えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

車窓を覗き込む

最初に文を読んで衝撃を受けた日を覚えている。それこそ、当時毎朝楽しみにしていたNHKあさイチで特集されてた「いのちの車窓から」。
まだ当時は「星野源を好きになるのは危険だ」と思っていた頃。大ヒットを記録した、とか大反響の、という言葉とともに、何よりその内容がすごく良いのだろうというのが伝わるその本に対して語られる言葉たちがああ、そうか、と思った。正直に言えば「文までもか星野源…」と呆然と眺めていたと言っても良い。



「読みたいね」と言う当時同居していた姉に「そうねえ」と曖昧に頷き返しながらも「文筆家星野源」の存在が気になり出したあの頃。
それでも素直に「いのちの車窓から」を買うのは謎のハードルが高く(今以上に制御不能な自意識を持て余してたんだと思う)まあほぼ知らんし、入門編の本が良いだろうと手に取った「働く男」。
その中で映画の感想文たちを読みながら、何度も打ちのめされた。
短くて読みやすいのに打撃がすごい。何より、映画の見方が豊かで、心底嫉妬した。勘弁してくれ、と思った。
私が当時、「星野源を好きになるのは危険だ」と思ったのはそのお芝居があまりにも好きで心の柔らかなところを滅多刺しにしてくるからだったのだけど、それを文でまでやられたらどうすれば良いんだと思った。なんせ、こんな風に延々と自分のためだけに文を書き続けてしまう人間である。だというのにそのフィールドで警戒している相手に打ちのめされたら、もう立つ瀬がない。
これは危険だ、と封印するように同居姉に貸して、それから数年、私はMIU404で星野源に出会うことになる。



そこからはあっという間。転げ落ちるように音楽を聴き、ライブを観て、ラジオに興味を持ち、それからいよいよまた、エッセイと向き合うことになった。
最初に手に取ったのは「よみがえる変態」。
どんな人なのか知りたい、と思ったからこそ、この本を読もうと決めた。



当時、私は結構無茶苦茶だった。
いやあの頃の人たちで「無茶苦茶」じゃなかった人はいなかったかもしれない。先行きも分からない。怒りと悲しみがそこらじゅうに転がっている中で、毎日がただ実感もなく過ぎていく。
そういう中で、その他諸々積み重なってまんまと寝れなくなっていた中でよみがえる変態を「限界だ」と思った仕事の外出中に買った。
文庫サイズの一冊。
夢中になって読んだ。笑いを含んだ、でも毒があるその文章を何度も何度も繰り返し読んだ。



前からそうじゃないかと思っていたが、やっぱり当たっていた。
死ぬことよりも、生きようとすることの方が圧倒的に苦しいんだ。生きるということ自体が、苦痛と苦悩にまみれたけもの道を強制的に歩く行為なのだ。

前半のエッセイたちにも好きなフレーズはたくさんあるが、この数行を何回読んだだろう。読みすぎて、頭の中に刻まれ、もう嫌だと思うたびに心の中で呟いた。



仕事で札幌に住む中、大阪に残しておくはずだった居場所を失くさなくてはいけないことが決まり、その段取りをつけた日の帰り道。狭いLCCの飛行機で、堪らなくなって「よみがえる変態」を開く。まだ諦めない、と思うためにあの時の私にはあの文が必要だった。



星野源の文が、何度も何度も、私を引っ張り上げてくれた。




特によみがえる変態の当時は、源さんの中でも足掻くようなまだだ、という気持ちとそれでも認められていく中での嬉しさ、不安、ギャップへの違和感などが筆圧強く語られている。その言葉たちが、どれくらい助けになっただろう。

飛行機の中、泣いてるのを誤魔化しながら読んだあの時間をたぶん、私は一生忘れない。



そして、追いかけるように遅れて好きになったからこそ味わえた「いのちの車窓から」の文たちも。



初めて読んだ時驚いた。そこにいたのは、「それでも生活はつづく」「よみがえる変態」とはまた少し違う源さんだった。
文に柔らかさが増した。筆圧が軽やかになった。だけどそれは決して、ただ「優しい」と表現するのはまた違う。変わらずマグマみたいなのはそこにあるのにそこに地表が生まれて、草花が育ったような、そんな印象すらあった。
文についての源さんの話を読みながら聴きながら「こう見られたい」から少し離れた源さんの「ありのままをそのまま書く」ということをその文から何度も考えた。
オードリーの若林さんの言葉を借りれば「本物のチャカを突きつけてきた」ようにも感じたし、それは私にはより広く深く伝わるように手段を研ぎ澄ませていくことのように感じた。



各年代の違う源さんの文を短期間で読み進めた私には、そのそれぞれでの変化は希望のようにも思えた。変わり続けること、それでも変わらないもの。その両方を源さんの文は教えてくれた。


それは今も昔も源さんがそのままを伝わる言葉や表現で、創意工夫しながら文にしてきたからに他ならない。


人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に喩えるなら、この車窓は存外面白い。

そう、「いのちの車窓から」で書いた源さんはいつも文を通してその景色を私たちにも分けてくれていたんだろう。
それは音楽やお芝居、ラジオとはまた違った角度での景色で私は大好きだったのだ。だからこそ、願う。これからも、私は星野源の文が読みたい。





連れ歩きすぎてすっかりぼろぼろになった「よみがえる変態」
だけど、それも含めてこの一冊が大切だからたぶん、買い直せない。