えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

上半期お疲れ様と下半期宣言

上半期お疲れ様でした。まじでリアルに「生き延びた」感覚になってるのはこのクソみたいな暑さのせいだろうか。
気が付けば6月が終わって上半期が終わるんだけど皆さん実感あります?私は実感がないです。
アホみたいに怒涛の展開だったせいかもしれないし、あと気が付けばわりと下半期の予定埋まってるからかもしれない。



去年、なんとか年末年始に漕ぎ着けて友達に宣言した。いつも言ってきた「今年はのんびり過ごそうと思ってたけど全然そんなことなかった」にそろそろ飽きてきたからもう言うのを止める。
大体そんな風にはならない。これ以上、身の詰まった一年はこないだろうを何回繰り返した分からないし、たしかに振り返ると大袈裟ではなく、その時々必死に生きて次の一年を見据えての言葉だから、まあ、否定はしない。しないけど、なんか毎年言ってるならわざわざそんな「今年はもうちょい静かな年になるだろう」なんて言う必要、ないと思うのだ。どうせ騒がしい1年になる。


ついでに言えばこの2022年の上半期は大体バッドの沼にハマっていた気がする。
しかしそれにちょっとだけ安心してもいる。
それは私が数年、「ポジティブでいること」に固執していたからかもしれない。自分を肯定して世界を肯定して、否定するとしても進むためで。
そういうことを全部私は、2年前ぽきんと折って捨てたのかもしれない。
捨てて、少しもともとの自分を取り戻せば取り戻すほど「嫌なこと」は目につくようになった。揺り戻しみたいに自分の嫌いなところが目について落ち込む。無理やり自信があるのだと楽しくて仕方ないと色んなものを無理に好きだと振る舞ってきた代償かもしれない。



上半期、エンタメに支えられてる私が決める、ぶん殴られたエンタメは札幌でのCreepy Nutsツーマンライブ「生業」だ。
衝動に任せて決めた小旅行がそこから先の私にもたらした影響は大きい。そう考えると紛れもなく、あのライブは「上半期一」だ。


あのライブを思い出すたび、ステージセンター、ひとりマイク前に立っていたRさんを思い出す。その姿を見て、推し、という言葉を彼に使うことに心底ビビった自分を思い出す。

なりふり構わずなにかを好きでいる自信も、自分なりに大切にする自信も、あるいは誰かと共有する器量もなかった。
そのくせ、これは自分だけの感情だと大切に確認するためには覚悟も語彙も表現したいという気持ちも薄かった。


だというのに、マイク前、決してブレず立つRさんに「どうやったら言い表せるのか考え続けている」と言ったそのひとの、それでも真っ直ぐな立ち姿に完全にビビった。自分の言葉が、許せなくなった。
どちらの覚悟もなく、ただただムーヴメント的にその言葉を使った。
それだけでもそこそこ火の吹きたくなる出来事ではあるけど、その上さらに、自分なりの理論を捏ねていたのだから救えない。


自分と重ねて自分の失敗を見ないふりして、ただ自分と似てる場所だけを薄めて伸ばして分かる!を叫んだ自分はどれほど軽薄だったろうかとなんかお腹が痛かった。
まあそのくせ、それは今も続けてるんだけど。いつも私は自分の背骨の主成分をエンタメやそこを通して出会った人たちに頼り過ぎていてだからどこか後ろめたい。


そう思うとただただ私が仕事でがむしゃらになりたいのは、自分に自信がないからだ、と思う。成果なりなんなりで「間違えてない」確認をしたいというかこすい感情でしかない。エンタメだけに頼ってないと安心して自分なりの「正しい」を見つけたい。
残業が多いことを心配されるたびに思う。それでも空白の部屋の中、ぼんやりひとり佇む時間が減ることのほうが余程楽だと思う。
その上、そうやって仕事をやるだけやって帰ってきてからの方が、好きなことをやる気力も負けん気的な発想で湧いてくる。


仕事で頭打ちまくってた時に、成果も出せてないから頭打たない選択肢がないですと言った私に上司が気持ちは分かるよ、と言いながら伝えてくれたことを最近ずっと考えてる。
結果は単なる点でしかなくてもちろん大切だけどその過程、何があって何が足りなかったか、出来たことはなんなのか。それを考える方が点より大事だし次に繋がるんだよ。

MIU404の陣馬さんの「出来なかったことじゃなくてできたことを数えろ」という台詞を初めて聴いた時のような気持ちになった。



そうだ、幸か不幸か、私たちは点じゃなくて続いていく何かなのだ。



自分の軸がブレまくったり、それを怒ったり怒られたり呆れられたり心配されたりしながら、やってきたけど、でも気が付けばどんどん、毎日が積み上がってきたなあとぼんやり思っていた。

生業の札幌が好きだったのは、表現すること、それを楽しむこと、それを楽しいと口にすることにめちゃくちゃ傷付いていた時に観たライブだったからということもある。


その中で、HIPHOP、フリースタイルというカルチャーで「自分」を表し続けたR-指定さんとAwichさんがそれぞれ口にした、そうして折れずに自分の責任を引き受けてきたふたりが、気が付けばそうして信じた先、歩いてきたところで同じように生きる人たちに出会えたことの話をしていたことを私は繰り返し繰り返し思い出す。





下半期も色んなことがあるんだろうな、たくさん思ったり考えたり、そうしながらああこれは違ったと反省することもあるんだろうけど、そこから先、なんとか続けられるとしたら、もしかしたら素敵なものに出会えるかもしれない。
そう思うとわりとわくわくしてる自分の現金さに呆れながらも私は結局、そういう自分がけっこー好きだ。