えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム

 

 

刺さって抜けない放送になったらいいなと思って

 

 

 

 

そう源さんに言われた夜を覚えている。どころか、その放送の一部を録音した音源は眠れない夜の毛布みたいに使い込んで、これまで、何度も何度も聴いてきた。若林さんと源さんが笑い、喋るその放送が大好きで、大切で刺さって、時々思い出す、いざという時に取り出すお守りのような放送だった。
そういう意味で「リトルトゥースか」と問われると曖昧に微笑んでしまうようなところがある。


だというのに、今までの自分なら「自分よりもあの会場にいるべきひとがいるし」なんて怯み続けただろう奇跡みたいな場所に、「私がここに来たくて来たんだよ」と思いながら開演前、座っていることにびっくりした。だけど、どうしたってそうだった。浅い年数も、もちろん、そうなんだけど。だけど、私はあの夜の時間が好きで、彼らが好きで、だからここにいるんだよ。

 

 

 

最初に興味を持ったのは2021年、9月7日の星野源オールナイトニッポンにゲスト出演した夜。

 


そこから、気が付けば、どんどん好きになった。

 


例えばそれは、いつかの放送で言っていたような「ナナメに世界を観る言葉」に共感するからじゃない。実際、私が聴くようになってからはそういう「ナナメ」な若林さん、と感じることはほぼなくなっていた。のめり込むように読んだエッセイの気配も時々香る程度になっていた、とも思うし、だけど、私はそれでも良かったのだ。いやなんなら、それが良かった、とすら、言えるかもしれない。
関係なくて、ただ、自分のための言葉に出会えるとか共感できるとかじゃなくて、もちろん、そんなふうになった言葉やエピソードトークだってあるけど、そうじゃなくて、ただただ、面白かったのだ。聴いてるとバカバカしくて、くだらなくて、そういう会話に笑うことが、私は大好きなんだ。

 

 

 


この後、私はきっと、好きだった瞬間を書く。大切だった瞬間、来て良かった、と思った瞬間のことを書く。
だけど、間違いなく、私の好きな「ここにいる理由」は言葉にならないような、書くときっと「え、そんなこと?」と言われるような些細な瞬間たちだった。なんでもない、"ドームでやるような話でもない"時間が、私は何より、嬉しくて大好きで、それが聴きたくて、東京ドームまでやってきたのだ。
なんなら、それは何度も何度も繰り返ししてきたようなバカ話なのかもしれない。だけど、そんな夜が確かに私には、私たちには大切な「あの夜」なのである。

 

 

 


オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム
約1年前に発表されたその企画は、番組史上どころか、ニッポン放送史上、そもそも、ラジオ業界史上初となる試みだった。ラジオ番組が、東京ドームでイベントをする。いや、なんなら「喋り一本」でドームを埋める。
イベント中、若林さんも口にしていたけど、宗教家ならともかく、そんなこと「ありえない」ような出来事だった。

 

 

そして数週間前のラジオ放送で言われて気付いたけどそもそもそのイベントで何があるか、を私たちは知らなかった。知らないまま、ドームのチケットを、ライブビューイングのチケットを配信のチケットを購入していたのである。
私も今回周囲の人から「どんなイベントなの?」と聞かれ「……さあ?」と答えながら、そういや、何があるかわからない・どんなイベントかもわからない中で、行くことを決めるイベントってかなり特殊だ。
ただ、終わって思うのは、私たちはそこで何があるか、なんとなく、知っていたのだ。
そこで、「オードリーのオールナイトニッポン」がある。それだけで、十分なのだ。

 

 


長いオープニングトークも、悪態も、これ全国に放送されてるんだぞ?と笑いそうになるくらい内輪なふたりだけの会話も。
何度も何度も聴いてきたあの夜の放送だった。

 

 


そうだよな。
無茶苦茶なバラエティゾーンも、プロレスもDJプレイもLIGHTHOUSEのパフォーマンスも。
どれも特別ではあったけど、どれも「ラジオの可視化」だったんだ、と思う。今までの夜の中、話してきたふざけてきた、そういうことが目の前で繰り広げられただけ。そして私たちはそれに周波数を、波の形を合わせて、集まって、笑ったり熱くなったりしたんだよな。

 

 


みじめさもプライドも好きも、くだらなさもずるいところも、面白いも楽しいも全部ごった煮で無茶苦茶で、それがそのまま、そこに在れること、在ること。
手を叩いて笑った、はしゃいだ、涙ぐんだ、全ての時間がきっとこれからも残っていく。

 

 

 

去年上演されたフロホリことFROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts なんと括っていいか、まだわからないの後、LIGHTHOUSEで「観た人の心の中に残る」と若林さんが言ってくれていたことを思い出す。あの公演もまた私にとって特別で、だからその一言が、嬉しかった。そこから、ドームでの公演を作ろうという話を、私は嬉しい気持ちとわくわくする気持ちを噛み締めるように聴いた。

 

 

そのことを、今、思い出している。

 

 

 

あの夜に、こんな続きがあるなんて思わなかった。好きな人が増えたこと、楽しい時間を重ねて来たこと、それがこんなに物凄い光景に繋がっていること。それをこんなに心を躍らせて楽しんだこと。
生きてて良かったと思う。もっと言えば、生きていきたいと思う。いつかの夜がこんな夜に繋がってくれたから。また、こんな夜を楽しみにクソみたいなことも全然余裕で乗り越えられるような気がしている。苦役列車?全然乗ってやるよ。

 

 

 

生きていくことは、宝物を増やしていくようなことなんだ、と思った。

 

 

 

最後、もしも、と約束してくれた言葉を灯台代わりに、笑いながら悪態を吐きながら中指立てながら土曜日、いつもの時間、周波数になんとか辿り着いてまた心を躍らせていくのだ。

 

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