えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Their story

このアルバムが好きだ。
所謂、ストーリーテリングのアルバムで描かれるのは主人公ふたりがHIPHOPに魅せられ自分もマイクを握る側に進む物語だ。



Theirというアルバムタイトルの通り、「彼ら」の物語なんだけど、私にとってこれは「My」ストーリーのように感じる。


「名も知らぬラッパー 綴られたドラマ 本気で食らった」


一曲目、Take My ChanceでのKZさんのバースはそれこそ私が初めて生でKZさんのライブで体感したことである。
もっとも、私はあの後、マイクを握っていないし、tellaさんのバースのようなDJタイムがあってオープンマイクがあったとて、マイクを握りに行くかはわからない。行かない可能性が高いと思う。
でも、確かにHIPHOP、私で言えば日本語ラップを聴いている時の、ライブにいる時の感覚がこの一曲目で呼び覚まされる。



なんでだろう。いけるんじゃないか、なんて思う。それは目の前で起こっている、かまされているライブがとんでもなく最高で手が届かないと思うようなライブであってもいつだってそうだ。むしろ、そんなライブだからそうだ。
ステージに立ってスポットライトを浴びるラッパーやDJはとんでもなくすごくて格好良くて、それだけ見れば「手が届かない」と思う。だけどバースをける姿を見ながら手を挙げて踊る、はしゃぐ、バカになる。そうしていると「俺だって」と思う。


立ち止まってる場合なんてないって思わせられる、人生や世界が180度、変わる。



この曲の終わりがひたすら、音を重ねて言葉を重ねて、それをRECしていくのが本当にさらに好きだ、と思う。



もちろん、2曲目の「リルヨギーとヤンポテ」3曲目の「ナンシカヤルシカ」で歌うとおり、じゃあ簡単に目の前が広がるわけじゃない。
ひっくり返った世界が、いきなり優しいわけじゃない。
なんならむしろ、「これだ」と自分で決めてからうまくいかないことの方がなんとなくで生きていた頃の数倍辛い。

だから私はこの2曲の中であるちょっと管を巻く感じが大好きだ。そしてそれでも、と重なるのが好き。



私は日本語ラップに触れるたびにその音楽を作る人たちが「俺たちは最高だ」と信じていることが大好きだな、と思う。
それは根拠のない自信でもなく、翳りのない自信でもない。

「あいつら偉そうに」と誰かを妬んだり、「なんでや」と悪態をつくようなことがあっても、いやむしろ「あるからこそ」信じてる。「俺たちは最高だ」と自分すら信じられなくなったらどうする。



誰かが創作をすること、自分の内側にあることを誰かに見せること。
そのハードルが下がれば下がるほど上がるものがある。
それでも、「ナンシカヤルシカ」と呟いて進むのが本当に好きだ。



そこからやってくる「スローモーションでゆれる」が優しくて本当に好きだ。
1番手で15分のショーケース。まだ、もっと、そう思う瞬間がないわけじゃないだろう。
でも、そうやって手を伸ばしたいと思った場所にタッチをしたんだな、と思うこの優しい曲が、本当に好きだ。


その後の「mitasareteiku」もそうなんだけど、まだ全部が満たされたわけじゃないのだ。
このアルバムは完結しない。
変わったもの(ここのショットグラスへの「今は超お得やん」のくだり、大好き)変わらないもの、変われないもの。その全部、旅の途中で、それでもちょっとずつ、ほつれが直るように、満たされていく。
そうして満たされたものでまた歩いて削れて、歩く。



ラスト「Late Sunday」の日常の中、当たり前にHIPHOPがあって、音楽を作りながら自分の人生の主役でい続ける彼らの姿にいつも私は嬉しい気持ちでアルバムを聴き終える。




日本語ラップを聴くたび、好きな人が増える。
色んなひとの人生を追体験させてもらって、自分の人生を重ねさせてもらえるこの音楽が、私は好きだ。
そしてそうしながら、ここで綴られている物語のように、あなたも自分の人生の主役だ、と優しく突きつけてくるこの音楽を私は楽しんでいたい。



HIPHOPのライブに行くたびにそんなことを考える私にとってこのアルバムはそれこそ「私の物語」であるようにすら感じた。
それは彼らの人生が愛おしく、かつ、覚えがあるものだったからだろう。
日々、色んな人たちが悩みながら「なんで」と思いながら生み出す色んな音楽たちが彩ってくれる自分の時間を見つめ直しながら私は「次は私の番だ」となんだか楽しい気持ちになるのだ。




そんなわけで色々書いたけど、音楽は読むより聴いた方が伝わると思うので、このアルバムをぜひ。
またこのふたりでアルバム出してほしいなあ…そしてTheir Story、円盤化してほしいな…。