えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Reassemblyからのうちで踊ろうの再考

1分くらいの音楽から始まった「うちで踊ろう」。その曲がどこに続くか、続いたかということをずっと考えている。


あの曲が最初に生まれた頃。
色んなことが言われたけど、少なくとも(ラジオなどで源さん本人の言葉に触れたからというのもあるけど)私にとってその曲の意味は明るくて優しいものだった。
「うちにいれる奴の特権だ」なんて揶揄は見当違いだといまだに思うくらい、心内で、という言葉も含めて、そして何より「じゃあどんな面白いことをしよう」とわくわくする、そのための仕掛けだったことが、私はとても、好きだった。




面白いことをしよう、楽しいことをしよう。
源さんがことあるごとに口にする言葉はいつのまにか、私の中で大切な言葉になった。気が付けば頭の中、何度もつぶやく言葉になった。





だからあの頃、色んな人の頭を「面白いことしよう」と誘った源さんが好きだ。そして作らない人にとっても「今日はどんな面白いが見れるんだろう」とわくわくする間は楽しくなるという、その構図含めて、私は、あの「うちで踊ろう」が好きだ。



そしてそれがいつの間にか届かないところまで広がり、結果として「見当違い」が生まれたのかもしれない。でもそれでも、なお、いや、むしろだからこそ、思う。
面白いことしよう、楽しいことしよう。






最近思う。
私が考え込み過ぎる頭を持っているからかもしれない。許せないものが多過ぎるからかもしれない。
でもだからこそ、楽しいこと、面白いことをやりたい。
それこそ、「あの人を殴るより」と思う。
怒りや絶望を、寂しさを恨みをただぶつけるんじゃなく、面白いや楽しいで届かないところまで広げることも全部含めて、楽しいをする。



音で殴らせろと後に歌ったこと含めて、私は音楽という表現の面白さを何度も源さんの表現含めて味わってきた。




諦める方が早いことを、精一杯面白がる、自分が舵を握ってるのだと立つあの人が、私はたまらなく好きだ。




そうして、1分の曲が繋がった年末、「うちで踊ろう(大晦日)」は色んなことを包んだ1曲だったと思う。
最初、生み出された時はきっとまもなく来るだろう、会える日が来ると思っていた。



生きてまた会おう



その言葉がいつの間にか「そんな日に来るのか?」という不安に繋がっていた。不安を打ち消すつもりで、だからこそ力強く、何度も繰り返していたけど、でも、会えたとて、それは幸せなものだろうか。
そんなことを考えてしまうような2020年。



協力し合うどころか、苦しければ苦しいほど、人は分断するのだ。
それを「今更知ったの?」と怒られるかもしれない。お前が恵まれてたから気付かなかっただけでずっと世界はそうだよ、と言われるかもしれない。

でも、そうだよ、今更、私は2020年に知ったよ。ここまでだとは、たぶん、思ってなかったよ。

立場が違うこと、主義主張や状況が違うこと。その時、人がすることはわかり合おうとすること、知ろうとすること、理解はしきれないからこそ、一緒にいるために努力すること、その全てと真逆のことばかりなんだ。
理解しようとする、違うからこそ一緒にいるためにする努力を「馬鹿らしい」「面倒くさい」と一蹴されること。




そういうことを知るたび、見るたびに、経験するたび「ああもう無理だな」と思った。
そんな「無理だ」が積もり積もった、大晦日




それが人でも、うんざりださよなら
変わろう一緒に



そのフレーズを聴いた時、驚いた。
うんざりださよなら、は2020年好きになってから掘った過去の源さんの曲からもなんとなく肌感覚が近い。でも、2020年年末、源さんは言う。はっきりと言葉にする。変わろう、一緒に。



もちろん、諦める人ではずっとなかった。
届かないことを知っても、届けることをやめない人だと勝手に思ってる。だからこそ好きだと思う。だけど、こんなふうにはっきりと「変わろう」と「一緒に」と言葉にされると思わなかった。



そしてそれから生活の描写が続く。
一緒に、変わろうと口にしながら、生活を歌う。
瞳を閉じて、耳を塞ぐことも歌う。


でもいつか、それに飽きたらと言う。
1人歌ってるよ、その言葉を聴いた時に動いた心の動きを言葉にはできない。できないけど、きっとずっとあの強烈に焼きついた夜は忘れることはないんだろう。



そこからもたくさんの源さんの表現を楽しみながら1年、2年と過ごした2023年。
迎えた、Reassembly。



星野源の表現に次生で触れたら死ぬかもしれないと半ば本気で思いながら参加した音楽イベント。
そのイベント自体の話は既にブログ1つ、バカ長い文章でしたけど。




その中で歌われた「うちで踊ろう(大晦日)」について、文に残しておきたい。極端な話、あのライブで歌われたことで、あの「うちで踊ろう」は完成した。そんな風にすら、思う。


いつか、を待っていた春。
そんな日はなかなか来そうにないと諦めたあの日。
世界はどんどん酷くなる一方だと途方に暮れた冬。


そういう日を続けて私たちは、あの日、あの会場にいた。
ようやく生身で会えて、歌う源さんを目で見た。同じ空間にいた。



いつかを夢見た頃の歌詞を、諦め歩き出した歌詞を、約束の場所で源さんが歌う。
音楽はいつだって同じ曲だろうが同じものはない。
あの時歌われた「うちで踊ろう」を体現するような空間のことを、思い出している。





愛が足りない馬鹿な世界に、ガッカリするばかりだ。何回傷つき、もう無理だと思ったか分からない。好きな部分が、ひとがいなくなってしまうことだってある。
積み上げた面白いや楽しいが薙ぎ払われた、バカにされた、その時だって、少しも過去にはなってない。
だけど、源さんが、ステージの真ん中歌う。
星野源の変態の人々が集まって、「待ってた」の気持ちが詰まりに詰まり、いつか待ち侘びた、いつかの日、「当分無理だ」と諦めたその日、歌った。
僕は1人歌ってるよ、と言った源さんは何千人の人の真ん中にいた。私たちはひとりだった。ひとりとひとりがたくさん集まって、瞳を開いた私たちの耳に優しい歌声が届いていた。


まだ動く、まだ生きている


それを絶望と呼ぶのはやめよう。
少なくとも私はそうして、諦めたくなる夜を生活を続けて誤魔化しながら重ねた先にああして愛を重ね合える、一緒に踊れる夜があると信じられるのだ。