな、Rさんのお芝居っぽい歌い方好きだな、そう思いながら、やけにメロディが気になった。



あれ、もしかしたら私は松永さんの作るメロディ、かなり好きなのでは?



そう急に思い至る。
いや、Creepy Nutsの曲は好きだと思っていた。それはもうずっと思っていたし、その理由がRさんの言葉が好きだからだけだとは思ってはいなかった。
でもいつも音楽に対する解像度が低く、音のリズムだとか高低だとかを理解しながら感じながら聴くのがへたくそな私はなかなか「この人の音楽が好き」をメロディから自覚することは難しかったりする。しかし、この聴いてる時の「気持ち良さ」はなんだ。言葉のリズムか?それは間違いなくある。そんなことを思いながらCreepy Nutsの音楽作りのやり方を思い出す。



松永さんがメロディを一節送ってRさんが言葉を乗せて、その繰り返し。そこから曲が生まれる。Rさんが泳げるメロディを生み出す、という話をふと思い出して、いやこれは、もしかしたらかなり松永さんの作る音楽が好きかもしれないぞ、と思い至り、今までCDで聴いていたのを全曲ダウンロードして聴き込んでいる。



いやもう、めちゃくちゃ好きだな、このアルバム。



音楽としての良さを語れるなら語りたい。ただどうしたって自信がない。
言葉にしようとすると「めちゃくちゃ気持ちいいから聴いて」という体感の話になってそれじゃあ一言で終わってしまう。
でもどうしても私は今この好きなものの話をしたいので、「私から見たサーカス・メロディー」の話をしていきたい。



サーカス・メロディーっていうタイトル、まず天才過ぎる。このジャケットが単純にデザインとして好きだ。
更に言えば、色んなラッパーと音楽を作りまとめたこのアルバムにこれ以上ピッタリな言葉があるだろうか。サーカス。まじで、まさしくそれ。
こうしていっぺんに色んなラッパーの音楽・言葉を、しかも同じトラックメイカーのメロディにのせて聴くと、改めて音楽・HIPHOPの表現幅の広さに驚く。同じ音楽ジャンルでも全く味わいが変わる。



色んなひとが気持ちよく泳ぐ場を作り出すことについて、私は想像する。
言葉をメロディに乗せていくことを泳ぐ、というのはなんだか素敵な表現だと思う。どこまでもその場で進んでいける、ぐんぐんスピードに乗っていく。そんな光景をいつも想像する。
サーカスも色んなジャンル、表現を一度に楽しめるという意味では、本当にまさしく、なタイトルだと思うし、それらが共通して「楽しませる」につながるのもそうだなあ、と思う。


2014年に出されたこのアルバムは本当にバラエティ豊かだ。だけど、どこか一貫したテーマのようなものを感じるような気がする。メッセージ、というと少しズレるし、同じお題で描いてる、とも思わない。(実際、すれ違い狂想曲とトレンチコートマフィアはノリもテーマも全然違う)




例えば、サーカスという言葉から受けるわくわくする感じとともに目に飛び込んでくるジャケットのどっか不穏な感じ。
それはある意味で、去年発売されたMUSICAでDJ松永さん自身が自身のメロディの特徴の比喩として口にしていた「古くさいすえた匂い」にも通じるものなのかもしれない。



サーカス・メロディーに収録されてる曲はどれも徹底して"DJ松永"の音楽であるのだ、と思った。DJ松永さんのメロディと各ラッパーの化学反応。DJ松永さんが作った"サーカス"で彼のプロデュースによる様々な表現を堪能できる。



このアルバムがリリースされた2014年はCreepy Nutsの活動が始まった次の年だ。
更に言えばこの年、フジロックに初出演からの2015年には彼らの活動の大きな変化のきっかけである「たりないふたり」が発表されてる。
2022年から振り返ればこのアルバム含めて、今の「土産話」に繋がる意味のある一歩一歩だったわけで。
とはいえ、発表当時、これからどうなっていくか見えないなかでのでもいい音楽を作るのだという自信とか意地とかそういうのが、なんか、私は心地よかったのかもしれない。

こんなことを思うのはもう、完全に私のHIPHOPを聴く時のスタンスが恥ずかしいくらいに「自分ごとを彼らの自分ごとに重ねていく」だからなのかもしれないけど。




それでも、そんな頃に作られた松永さんのメロディに様々なラッパーの「表現」が乗っかって泳ぐのが堪らなく気持ちいい。
古くさいすえた匂い。賃料をひたすら抑えることだけ意識して最低限の生活ができるとこ、で選んだワンルームの今まで住んでた家を思い出すからかもしれない。でもそこにあるのは、拭い去れない劣等感だけじゃない。そこから這い上がってやるという気持ちだとか、自分の表現を自分だけは信じ続けようという意地だとか、なんだかたぶん、そんなものだったような気がする。
そんな気配が濃厚にあること、そしてそれを色んな人と表現していることが、このアルバムを聴くたび嬉しくなる、気持ちよくなる理由なのかもしれない。
そして、そこからCreepy Nutsが、DJ松永さんがそれこそ本当に「成り上がっていく」ことを知っているからこそ、わくわくする。その中でも変わらず、いい意味であのワンルームの窓から見えていた光のようなものは見えたまま、彼らの音楽が、今日も続いてることが、たまらなく嬉しくて、最高だ。



あとやっぱり、色んなラッパーとの共演だし、ただメロディを提供してる、だけじゃないから最高にわくわくしたんだと思う。
トレンチコートマフィアのラスト「We are トレンチコートマフィア」前のメロディを聴いて思う。ただのメロディじゃない。まるで、喋る声が聴こえるみたいだ。
最高に気持ちよく言葉を乗せていくの、気持ちいいだろうな、と想像する。めちゃくちゃしっかり、対話しているような、そんな気がするので。


どんどん好きなものが増えていくのが、あまりにも嬉しくて、そしてこのアルバムがうまく言葉に言えない部分で好きだと思ったから、言葉にして残しておく。言葉で言えない部分は、こうして思い出すきっかけを作っておかないと、それこそするりと手の中から滑り落ちてしまうので。