えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

エンドロールのつづき


※ネタバレを含みますのでご注意ください




映画が好きだ。
ものすごく詳しいわけでも、年間何本も観ているわけでもない。それでも、映画が好きだ。


昔、札幌の街でひとり暮らしていた頃、街の映画館がパワースポットだった。大きなシネコンはもちろんのこと、ちょうどその頃、「サツゲキ」という映画館も再リニューアルし、映画を観れる場所がいくつかあって、ありがたかった。
そこにいれば、楽しいことも悲しいことも鮮やかに光と一緒に在る。その居心地の良さに、何度映画館に駆け込んだだろう。



この「エンドロールのつづき」を観ようと決めたのもそんなところからだった。



少年が、映画に恋をした。




インドの街で、映画に焦がれ、色んな創意工夫をもってその光と一緒に在ろうとするそんな姿が予告からドンピシャに刺さり、公開されたら絶対に観に行こうと決めていた。絶対に、映画館でこの映画を観るのだと。



映画はインドの小さな村の少年が主人公である。かつ、この映画を生み出した監督自身の実話だ、ということが、劇中何度も蘇る。
インドの小さな小さな村。そこで暮らすサマイの父親は「映画なんて」と口にする。それでも、特別に観ることができた映画で心を動かされたサマイ少年は友達を巻き込み、仲良くなった映写室のおっちゃんを巻き込み、ただただひたすら、映画にそこから差し込む光に手を伸ばす。



描かれるその生活の描写が好きだった。
ともかく観終わった後スパイスを欲してしまうような美しい映像で描かれる美味しそうな料理たちに心躍ったし、インドの暮らしの描写がすごく、光の描き方、進む時間、どれもこれもが愛おしい。
そしてその中でそれでも描くのを忘れないインドの差別や貧困、現実の塩梅が、すごい。



ただ全てがサマイ少年の目線で描かれるからその描写もまた、独特の温度感で進む。詳細な現実というほど胸に突き立ててはこないけど、でもその分、理不尽さが迫ってくる。

それでも、その2時間の上映時間、ただただ、「映画が好きだ」という感情に満ち溢れていて、だから嬉しいも悲しいもやるせ無いも、どこか愛おしい。


そういう、どうしようもない、に寄り添ってくれるのが映画なのだ、と思う。
寄り添ってくれるだけ、現実は変えてはくれない、だけど、そんな存在こそ、必要な時がある。心強い時がある。
気が付けば私は映画を見ながら今まで通った映画館のことを思い出したし、観てきた大好きな映画たちのことを思い出した。



サマイとその友達たちの創意工夫がほんとに好きで。子どもらしい向こう見ずさと言ってしまえばそれまでなんだけど、なんとかして映画を観ようとする、その姿に微笑ましさから笑って愛おしさにちょっとだけ泣いた。


私の好きなDJ松永さんが「好きなことには想像力が湧く」と言っていたけど、まさしく彼らの行動の一つ一つはそれだ、と思った。そこにはそれが何になるとか、何につながるとか、意味とかどうでもよくて、ただただ「そうしたい」しかない。それが物凄く良かった。あんなに心躍る数十分はないと思うし、それからの村の人たちの笑顔、それから家族の表情は本当に秀逸だな、と思う。



監督のことを調べていくなかで、ドキュメンタリー作品撮ることが多く、自然を収めたものもある、と知り、納得した。
言葉で語られるよりもじっくり大切に撮られたワンシーンワンシーンの画たちは、それでも雄弁に何かを語りかけてくれたような気がする。そして、それは、なんなら「読み取られなくても良い」なのかもしれない。読み取ろうが読み取るまいが、ただそこに在る。



ただそれを観るひとの眼差しはずっと、愛情に満ち溢れていて、それこそ、ただただ映画というその存在を愛して慈しむ、その眼差しが私は嬉しかった。きっと、この映画を観にくる人の多くは、そんな人たちだと思う。だからきっと、うれしくなる。自分の大切な映画が、その存在が、こんな風に愛されているのだ、と思うことはとても幸せな時間だった。



そして、「映画」が壊され、「スプーン」や「装飾品」に変わる、あのシーン。
あんなに苦しいシーンはないと思う。
私は、映画をはじめとするエンタメが好きだ。大好きだ。だけど、そのどれもがきっと、なんらかの欲を前に負けるというか軽んじられること、「無意味」と呼ばれることに何度も何度も「なんでだろう」と考え込んできた。
なんだかそのことをふと思い出して、とんでもなく苦しかった。
でも、この映画がすごいことは、それすらその「食べること」や「着飾ること」も否定しない。それらと映画のどちらが上か、下か、なんて描き方はしない。
ただただ、あの描写が悲しく、苦しく、そして愛おしかった。
それでも、と思う。それでも、それでも私は、映画が好きだ。好きなんだ。まるで、画面からそういう気持ち、わかるでしょう?と聞かれた気になって、ひとりで泣きながら頷いてしまった。




「エンドロールのつづき」彼のそこから先の物語が、まだ続いている。
そのことを含めて、その現実を愛してしまう、
大切な「これがあったこと」を一つ一つ見せてもらえたような、そんな宝物のような愛おしい映画に出会えたことが本当に嬉しい。また一つ、映画が好きだというときの表現に出会えた、そんな気がする。