えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Communication

音楽は、コミュニケーションツールだ。世界と繋がるための。なんて、漠然としたものじゃない。あなた、だ。世界なんてもんじゃなくて、あなた、なんだよな。誰なのかは、分からないけど。






去年の秋、数年ぶりに舞台を作ることになった。仕事も転職したて、なんならその他諸々やりたいこと全部詰め込んだ一年は、夏の終わりくらいから顕著に限界に近づき出した。



何より、舞台を作るということに心底ビビり、脚本に自分の思いを全部込めようと意気込んだせいで逆に「これを受け入れてもらえなかったらどうしよう」と不安に苛まれながら毎日過ごすことになった。いや、正確には「どうせ受け入れてなんてもらえない」というナーバスに襲われていた。


案の定寝つきも悪くなり、毎週のように休みの度に明け方、眠れずに起き上がり、薄暗い街へ散歩に出かけた。耳に入れたイヤフォンからは色んな日本語ラップが流れてきた。



テークエムさんのアルバムは、中でもよく流れた。大好きだったTHE TAKESを何度も何度も聴きながら朝がやってくる街を眺めた。



どうしてもCDで欲しいと思った頃、そろそろ売り切れそうというツイートをちょうど見かけ、更にはちょうど京都のイベントに参加するというツイートを見て、朝からやけ酒してうたた寝していたくせに飛び起きて京都まで走ったあの日。
その日以外にも、「もうやだ」と思うタイミングで不思議とソロでのライブに足を運ぶ機会が重なった。その中で、ある日、ステージ上、テークさんが言った。


「綺麗事言うよ、俺はラッパーだから」



その一言が好きで、その一言で、ああだから寝れない明け方の散歩で私はHIPHOPを聴くんだ、と改めて思った。
それから約1年。セカンドアルバムという知らせに心を躍らせて、ワクワクしながらダウンロードして何度も何度も再生している。





この数年での変化を濃厚に詰めつつ、色んな客演の人と「その人とだから」できる楽曲たち、ソロだからこその楽曲たちが織り交ぜられたアルバムはそれ自体がすでにコミュニケーションから生まれた表現だったし、聴いてるこちらも色んなことを感じて考える。正しくは「考えたくなる」気がする。



これは私だけかもしれないけど濃い言葉を聴いた後、頭の中がぐるぐると動き続ける感覚が好きだ。ぺらい言葉で削られた分を取り戻すみたいに濃い言葉のシャワーを浴びて、何かを取り戻そうとすることがある。
そしてこの「Commuication」にはそんな濃い言葉がたくさん溢れていた。






世界とのコミュニケーションを渇望してる、という結論から生まれた、というAuDee CONECTへのゲスト出演時のコメントに、なるほど、と思う。






Communication Freestyleが一番最後に出来た、というエピソード含めて、なんだか良いな、と思った。この様々な曲たちを締めくくる曲は苦味とでも確かな優しさがある。
一度聞き終わって、もう一度この曲に戻ってきた時に良いアルバムだな、と思った。






HIPHOPという音楽を聴くたびに剥き出しすぎて怖くなる。怖いというより心配になる。
でも、それ以上に私はそれに救われてきた。勝手に重ねて、剥き出しのまま生きてしまってるせいでひりひり痛む傷をたぶん、癒せる……いやそんなもんじゃないな。癒してくれるわけじゃない。だけど、その傷を抉らなくて良くなる。否定しなくて良くなる。
その剥き出しさに、傷付いていく姿に確かに救われてしまった自分がいるんだ。





オナニー的に自分可愛さに人の苦しみを願って、勝手に救われなかったか。
そんなふうにこの音楽を好きだ、と思うと同時に思う。でも、そうじゃないと思いたい。この音楽を好きだと真っ直ぐに思っていたい。
自分の今や昔、在りたい姿を歌うこと、それを聴き、楽しみながら自分の毎日に立ち返ること。それを、健康的に続けていたい、と思う。
そういう意味で、好きなアーティストの幸せを祈っているのは、結構身勝手な感情を含んでのそれなんだとも思う。私の場合。
幸せでいてほしい、なるべく。痛みや苦しさに共感するからこそ、自分も救われたいと思ってるからかもしれないし、それを聴くことで救われたような心地になったことを正当化したいからかもしれない。
だけど同時に「好きだ」と思うからこそ、幸せでいてほしいと思うのは自然なことなんじゃないか、とも思う。
なんだか色んな理屈をこねちゃったけど、よく分からないな。ともあれ、アルバムの話に戻る。







THE TAKESが内省的だったり、過去の話が多かった中で今回のCommunicationはその名前そのままに「誰か」の存在が常にあるような気がする。
それは、客演のいる曲が多いというのもあるけど、描かれるのも誰かがいてこその自分の見え方、立ち位置であり、だからこそ余計に「自分」が際立つ。




ついた自信や手に入れたもの、それに対してのネガティブな感情や評価に中指を立てながら進むこと。
評価に対しても自信を持つこと、疑問視すること、そういう色んな色合いを含みながら、アルバムは進む。それこそ、コミュニケーションをとるからこそ生まれる軋みだっり、逆に心地いいリズムだったりするのかもしれない。




私がこのアルバムを好きな理由を象徴するような一文がある。


悪意まみれる世界怒り散らかすより笑っていたい
俺たちポジティブ下手の横好き

この一文以外にも、他の曲でも繰り返し、色んな表現でテークさんは歌う。



豊かな心でいたい
前を向いて進みたい
まだ足りない




ポジティブに煮え立つマグマ、と謳っていたけど、確かにある怒りや焦り、ネガティブな感情も全部含んで、それでも、たぶん、そのほとんどをポジティブへと変換しようとする。
ネガティヴの薪を焚べて、ポジティブな炎を燃やす。
そんな印象をアルバム全体から受ける。




うまく言葉にできないけど、聴いてる間、なんだか無性に走り出したくなるような気がする。
聴いてる間、大事なものを掴んだ、そんなような気がして、それを確かめたくて何度も何度も再生した。
それは、言葉にしようとすると解けていくから、感想を文にまとめるまで、ものすごく時間がかかってしまった。本当はまだ、形になりきれてもいないと思う。
だけど、それでもいいか。これからもきっと何回も何回も聴いて、その度に何かを掴んだ気になるのかもしれない。






少なくとも、今わかることは一つ。
あなたの音楽がある私の人生は「ちょっとマシ」になるんだ。だから、なるべくで良いから長く生きて音楽を作っていて欲しいと、身勝手なことを祈ってる。