えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ReAssembly2023 1月12日にいた私の話

どんな気持ちになるんだろうと思っていた。
…本当にこれは良くないな、と思うんだけど、「星野源のライブにいく」ということにビビりまくっていたと言っても過言ではない。



それでも、自分でチケットを取ったしもしもこのご時世的に行けなくなったらどうしようと思ってあんなに不安になったのだから、だとしたらビビるなとは思う。
友達や家族に「星野源のライブに行くのが楽しみだけど死ぬほど怖い」と言う度に意味がわからないと言われた。客観的に考えればそれはそうだし、曲がりなりにも"推し"のライブに行くというのに失礼な表現だったと思う。




しかしそう理性で思ってもなお、私は星野源のライブを生で観るのが怖かった。




私は、一度星野源の姿を生で観たことがある。
大人計画劇団☆新感線のコラボ公演「ラストフラワーズ」。
当時、そんなお芝居の贅沢セットある?!となんとかチケットを取った私は療養後復帰作として舞台に立つ星野源の姿を観た。彼自身の境遇に寄せて描かれた役で、歌を歌っていた。



かなりお祭り公演でストーリーをというよりも私はバタバタとその空気を楽しんでいたのに、その瞬間ぶん殴られたように泣いていた。歌詞やどんな曲だったかをほとんど覚えていない。でもまるで生命力という概念がそのまま人の形をしたような姿に心底びびった。いや、生命力という言葉は少しズレる。エネルギッシュだったか、と言われるとそうでもなかったように思う。でも、まるで姿全体、表現全部で生きているひとがそこにはいた。





ああきっと、私は、この人の表現が好きだろうと思ったし、思ったからこそ、その時の私は「この人の表現には触れるまい」と思った。自分の価値観全部が変えられそうだったし影響を受けて自分の形を忘れかねないとすら思った。




それから数年後、地獄でなぜ悪いを繰り返し「この曲が好きなだけだから」と言い訳しながら通勤電車の地獄に耐えるために聴き、そうして、あの2020年、とうとう私は彼に出会った。出会って、理屈をこねる間もなく、ただただ、星野源を、星野源の作る表現を好きになった。




好きになって3年。本当に楽しくて幸せで、なかなかにクソなことがたくさんあっても笑っていられたのは彼の表現の、源さんが楽しそうに笑う姿の、話す言葉の、おかげである。
しかし、だからこそ、今この状態で星野源を生でもう一度見て、自分の価値観全部がひっくり返るのが怖い。ひっくり返ってもちっとも良いやつになれなさそうな自分が怖い。そうなった時にいよいよ自己嫌悪でにっちもさっちもいかなくなりそうで怖い。



理解されなくても良い。というか、理解されないと思う。でも、私にとって星野源のライブは「人生がひっくり返る覚悟」が必要な場所だったのだ。




前置きが長くなった。これは、そんな気持ちでぐらぐら揺れながら3年越しの約束の場に参加した、その約束後から好きになったひとりの人間のReassemblyの記録である。
記録、といいつつ、曲やMC、企画の感想ではなく、ほぼほぼ、その場にいて何を考えていたかの文でしかないので、どんなイベントかを知りたい人には全くご期待に添えない内容になっている。


※とはいえ、全く何一つ情報を入れたくない!というひとには匂わせるような表現もあるため、お気をつけください。









源さんのライブパートとトークパート、そしてニセ明によるライブパートという構成のこのイベント。
YELLOW PASSの読者のみが参加できてかつ、連番参加不可(ひとりずつしか申し込めない)という仕様のため、大阪城ホールに集まったのは「星野源の変態」たちである(源さん談)





友達とグッズ列に並びながら「ここにいる人たちはみんな星野源が好きなんだよねえ」としみじみしていた。
改めてなんてこった、と思う。物販開始前に向かっても折り返すくらいの大量の人が、星野源を好きで、ここにいる。



もうなんか、その光景から愛おしくてちょっと泣きそうになった。友達もまた、3年前にチケットを取っていた3年越しの約束を果たしにここにいる。
私もそこそこに色んな想いを抱えてここにいるけど、当たり前にそれぞれが「星野源」の音楽に、芝居に、表現に色んな想いがある。
その「色んな」が凝縮して、それぞれ表からは見えなくても、わくわくそわそわしているのはおんなじで、それがなんだかたまらなく嬉しかった。





そこからの、源さんの音楽のイベントの記憶をどう言葉にしたら良いんだろう。約3時間に及ぶイベント終わり、ただただ、頭の中には面白いことしよう、楽しいことしよう、という言葉だけが残っていた。





ライブ前はこれを見て生きていこうと思ったら、いや思ったのに「もう無理だ」と思ったら自分のことをとうとう許せなくなるんじゃないかと思っていたのが嘘みたいだった。
観終わっていや観てる途中、あったのはただただ「面白いことがしたい」「楽しいことがしたい」だけだった。




一曲目、始まって思う。ずっと、こうしてこの人の音楽を、聴いていた。
嫌なことがあった日もなんでもない日も、許せないことを考えてる時も
嬉しかった日も、覚えてられたらいいなと思っていた日も。
そのたんびに再生した曲たちが、目の前、歌われていく。



私は音楽の良し悪しがわからない。私に分かるのは「これが好きだ」ということだけである。
その感覚全部で思う。この人の音楽が好きだ。



音源ではない、映像ではない、目の前の星野源が、バンドメンバーが奏でていく音楽。音源とは映像とは違う。生きた、目の前でリアルタイムに生まれていく音楽たちはどれも鮮やかだった。好きな曲が流れるたび、心が跳ねた。
聴いていた景色が甦る。それと目の前の景色が重なる。その度に涙が流れて心臓がばくばくした。




そういえば。
星野源が好きだ、と言うと「昔好きだった」と言われることが度々あった。
今はPOP STARだからなあ、と言われることもあったし、今も変わらず好きな人も過去の音楽と今の音楽の違いについて話してくれることもあった。



確かに、「ラストフラワーズ」で観た時のような殴られたような感覚はなかった気がする。



でも、そうじゃなく、ただただ、ああこの人は生きてきたんだなあと歌う源さんを観て思う。
後追い的に繰り返し観た過去のライブを作り上げた源さんが、そこに目の前にいた。
好きになって追いかけた、お芝居を見漁った、インタビューを読み耽り、見れるだけ聴けるだけの過去の作品・表現で出会った源さんと2023年1月12日に触れた源さんは、完全に同じ人だった。
あの表現を作ってきて、生きて、生きてきたからこそ、いまの源さんがいるんだなあと思ったらバカみたいに泣いていた。



だって、その源さんに出会えたのは、私も生きてきたからなのだ。




源さんを好きになった頃、世界の多くの人がそうだったように私も深く落ち込んでいた。ついでに言えば個人的にも色々あった時期で「もう何かを面白いと思うことそれ自体がきつい」と思っていた。
だけど、あの年、源さんに会って「ああでもやっぱり私は面白いや楽しいが好きだ」と思った。サボらずに、そこに目を背けず、やっていきたいと思った。





なぜなら源さんが、地獄から目を背けず、それでもそこに溺れず、面白いや楽しいを次々作り出していく人だったからだ。
そしてそれは誰かのためだけではなく、何より、自分のためだと思うような、そういうところが私はたまらなく好きなのだ。





ライブ中ふと、去年の星野源オールナイトニッポンでゲストにきたマフィア梶田さんの言葉を思い出した。




「全てにおいてそれらを最上位に置いて人生を生きてるんで。じゃないと、この世界はつらすぎますわ」

(みやぞーんさんによるラジオ書き起こしはこちら)




ああそれだな、と思った。

源さん自身もそうして「面白い」でなんとかこれからも生きていけると日々思いながら生きているから、そうして面白いを大切にして楽しんで、自分自身も生み出している人なのだ。だから好きなんだ。

思えば、最初に彼が演じていた志摩一未ではなく、"星野源"に興味を持ったのもMIU404の4話について語る時に過去、観劇で感じた感覚を「生きていける!と思った」と表現していたことがきっかけだった。ああこの人はその感覚を知ってる人なんだ、そんな人がこの表現を生み出してくれているんだと思ったらもう、好きにならずにはいられなかった。






私は、星野源のライブに生で触れたら生まれ直すような覚悟だった。だけどそうじゃなく、そのまま肯定されたような気持ちになった。
それはなにも「ありのままでいていい」という肯定ではない。


肯定ではないのだ。
人生の肯定って書いたけど本人もいつかのラジオで言ってた通り、ありのままを肯定というか、そのままでいていいよ、って言ってくれるタイプのひとではないなあと思った。
ライブの時のあの感覚は「お互いそこにいるね」だったような気がする。





お互いにここにいるから、ここで今、心臓が動いてるから、じゃあどうする? の語りかけ。
それをあんなに楽しそうに、熱量を持ってやられると私は「ああじゃあどうしよう」とわくわくする。





別に、生きづらさがどこかにいくわけではない。だけど、そうだ、楽しい、わくわくする、その気持ちでなんとか、生きていける、生きてきたから私たちは今、ここにいるのだ。



ねえ、じゃあ、どうする? ここから。




そんな気持ちの方に自然と星野源の作り出す面白いはいつだって私の手を引いていってくれるのだ。




ライブやお芝居を見に行った時に「会った」と表現することは私はあまり好きではない。好きではないけど、今回はさすがに「会った」と思った。




観客(受取手)と表現をする人は言葉とも違う、なんだか不思議な手段でコミュニケーションを取るのだなあとこないだから考えていた。



言葉にすれば、あるいは本当に一対一の日常の中でやる手段であれば誤解やディスコミュニケーションがいくらでも生まれる可能性があるのに、なぜか、あのエンタメという音楽やお芝居、そういう"面白い"を通してならやりとりできる。過不足が発生せずになんだか本当にあの場にいないと分からない「伝わった」が生まれる。私はいつも、あの空気に触れるたびに泣きそうになる。
ばらばらのまま、源さんの言葉を借りれば「アメーバになった」あの空気が私は好きだ。


受け取る、なのだ。コミュニケーションなのだ。
会えなくても、とは思う。
画面越しでも別に良いじゃん!と叫んだ、あの星野源が、直接会ってコミュニケーションをすることを、そうじゃない時に履き違えてしまうのかもしれない、と言っていた星野源が、そこにいた。
どっちが良い悪いとかではなく、あの時やその時を否定するのではなく、結論つけるのではなく、ただ、でも、私たちは今、一緒に笑っていた。



表現が橋だと言った源さんの言葉通り、あの時私たちは源さんに、バンドメンバー、寺坂さんに山岸さん、スタッフさん、そして同じような源さんが好きな星野源の変態のみんなに橋を渡って会っていた。
そこで仲良くなるとかではなく(なっても良いんだけど)ただただ、同じところで笑えることがばらばらのまま、幸せでいることが私はたまらなく好きだった。




とはいえ。
まだ、今後どうなるか分からない。それはコロナのことだけじゃない、いつだって本当はずっとそうだった。
そして今回も、やむを得ず、行けなかった、行く予定がなくなってしまった人だっているだろう。
それでも、創意工夫で悲劇から目を逸らさずにただ溺れることもせず、喜劇を見る・生み出し続けるだろうと源さんに対して思っている。
そして私も、そういう面白いをきちんと見ていけたら良いと思う。



それができるんじゃないかって今は、信じられている。
生きるのが下手くそですぐに生きづらさに迷子になる私でも、それを信じられる。だって、これまでだってずっと、そうしてきたのだ。



今回のイベントの構成はただ3年ぶりという感慨で終わらず、その上げらげら笑って「ああ楽しかった!」で終わるように意識されたものだった。
音楽だけで意味のわからない、何があるか、どうなるかわからないことで遊ぶこと。
そういうものが、本当に嬉しかった。意味がわからなくて、バカバカしくてでも私たちの大好きな「面白い」に満ち溢れていた。





生きていくのだ、と決めなきゃいけないと思っていた。
そうじゃなかった。続いていく。終わるまで、続く。どちらにせよ、いつか終わりはくるけど、続いてる間は、ただただ、続く。
ならつまりは何度も「今」そうだ、と思えばいい、明日そうじゃなくなることが悪いわけじゃない。
そうやって、なんとか、やっていこう。今日の楽しいをポケットいっぱいに詰めて、自分でも楽しいや面白いを探しに行こう。




色々あるけど、またこうして笑って会えるからそれまで、また、笑顔で会いましょう。そう笑った源さんの言葉を声を表情を覚えている。

そうだ、また、笑顔で会う。会いたい。それぞれに最低な毎日かもしれない、明日もうんざりするかもしれない。するだろう、きっと。
だけど、そこでも私はちゃんと落ち込んで傷付いて、それでも楽しいことでたくさん、笑うのだ。源さんの音楽を聴きながら。