えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ドーナツを買う。限定のじゃなくて、いつものやつ。
チャイを淹れる。正しい淹れ方なんかじゃないけど、お手軽で、でも一応美味しいやつ。
夕飯は昨日食べて美味しかったものをもっかい作る。
家に帰ってすぐに、好きなラジオをつける。賑やかな声に笑ったりしながら家事をする。
パズルゲームをやる。何種類か、携帯に入れておいてるやつを順ぐり、スッキリするまでプレイする。
読めてなかった友だちからのメールをじっくり読んで、考え事をしつつ、良いな、と思ったところをもう一度読み返す。
好きなラジオの最新話の配信があったことを確認して嬉しくなってアプリを開いては閉じ、開いては閉じする。聴くのはたぶん、また今度。残機が増えたような気持ちで「あの回も好きだったな」と再生もせずに思い出す。
面白いなと思ってる漫画を1日過ごしたことでたまったライフを使ってアプリで読み進めたりする。







そうやっていたらだんだん回復する。






今日聞いたどうしても忘れられない嫌だった言葉だとか
明日以降どうやってこのどうしようもない状況を脱するか浮かんでないこととか。
そもそも許せてなくて見なかったことにした出来事のことを一つも見なかったことになんてできてなかったりする。




そういう、そこにあるだけで、いるだけで削られていく色んなものがマシにも治りもしないけど、回復はする。







まだ大丈夫、なんて言葉が白々しいなと思うことはある。その「まだ」を繰り返してるうちに手の施しようもないことになるんじゃないの、なんていう不安と、もうなってしまえよ全部終わっちまえという苛立ちも、なくなるというか、静まる、に近い感じになるまで、待つ。






気を抜くと悲しかったり憎かったりすることが増殖していく感じがすごくする。
わざわざ探しにいかなくても酷いことがあちこちにあって、一言物申したくなるような、なんだよ、と小突いたりしたくなることが、あまりにも多い。
まだ、好きなもののことを考えていられるだろうか。








美味しいもの、格好いい音楽、何度も繰り返し見たお芝居、映画、大切で覚えてしまったラジオ、お守りみたいな文章。









意地悪を言いたくなる。正論で相手を殴ってボコボコにして「謝れ」って思う。
下げてこっちを上げたくもなる。
でも、全部、全部全部全部、クソみたいで面白くなくてダサい。どれも紛れもなく自分の中にあるけど、何より許せないのは自分がそういうダサくて面白くなくてクソなところにいくことだ。




そういうのが全部嫌で、絶対にそうなりたくなくて、瀬戸際、本当に一歩分も離れてるか離れてないかの場所で、思う。
嫌だよ、絶対そっち側にはいくもんか。私にだって、プライドはあるんだ。






例えば格好いいと思う音楽。何度も思い出してるお芝居。イカしてる映画。文章。ラジオから流れてくるお喋り。
そういうのは、全部、真逆にあって、そして、私はそういうのが好きなんだ。





正しさで殴る暇があったら、面白いで笑わせたい。格好いいで惚けさせたい。
それを私は、真っ当だと思うと決めたんだ。
よし、まだ大丈夫。まだそう思える。
指折り、数える。反撃は明日の自分に任せて、今日はもう、好きなもののことだけ考えて寝ようと思う。おやすみ。明日また、面白いこと、楽しいことを思い切りするのだ。