えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

おげんさん第六夜の夜

おげんさんで聴いた異世界混合大舞踏会(feat.おばけ)のことを考えている。


いつのまにか、年に一度の楽しみになったおげんさん。今年は夏に開催(ただしくは放送、なんだけど感覚、開催、って思ってしまう)された。
ゆるく、楽しく。音楽を楽しむ。おげんさん一家が、好きな音楽の話、好きなものの話を、あの独特のただただあったかい空気の中でやる。
それは半ばパブロフの犬的に「これを観てる間は大丈夫」という安心感が私の中にはある気がする。



音楽は、どんな時に聴くかで景色が変わる。
音楽自体がそれをいつ聴いていたか、思い出が焼きつくわけだけど、更にその音楽だってその時何を思ってるか、どんな体調かで全然顔を変える。



異世界混合大舞踏会(feat.おばけ)は私の中でライトに楽しく、踊りたくなる気持ちそのままに聴く曲だった。お!ば!け!が!で!る!ぞ!とひとりで家にいる時は小躍りしながら歌い、踊る。
そんな曲に何故か私は、おげんさんで聴いて号泣してしまった。
楽しいな、面白いな、そんな気持ちを噛み締めながら観ていたはずなのに、そしておばけ(とこの曲のことを呼んでいる)はまさしくそんな曲なのに、何故か泣けてきた。


視えなくても自分たちと同じ世界のどこかにいるお化けたち。一緒にほんとは踊ってて、時々そんなものたちと交錯するのかもしれないし、だとしたら楽しい。害をなすとか、逆にたすけてくれるとか、そんなんじゃなくて、ただいるだけ。でも時々、一緒に遊べるかもしれない、そんなひとたち。
そう思っていたんだけど、ふと、今回思った。
もしかしたら、そんな存在は自分たちが作り出したのかもしれない。
いやお化けや妖怪は人間がいようがいまいが存在してて欲しいと思っているけど、同時に、どうしようもないこと、を、お化けや妖怪のせいにしてなんとか飲み込んできた人間のことも、私は結構好きなのだ。しょうもない、とも思うけど、かなり、好きなのだ。

胸の闇を食べながら歌い出す


そんな歌詞が何度も聴いてきたはずなのに、今回くっきりと耳に飛び込んできた。
許せないこと、怒りや悲しみ、もしくは嬉しいこと、楽しいこと、言葉にもならないこと。
そういうものに妖怪やお化けとして形を与えること、そうしてなんとか、歌い踊ること。そんなことを思い出した。
涙を拭いて、遊ぶしかない。その言葉を噛み締める。



私にとって、おげんさんは何かマイナスの方に引っ張られるためじゃなくて、でも誤魔化したり麻痺させたりするんじゃなくて、嫌なことは嫌なまま、でもそれでも笑って遊ぶために必要な場所なんだな。おげんさんが、だし、星野源が作るものが、ずっと私にとっては、そうなのだ。
そんなことを噛み締めていたら締めが地獄でなぜ悪いでもう、極め付けっぷりに泣きながら笑ってしまった。
私は地獄でなぜ悪いが好きだ。無駄な悪あがきとしてまだ星野源は好きではないと言い訳してた頃からあの曲がずっとずっと好きだ。
生きることこそが地獄で、どうしようもなくて、それでも、生きていくのだというあの曲が好きだ。その歌詞を、あんなに明るく強く、派手な演奏と一緒に歌い上げてくれる星野源が好きだ。


作り物で悪いか、とおげんさん一家が歌い出した瞬間を、何度も何度も思い出してる。頭で再生し続ける。
ちょっとへんてこなあべこべな本人のキャラが覗いたりする、愛すべきあのおげんさん一家が、色んなものを作り出してきた彼らが、あの歌詞を楽しそうに歌ってくれたことが、どれだけ嬉しかっただろう。


打ちのめされることが多くて全く嫌になるけど、絶望はしていない。私は地獄で生きているけど、その地獄には一緒に踊り歌うひとたちがいるのだ。お化けも人も、歌って踊って泣き笑いしながら、生きてくのだ。