えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

振り返り日記

 

グッズ何を買うか、とか、どこに行くか、とか、そういう打ち合わせから「楽しい」が始まっていて、その上、その日の楽しいはどれもこれも最高に絶品なものたちばかりだったので、楽しい余韻がふわふわとまだ辺りを漂っている。

 

2月18日、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム。そのビッグイベントがあった日が特別「お守り」のようになるのはそれはそう、なんだけど、何よりそれをその日、友だちと過ごしたこと、またそのドームまでの時間が私はかけがえないものだったんだよなあと終わって数週間経った今も思い出してる。
そもそも、熱心な、あるいは長いリトルトゥースではない私が、あのイベントに「行きたい!」と思えたのは、友だちが「一緒にいく?」と言ってくれたからで、思えばその友だちとは、音楽やラジオを楽しむことはもちろん、楽しい、をたくさん見つけては遊んできた。
それが本当に嬉しいし、そんな友だちであるもぐなおさん(id:gdno)と行くのにぴったりなイベントだった、と思う。

 

 

 

 

イベントの感想自体は既に別の記事で書いたんだけど、

 

 

どうしたって私はあの日を振り返り振り返り過ごしてるので、せっかくだし「私の2月18日」の話をしたい。

 

早朝、ドキドキそわそわしながら前日のオードリーのオールナイトニッポンをタイムフリーで聴きつつ、新幹線で東京へと向かう。
体調不良になったらどうしようと前日緊張で寝れなくなりそうになるくらい、私はこの日を楽しみにしてたんだな、としみじみした。
そうしながら、聴き終わったラジオにニヤニヤして、せっかくだし、とover the sunとJR東海のコラボ企画放送も聴く。あまりにもラジオめいていて、推し尽くしの最高の道中。
「とうとう行くんだな」と「行けるんだな」を噛み締めながらこの時点で既に「ラジオが好きだな」が満杯になっていた。図らずも、その前日、急遽Creepy Nutsオールナイトニッポンが一夜限りの復活を発表していたこともあり、「ラジオが好きだな」を定期的に噛み締めてしまう。

数年前までは生活になかったものが、いつのまにか、なくなることを想像できないくらい大切になっている。
何より、こうしてオードリーやジェーン・スーさん、美香さんのなんでもない雑談を聴きながら、笑いを堪えたりじんわりしている道中はたまらなく幸せで、豊かな時間だった。

 

そうして東京駅でもぐなおさんと合流して、共通で聴いてるラジオである佐久間宣行のオールナイトニッポン0パーソナリティ佐久間さんのYouTubeチャンネルで紹介されていたトンカツ憶さんへ。

 

 

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お店に向かう時間も、お店に着いてから並んでる間も聞いたラジオや今日の楽しみ、その他諸々、好きや楽しいの話をひたすらしていた。
ふと、周りの会話なんかが耳に入る瞬間もあって、だからこそか余計に「え、こんなに楽しい!」の話できるの、幸せじゃない?と再度勝手に衝撃を受ける。何かに対するネガティブな話が入り込む隙がないくらい、楽しいや好きがあって、その話を延々としている。え、これってもしかしてものすごく幸せじゃない…?

 

変わらず美味しい憶さんのトンカツをほぼ無言で食べつつ、たまに小声で「美味しいね」「すごいね」と言い合いつつ無事完食。嬉しい美味しい楽しいの思い出がどんどん増えるので、憶さんは最早、推し関係なくある種のパワースポットとなっている気がする。

 


楽しいが増えるのってすごい。

 


もぐなおさんと一緒にいる時、よく写真を撮るんだけど、私はこれがめちゃくちゃに嬉しい。普段、自分の写真を撮らない民なのでもぐなおさんに「写真撮ろう!」と言われると大いに照れてもしまうけど、すごくああして写真を撮るのは大事だな、と思う。だって、振り返って写真を見返すたびにほこほこになるのだ。

写真なんて、と思うことはもちろん、今もあるけど、ここ数年はちょっと変わった。楽しいや幸せを形にすることは大事だ。

 

 

もぐなおさんと勝鬨橋を渡ったことがある。
私たちにとって、勝鬨橋Creepy Nutsの「のびしろ」の聖地である。勝鬨橋で、ふたり「同時に見えるとこどこ?!」なんて言いながら東京タワーとスカイツリーを探した。

 

写真を撮って爆笑しながら過ごした、その日が私は本当に嬉しくて楽しかった。聖地と言っても、何があるわけでもない普通の橋である。東京タワーとスカイツリーは見えるが、綺麗に見えるところはそれぞれ他にある。
だけど、私がその日のその思い出が、特別になっているのは、のびしろの聖地だというそれももちろんあるのだけど、その時もぐなおさんが「こういう楽しい思い出がつくさんにたくさん増えたらいいと思って」と言ってくれたからだった。
私は結構、その一言こそが、お守りになっているのだ。

 


私はいかんせん、すぐにいろんなことが嫌になり「あーこれ投げ出したいなあ」と思いがちである。マイナスを見つける方がたぶん得意で、ネガティブが友だちみたいな人間性だということをもういい加減自覚している。
そんな中でそれをどうこう言うでもなく、ただただ「楽しい思い出を増やそう」と一緒に過ごしてくれるひとがいるということは、どれだけ幸せだろうか。
実際私はその勝鬨橋での写真を定期的に見ては楽しかったから大丈夫、とよく思うのだ。
それ以来、写真を「楽しい」の時に撮るのが好きだ。まだ不慣れなので結局撮り損ねてしまったりもめちゃくちゃするけど、できる限り、楽しいを残しておきたいな、と思う。
(ので、私と遊ぶみなさん、よければ写真を撮らせてほしい。忘れがちだけど)

 

 

 

 

お腹をいっぱいにした後は横浜まで足を伸ばして水木しげる展へ。
去年、ゲ謎を観て以来、私はすっかり「水木しげる」というひとに興味津々である。


 

劇中の「水木」が好きだからというのはもちろんある。そしてそれが、少なからず「限界社会人」として過ごしてる自己投影と、そんな自分ではなかなか行き着けないところで足掻いた水木への憧れからくる「好き」であるというのも、まあ、そうなんだけど。
だけど、やっぱり何より、私はこの作品が「水木しげる生誕100年」での記念作品であり、墓場の鬼太郎などの流れを汲んだ「変化」を含んでいることにどうしようもなく嬉しくなるのだ。

 

水木しげる展は私が行きたい、と言った場所だった。今、行って良かった、と思うし、それがもぐなおさんとで良かったなあと思う。
付き合わせてしまってないかな、と過ったのは最初の数分で「描き込みがすごい!」と私も気付かないようなところに目を輝かせていて、すごいな、と思う。すごい、本当に私の友だちは面白いと楽しいを見つけていく天才だと思う。

 

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そして何より、展示の中、数々の原画を中心に「水木しげる」というひとを表すような空間は、本当に過ごしていて居心地が良かった。
気が遠くなるような描き込みをされた原画を見ながら、「ここにこんな描き込みがあって」と言われて眺めて、絵を描かないながらにもその途方もなさを思ってしまう。何より、そうした作品を生み出す背景や「妖怪」との距離感、思いは「面白いこと」「好きなこと」への真っ当な姿勢であるように感じるし、私はそういう人が、たまらなく大好きだ、と思うのだ。

 

そうして思うと、彼の物凄い熱量の「好き」が、こうして脈々と現在まで続き、水木(映画のキャラクターの方)があの結論を出す「愛の物語」が描かれることは、なんて愛おしくて優しいんだろう。
そんなことを展示を観ながら思った。
妖怪に対して向ける眼差し、面白がり方、また0から生み出すのではなく、あるものを描くのだという信念にああして触れられて本当に良かった。私は、この人がそしてこの人から続く物語が好きだ。

エッセイも買ったから大事に読むぞ。

 


見えなくても「いる」のだというその言葉を反芻しながら、その夜、過ごしていた。
夜のドーム、きらきらと思い出すだけでにやけてしまうような光景。普段は見ることはない同じラジオのリスナーの姿。いつもどおりの特別な夜。
それを友だちと観ること。

 

 


その日であった人たちはみんなちょっとイカれてるくらい何かが好きで、自分の面白いを信じている人たちで、そして私はそんな人やそうして作られたものが、こんなに好きなのだ。
そんなことを思う。そこを通じて出会った友だちと、こうして過ごすことができていることと、星野源のおともだちが重なった。
リズムが完全に同じなわけでもない、だけど、だからそれが良かった。同じところは嬉しくて、違うところは面白いのだ。

 

 

 

そうやって「自分の面白い」を信じてもいいのだ、と思った。あのドームの光景だけじゃない。あの日1日の時間が、力強く「そうだぞ」と私に言ってくれている気がする。
ああもう、面白いな!

 

 

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そんな私的2月18日の総括曲は星野源さんの「ギャグ」でした。
隙間に隠された、インクに滲んだ、涙では決して流れない色んなものを私はあいしている。