えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

推しを追いかけていたら時をかけていた話

なんだかバカなタイトルをつけてしまったが、本心だ。心の底から、私は2020年からタイムスリップして辿り着いて2007年、それから旅をしていたような気がする。

 

 

EXILE TAKAHIROさんを好きになりしばらくが経つ。ようやく少し、ああ好きだな、と実感を伴うように想うようになった、と思っていた。
まさか、そんな中もう1段階落ちることになるなんて少しも予想してなかった。だって好きだし。何より、好きだ、と自覚した瞬間の感覚がなんだか私の中ではレアだったので。深まることはあっても「落ちる」ことは…もう十分落ちたし…ないと思っていた。

 

それがもう、真っ逆さまにもう一度落ちていくんだから何があるかわからないし、どれだけの魅力がこのTAKAHIROさんという人には詰まってるんだ、と何度目か分からない驚きを噛み締めている。

 

 

私は30代以降の敬浩さんのお顔が好きだ。
もちろん、顔以上にその生き様に興味を持ち惚れてここまできたんだけどその好きだと思う生き方がより反映されてきた30代以降の顔が本当にほんとに大好きで。
もっと早く好きになれたらと思うことはあるけど(MOJOとかMOJOとかMOJOとか)きっと、20代の敬浩さんと出会っていたら今日のこの感じはないんだろうとも思っていたし、それは今も思っている。


だけど先日放送されたEXILE特集の金スマを観て、20代の敬浩さんに興味を持った。それは一つにはお顔立ちが可愛すぎてビックリした(見たことあるはずなのに初見のような心地でビックリしてしまった)のと、真っ直ぐな眼差しにとてつもなく惹かれたからだ。

 

 

ざっくりとは、彼が歩んできたこのデビュー以降の数年について、またそこでの彼自身の気持ちや葛藤、ファンや世間のリアクションを知っていたつもりだった。
だけど、せっかくだから観てみたい、とフォロワーさんにアドバイスをもらいながら、彼のデビューからの軌跡をライブを中心に歩むことにした。
そしたら、気持ちがまるで2007年に飛んでいたのだ。知ってるのに。2020年の彼の活躍や笑顔を。だけどまるで、私はその時「出逢い直した」ような気持ちになった。

 


4ヶ月という期間を考える。その中で吸収してどんどん変化していった敬浩さんという一人の人に想いを馳せる。
大好きで、たまらなく焦がれたグループのフロントマンになる。
それはどれだけ幸せで恐ろしいことなんだろう。
EXILE Mobileのchで、初日、そういう星のもとで生まれたんだよ、と励まされる動画を教えてもらって見て、その時もずっと考え込んでて。
敬浩さんはきっと、自分である程度答えを出す人で、そのために周りからどんどん吸収できる人なんだろうなあ、と思う。
そんなLOVEの特典ディスクでの劇的な変化を観て、それから2008のEXILE PERFECT LIVEを見た。観て、一瞬ディスクを間違えたかと思った。


見慣れた敬浩さんがそこにいた。


もちろん、厳密に言えば当たり前だけど違う。違うけど、ステージ上でのファンサや表情、目線の振り方がEVOLITIONとは全然違っていた。


決して2007もぎこちなかったわけではない。初々しさはあったけど、その上で(最もファンの贔屓目は大いに入ってるかもしれないけど)アリーナに立つアーティスト、だった。
その瞬間の最大の力をもって、彼は歌を届けていた。


それでも、やっぱり見慣れたステージの上での敬浩さんと少しの違いはあった。
それが、2008年、しょっぱな「見慣れた」敬浩さんの表情をみた瞬間、もう、びっくりした。
だって、そんなに時間が経ってないのだ。
もちろん、EVOLITIONの期間の数ヶ月の成長のめざましさを思うと当たり前といえば当たり前なんだけど、いやにしたって、と思う。
こっから当然ステージ上での振る舞いや歌唱力、表現力は2020年に向け、どんどんレベルアップしていく。それを知っていても尚、「ああ敬浩さんだ」と思った。
それは、単なるスキルの話じゃなくて、心持ちの話なのかもしれない。

 

ちょうどこのタイミングで勧められた「EXILE ROAD TO CHAPTER2」を読みながらそんな気持ちはより強くなる。


「憧れてるだけではダメだなって思うようになって」そう、インタビューの中で憧れのグループのヴォーカルになった彼は語る。そして、だからこそ見えるようになったメンバーの物語や本気度についても。

 

まず、2007については私は2017-2018の道の駅を買って観た時点で購入していた。
最後の方で少しだけ流れた2007年のライブ映像が気になって。結局、ちゃんと観るまでこんなに時間がかかってしまったけど。
そして、ずっと観たかった道を観た。なんならLOVEの特典ディスクを観ることでより高い解像度で観た。
あの時、溢れていく涙が本当に綺麗で、この4ヶ月張り詰めるみたいに過ごしてたんだろうか、と思った。張り詰める、なんて少し失礼だ。きっとその時間だって敬浩さんにとっては楽しくて大切な時間だったはずなので。
でもきっと、あつしさんも言った通り物凄いプレッシャーだってあっただろう。そしてきっとこの人はそれすら、もっと成長する大きくなるための糧だと、なんなら喜びすらして、乗り越えてこの場所にいるんだろうな。
真っ直ぐなDream Catcherの歌詞を聴いていても思うのだ。

 

 

話を2008年に戻そう。
最初の方の曲で「敬浩さんだ!」と思ってから、そういう意味では「いつものEXILEのライブ」を観る心持ちで、2008のライブ映像を観続けていた。
実際、最初に感じた通りあつしさんの隣に立っている姿が本当にしっくりくるようになっていて、ああそうか、とじんわり感慨に耽っていた。ただ憧れで終わらないために、真似で終わらないために、隣に立つ努力を彼は言葉通りしたんだな。それは確かに、形として表れていたし、その姿は本当に格好良くて美しかった。

 

 

ただ、そんな気持ちは「24karats」を聴いて変化する。元々、大好きな曲でライブに行くときはかなり楽しみにしている曲だ。
2008年の24karatsもめちゃくちゃ格好良くて、楽しみながら聴いていた。そして楽しそうに歌う敬浩さんにああ好きだな、と思いながらその体型に目を奪われた。
薄いのだ、薄いっていうか、めちゃくちゃ華奢なのだ。
いや分かってる、たぶん華奢という言葉は正確ではない。きっと華奢ではない。
何より当時だって当たり前に鍛えていて、しっかり筋肉がついてるのが分かる。
だけど、私は2020年のこの十数年ステージに立ち、歌い続けた敬浩さんを知ってるのだ。そしてその時間がどんなふうに彼の血肉になったかを。

 

 

なんというか、そのとき、どれくらいの心持ちと覚悟でそこに立ってるんだろうか、と改めて考えてしまった。
だって、顔付きも振る舞いも今の敬浩さんそっくりなんだ。でも当たり前だけどその人はまだその十数年を生きていない人で、そんなのってもう、すごいことだよ。
ずっと、この人はこうだったんだ、と今更、何度目か分からない気持ちを考えていた。ずっとずっと、真っ直ぐに信じて、幸せにしたくてそうして自分も幸せになりたくて、ステージに立ってきたんだな。
きっと、敬浩さんは迷わなくなったんじゃなくて迷うことをやめたんだ、と思う。大好きなEXILEという場所で強くしっかりと立つために。

 

JSBを観て思う。
最近ずっと考えてた。
私の好きな劇団の人たちがよく口にする「最新作が一番」という言葉が私は大好きだ。
常に最高を更新してくれる人たちが大好きなのだ。そして、それはEXILEをはじめとするLDHの人々も例外ではないんだ、とLOVEの特典ディスクを見て思った。

 

生きている人間を応援するということは、正解じゃない瞬間もあるということだと思う。

 

幸い、私は「いやもう好きだって思えねえ」ってほどまでがっかりしたことは今のところない。
だけど、例えば人によっては「微妙」だったろうな、とか、ファンの人が悲しむ姿はまあ、観たことがあって。
ただ、それを肯定するつもりも擁護するつもりもないけど、生きてるもんなあと思いはするのだ。


明日から間違えずに生きていけ、と言われると怖くて仕方ないように。生きていれば当たり前に人は間違える。間違えるんだよな、そりゃ。
間違えないことを求められるけど。
そう思うと、より思う。間違えたときの方が正しくあろうとする方が……それは通念上の話というより本人たちの中での話で……実はとんでもなく難しい。

誤解されたくないのは間違えることを肯定してるつもりはなくて、そうじゃなくて、きっと彼らは正しくあろうとしてるんじゃないか、と思うのだ。


正しいことと正しくあろうとすることは少し違う。


あろうとする、が私はすごく大きくて好きだ、と思う。自分の選択を正しかった、と思うために歩き続ける彼らの物語にきっと、惹かれたんだ。


今を最高にする方法はたぶん「間違えない」ことではない。
いつまで生きられるか分からないということ、だからこの瞬間精一杯生きるしかないこと。
自分の人生を、望む形で生きようとしてる姿がたまらなく好きだ。望む形で、というのは理想に対して、諦めたりすることなく突き進むということだ。出来ない、じゃなくてそうなりたい、を心の底から信じて実行しようとする、敬浩さんが大好きだ。

 

 

30代の敬浩さんから始まった好きだという気持ちは2007年へと時間を巻き戻す中で、どんどんと深まっていった。
それはもちろん、2007年をはじめとする時間の彼が魅力的だったというのが大きい。
だけど何より、そこにある彼の姿や在り様が、今好きな敬浩さんと地続きになってるんだ、と思えたことがなにより大きい。
もちろんそれを知ってはいたんだけど、実体験として知ることができた。それが何より嬉しい。
そのきっかけが、敬浩さんを好きだと思う人たちからもらったことだというのも、彼の過ごしてきた時間が続いてるんだなと思ってとんでもなく嬉しいと思う。

 

 

ちょうど今日、Twitterでいつから好きか、何がきっかけで好きか、という話をして聞いたから尚のこと思う。
きっとこれからもずっとびっくりしながらもっともっと好きになっていくんだろうな。そうであったらいいな。きっとそうだと、願ってる。何故なら、好きだと思う敬浩さんは常に幸せにして、幸せになりたいと願ってくれる人なので。
そんなことを心の底から信じられることを、心から嬉しく思うのだ。