えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

さんきゅーオールナイトニッポンJAM

朝起きた瞬間、目の前がぶっ飛ぶかと思った。
そこそこにコンディションが悪かった朝だったけど、Twitterでその知らせを見てからこっち、ずっとテンションが高い。課金もサブスクも苦手な私がほぼ躊躇いなく会員登録していた。


オールナイトニッポンのサブスク解禁。

2000年以降の番組マスター音源の蔵出し。スタートこそ30番組(かつ、各番組も5エピソードずつくらい)だけだけど、これからどんどん増やしていくらしい。




ニッポン放送からのお年玉かなんかか。クリスマスプレゼントか。父の日のプレゼントか。
もうなんか、本当に嬉しい。
そもそも、ラジオは基本的に聴き逃したら聴けない。radikoのタイムフリーだって相当やばい機能だと思うし、私はこの機能がなければ聴けていない番組があまりにもあるというか、なんなら、生活を丸ごと夜型に変えることすら検討しかねないし、となると、人生の、形がかなり変わる。



そんな革命的な機能に加えて、サブスク、マスター音源の蔵出し、である。


もっと早く出会っていれば、はなるべく私は思わないようにしている。毎日を重ねながら、人は日々変わっていて今のこの「わたし」だったからこそあなたを好きになったんだ、と思っているし、だから、あの時出会っていれば、好きになっていれば、とは思わない。ようにしている。



わけだけど、それでもラジオの伝説回の話を聴けば、流石にハンカチでも噛みたくなる。羨ましさで泣きそうになり、何度も聴いてきたラジオで鍛えた妄想力で書き起こし記事から当時の気配を感じて想像して大きく息を吸って吐いてする。

それがここにきて、合法的にしっかりした後ろ暗くない方法かつ、妄想ではない方法で、ラジオを聴けるというのだ。
もうこれは完全に祭りである。祝祭だ。幸せの鐘が鳴ってる。



思えば、今年55周年を迎えるニッポン放送。だからか、記念年らしさ全面に出続けている。その夜自体も特別な夜になった愛情と奇跡が詰まった「あの夜を覚えてる」。





そして、それ自体は祝い事ではないけれど、菅田将暉さんのオールナイトニッポンの卒業、Creepy Nutsの一部昇格。
個人的にラジオ周りで様々なことが起こって、源さんの今年はゲストをたくさん呼ぶ年ではなくてじっくり話す年にしようっていう言葉とか。
なんか、本当にいっこいっこ、特別が降り積もって増えていく。
それでもラジオは、どこかこっそり楽しんでる面白さがある。いや私はわりとあちこちでラジオが好きです、と臆面なく最近言ってるけれど、でも誰かと共通の話題として盛り上がれる確率はかなり低い。というかそもそも、誰かと盛り上がるために聴いてない。そのくせ、同じ番組を聴くあの人には驚くほど親近感を覚えている。不思議な距離感。
中でもオールナイトニッポンは私の聴くラジオの9割と言ってもほぼ過言ではない。そのサブスク。そのラジオが、いつでも、どこでも何度でも聴ける。



その心強さはきっと、同じラジオを楽しんできた人には、きっと伝わるんだろう。


20日放送のCreepy NutsオールナイトニッポンでDJ松永さんも言っていたけど、本当にあの日、録音していた自分に聴かせてやりたい。録音するか迷いに迷い、大事過ぎて逆に録音できなかった自分にも聴かせてやりたい。



私にはANN JAMがある。


もちろん、配信に合わせて一部権利関係などから編集はされている。だから、まだ私は聴いたことがある回は配信されていないから想像でしかないけど、きっと聴いた時「あの夜」とは違う何かに感じるんだろう。
でもそれはそれで良いし、それが嬉しい。あの夜は変わらず、特別が増えるのが嬉しい。


昨日、知らせとともに会員登録をして嬉しくてにこにこしながら聴いたCreepy NutsのR第一回。想像していた声と近くてそれにまた嬉しくなって何でもできるような気がした昨日の昼間もたぶん、何回も思い出すんだろうな。
生活と一緒に存在してるラジオと、これからも毎日が送れる。なるほど確かにそれはインフラだわ。





会員登録もできるし、アンケートで聞きたい回も送れるよ!