えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

JSB LAND

私は自分の好きなもので自分ができていると思っている。それは今も変わらないけど、数年前はさらにそこから進んで「私の名刺は好きでできている」と思っていた。



今はほんの少しそうなのか?とも思ってる。ちょっと違う気がする。




好きがたくさんあるし、私の価値観や考え、行動はその中心に確かに今も好きなものがあって、背骨を支えてもらっている。



好きなもの
ラジオ、梅田サイファー、日本語ラップCreepy Nuts、映画、ドラマ、音楽、星野源、TAKAHIROさん、ØMIさん、 NAOTOさん、ポップンマッシュルームチキン野郎に、X-QUEST、高田淳さんをはじめとする小劇場の役者さんたち。
挙げ出すと正直、このブログの本題にいつまでも入れない気がする。





ともあれ、好きなものがたくさんあって、それがあって良かったと思っていて、なのに時々、まじで分からなくなる。
好きってなんだっけ、とも、これって好きなんだっけ?と考え込む。




三代目J SOUL BROTHERSのライブに行ってきた。彼ら自身も久しぶりだというドーム公演、私にとってはコロナ禍に入る前、RTFのクリスマス公演以来の「三代目のライブ」だった。


しっかりと情報を追ってなかったから、まずSTARSとJSB LANDが違うツアーである、ということにちょっと前に気付き、「おや…」と思った。おや、と思った自分にもなんとも言えない気持ちになり、これは私はどんな顔をしてライブに行って良いのだろうか、と迷ったりもした。
その上、これは本当にどうしようもないことだけど、直前、LDHのライブに行けなくなったこともあり、「縁がない」と思うべきでは、と、いやいや勝手に諦めることもすごく不誠実では、と考え込んでいた。




考え込めば込むほど、どのテンションでこの会場にいて良いのか、と思いつつ、ある意味で「ランド」な装飾に「わかんねー」と明るく笑いたいような気がして、肩の力が抜けた。
いちいち考えてるのもバカらしいし、始まった時の気持ちを大事にしようと落ち着いて、開演の瞬間を待つことが出来た(でも緊張していたのか握力は見事にしんでいた)(携帯は落とすしペットボトルは開けられなかった)



そうして始まったライブ。初っ端から、まさか泣くことになるなんて思わなかった。
新しい曲ももちろんあった、あったのだけど、それ以上に「私が三代目を好きになった時に繰り返し聴いた曲」が立て続けに披露された。





三代目ライブでの「思い切り盛り上げていく」という冒頭の畳み掛けが好きだ。
そしてその曲たちが自分が彼らを好きになった頃の曲で盛り上がっていく心臓と懐かしさで心がメタメタになってしまった。




負けそうになりながら歩いていた通勤路でずっと聴いていた、歌詞に背中を押されながら繰り返し繰り返し聴いていた曲たち。




そして、それだけじゃなく私には新鮮に映るこの数年の曲たち。
コロナ禍もたくさんの曲をリリースしてきた三代目。新しい曲もあった。ただ懐古して、とかのセトリではない。
全部続いてひっくるめて「ここまで進んできた三代目」のセットリストだったような、そんな気がする。
そしてそれはいろんなことを越えて、ここまで辿り着いた彼らにしかできない、そう思った。







王道真っ直ぐ、エンターテイメントの真ん中を走ってきた彼らの曲。ポップで、有名で、その曲たちをこの熱量で歌えること。そしてその歌をパフォーマンスが彩っていくこと。
それって、簡単なことじゃないんだ。
「王道」で「格好いいこと」って、たぶん、成立させるのがすごく難しい。ドームを埋めること、そこで観客を楽しませること。





私にとっては数年ぶりの三代目のライブで、圧倒された。そうだ、この人たちってめちゃくちゃ格好良かった。それは人気があるからとか、ビジュアルが整っているからとかだけじゃない。もちろん、私は彼らを「好きだ」と思った時間が前提ある。だけど、それだけじゃないんじゃないか。
物凄い努力と、そこで人を楽しませるのだという覚悟がないと、あんなエンターテイメントは作り出せない。心から、そう思う。




JSB LAND」と名付け、会場内だけじゃなく、ドーム近くから色んな装飾があった。オープニングの壮大な音楽と映像はある意味でLDHのライブの「いつもの」でもあるけど、久しぶりにその場にきた人間にとっては、そのオープニングを寒々しくさせない熱量とスキルに完全に食らってしまった。





そして、一番熱量を持って応援していた頃から数年経ち、正直に言えばどんな気持ちで私は彼らを今、好きだと言えるんだろうという迷いを持っていたのに、いや、むしろ持っていたからこそ、あの冒頭の畳み掛けに涙が止まらなかった。
あの2018年、繰り返し聴いていた音楽を今も好きだと思った。2018年の自分と2023年の自分が重なった気がした。





コロナがあって
当日の中止や関係ない個人的な苦しさがちょうどタイミングが重なってしまったこと。その中でも届けてくれるエンタメにエネルギーをもらいながらも、だんだん「全体」が気になるようになってきたこと。本当は存在しないはずの「みんな」に勝手に疲れて、そんなことに疲れてしまうことにますます自分の中の好きを信じられなくなった。





本当に好きなら外野の意見だのに耳を傾けずに、何かに捉われたりせず、楽しめるはずなのに。なのに、うまく楽しめなくなってきた自分はただ、好きじゃなくなったんじゃないか。



そのなんだっけ?が行き過ぎてだんだんと「好きではないかもしれないボックス」に入れていた。いや、正確には「好きではあるんだけど大っぴらに好きとは言わないし自分でもわかんないっすねボックス」である。




自分の好きを強く強く否定して否定していると「好きがあったこと」すら苦しくなっていた。
出会わなくて良かった、と思いたくないと念じながらも出会ったことで勝手に抱えたものの置き場所に困ってきた。
何より、自分の好きはただ、嘘をついていたんではないか、ということを否定する根拠を失っていた。自分が好きになった人たちのことは今も見たらときめくから全部は否定せずに、でももう、ひっそりとゆっくり穏やかな好きのままでいよう。そうも思った。





でも、今回。あの頃聴いていた曲に心が躍った。数年聴いていなかった音楽なのに口ずさめる。歌詞が分かる。
彼らのパフォーマンスに勝手に、手を挙げて踊りたくなる。





そうしているうちに思い出した。
初めてライブに行った日のこと、おみさんを好きだと思った瞬間、敬浩さんに惹かれ出したこと、ライブに行くためにあちこちの街に行ったこと。
そこで出会った友だち、そういうことがまるで走馬灯みたいに蘇った。そのどれもが、私にとっては、幸せな思い出だった。幸せで大事な時間で、あれがあったからこそ、今の自分がこうしていられるんだ、とようやく思えるような気がした。大切にしていいんだ、私はこの思い出を。だって大事なものなんだから。




また、今回、今まで彼らがメンバーそれぞれにソロでやってきた活動が「三代目J SOUL BROTHERS」と交わる演出があった。
個人の活動が全体、グループに「還る」演出はそれこそ最後にいったRTFのツアーでもあったように思う。だけど、今回のそれは「還る」ではなく、「交わる」だった。そう思う。
それは、ソロの音楽やソロでの活動を「みんなで表現する」からそう思ったのかもしれない。だけど、それだけじゃなく、それをする彼らの表情が、何より「その演出を選んだ彼ら」がそう思わせてくれたんじゃないか。




おみさんのエッセイを読んでのファンの勝手な感傷もあるだろう。
だけど、ソロ活動と繋がっていく、交わっていく今回のライブが。悩み、考え、それでも生きて、生きて、生きた上で、このライブを作ってくれた、それが本当に嬉しかった。





なんのために生きているのか、なんのためにこの仕事をしていて、何を思っているのか。
思いもよらないような、もっと言えば望んでもないことが次々起こることだって人生にはあること。
それでも生きていくしかないとして、その上で、このライブを観たこと。
彼ら自身のこの数年と自分のこの数年が重なって、それがこんなに嬉しいなら、もうそれが答えで良いんじゃないか。



そんなことを思っていた時だった。
直人さんが目の前、フロートでやってきて、バッチリR.Y.U.S.E.Iでランニングマンをやってくれた。
その瞬間にちょっとびっくりするくらい涙が出た。もうそろそろ自分の感情の揺れ方にも慣れて制御できないような泣き方をしなくなったつもりだったのに、全然無理だった。
嗚咽を噛み殺して泣く、なんていつぶりだっただろう。
この人のダンスが、好きだ。




さっきまでこねていた理屈や感情が吹き飛ぶ。どうでも良かった、とまで言えばいくらか乱暴だけど、そんな気すらした。私は、このダンスが、このダンスを踊るこの人が好きなのだ。
そうだ、私はこのダンスを観て泣く人間だった。
このダンスが、大事なんだ。




今も、あの時の感覚が残ってる。
永遠なんてないだろう。ずっと好きでいたい、と願うのも私の中では今は違う。
だけど、何があろうが消えないものがあることは、確かにちょっと、知ったような気がするのだ。
それが知れて、本当に良かった。彼らのことを好きだとまた思えたことが、私は本当に本当に嬉しくて彼らに最大の感謝伝えたいんだ。
今日までずっと、続けてくれていてありがとう。