えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Communication Release ONE MAN LIVE

陰キャはクラブには行かないよ。
そう言われたことを延々と考えている。悪意ではなく、陰キャだけど好きなものの例の話の中で「私そういうのはなく、真っ当に陰キャですね…」と返した時に言われた言葉だった。
なるほどー!確かにー!と返しつつ、やっぱりそうかな?と思う。むしろ、陰キャにこそクラブは優しい空間だとも思うのだ。
爆音で音楽がかかってるから誰かと喋っていなくても違和感がなくいれるし、暗いから互いにどんな人かまじまじ見ることもほぼない。もちろん、いる人々の中で自分がマイノリティであることは否定しないけど、それでも、あの空間に「逃げ込む」ように向かうことがむしろ私にはあるのだ。

 

 


そんなことを、アルバムを聴きながら早朝、散歩をして思い出していた。
あの時の会場はクラブではなくライブハウスだったけど。会場の話ではなくて、私にとっては日本語ラップは、そしてテークエムさんの音楽は、そういう場所なんだと今回のリリースパーティで改めてその想いを強くした。

 

 

 

 

アルバム自体の感想も書いていたけど、私はこの「Communication」というアルバムが大好きだ。前作、THE TAKESとの対比も美しいと思う。

 


コミュニケーションをとろうとし続けてくれているような気がした。
きっと私は、このアルバムが好きなのはそんなところだった。
スタート、Communication Freestyleから始まり、会場の熱がどんどん高まる。その直後「どこにいますか?」と会場へと問い掛け、GPSを畳み掛ける。
自分のそして相手の現在地を確認しながら、分かるような分からないような、迷子のような、むしろようやく自身の立ち位置やどこにいたいかという目的地がわかってきたそんな気がする。

 

 

ボースティングのような、このTHE TAKESからCommunicationまでのテークさん自身や梅田サイファーの躍進や変化、そこで手に入れたものを見せつけるような、だけど変わらないものがあるのを確かにあると確認しているような。なんというか、手触り全部含めてしっかりと確認するようなその感覚が、私はアルバムを聴いた時から好きで、そこにTHE TAKESに収録されている曲含め、過去の曲と新曲が混合して、織りなされていくことでより明瞭になった気がする。

 

 

テークさんの苛烈さと「良いやつでいたい」という明るいところにいこうとする真っ直ぐさというまるで正反対のような性質が同居するような部分を濃く表すような、そんなアルバム、セットリストだとも思うし「正反対の」なんて書いたけど、そんなこともなく、どちらもただただ、同じところから派生するよく似たものなような気がする。いずれにせよ、「ひと」だからこその熱量だし感情なんじゃないか。

 

 


矛盾してる、整合性が取れない。繋がってない。そんなこと、あるに決まってる。だって人間なんだ。全部を計算でもやれないし、かといってずっと天然で生きるにはこの世はちょっと生きづらい。

 

 

 

Maji De Naeru Zeでゴンフィンガーを挙げて「まじで萎えるぜ!」と叫んだ。萎えることばっかだ。SNSに溢れるくだらない言葉とか、仕事をする時に出会うクソみたいな出来事全部、整理できない人間関係。
そういうの全部吹き飛べば良いな、と思いながら叫ぶ。手を挙げる。

 

 

日本語ラップのライブに行って、好きなバースでゴンフィンガーを挙げること・踊ることが楽しいと知った。音痴で、リズム感もない私は、ライブこそ好きだったけど歌ったり踊ったりをうまく楽しんで来れなかった。だけど、日本語ラップを好きになり、いくつかのライブに足を運ぶうち「これが好きなんだ」「ここが最高なんだ」「ここに私は心を動かされたんだ」とゴンフィンガーを挙げて、「あ、これたのしい」と知った。ああ、コミュニケーションだ、と思った。
それから前から好きだった違う音楽ジャンルのライブももっともっと、楽しくなった。

 

 

テークさんの綴った言葉に勝手に重ねたり、かっけえ!って興奮した言葉に手を挙げる。アルバムを聴いて「ああ最高!」と思ったその瞬間が目の前の光景と重なっていく。
フロントアクトでも「知らないけど最高」がたくさんあって「知りたい」になっていく。
ああ本当に楽しい。誰かとコミュニケーションを取らなきゃ、傷付くことなんてないのに。毎日を生きていかなければ、しんどい思いなんてしないのに。

 


それこそ、好きな音楽を、引きこもって聴く方が楽なんじゃないかと思うこともある。わざわざ外に出て聞くよりも、引きこもって自分の世界だけで完結させて、音楽を独りよがりに楽しんだ方が、幸せなんじゃないか。
勝手な順位付けに巻き込まれることも、自分の好きを値踏みされることだってない。その世界のほうが、本当は幸せなんじゃないか。

 

 


だけど、そうしてたらこんな光景は見れなかったんだよな。

 

 


Leave my planetが好きだ。多くの人に愛されてる曲だから言うまでもないけど、それでもこの曲が好きだ。
Creepy Nutsオールナイトニッポン0で初めて知ったあの日からずっと。越えられないんじゃないかと思うような夜も、迎えてしまって苛立った早朝も。ずっとずっと、それこそ「ひとりきり」になりたくて、地球から離れたくて聴いた。
そういえば、「テークエムのソロ」を本格的に聴くようになったきっかけもこの曲だった。
一曲だけを繰り返し繰り返し聴いていたある日、どうしても生で聴いてみたくなった。
この音楽を作ったひとのパフォーマンスを生でどうしても観たくて、当時はほぼクラブなんて行ったことがなかったのにええい!と飛び下りるようにチケットを取って飛び込んだ。なんならあの時はチケットの取り方だってちょっと特殊に感じてめちゃくちゃにビビった。

 

 

初めてのクラブでのイベント。勝手も分からなくて場違い感に何度も「来てよかったのか」と自問自答しながら、初めてLeave my planetを生で聴いたこと。

 

 

その時、ひとりでずっと聴いていた音楽が生でなら、ライブでなら、「誰か」と聴くならこんな風に響くのだと初めて知った。寂しいと思っていた曲はあたたかく優しく、なんなら賑やかさすらあった。
たくさんの人の「この曲が好きだ」という感情が会場中に溢れながら聴く大好きな曲は全然違うような印象を受けた。

 

 

私は、何度も聴いてきたひとりのLeave my planetも好きだ。だけど同じように「みんなと聴くLeave my planetも好きだ。
好きな曲の知らない聴き方をしれることも音楽の大好きなところだな、といつも思う。

 


今回、このライブでそんなことを思う瞬間がたくさんあった。誰かと、世界とコミュニケーションを取りたいと生まれた曲たちが客演の色んな人たちと、会場の観客とそれこそ「コミュニケーションを取りながら」色んな彩りを放っていく。

 

 


そうして、THE TAKESから、いや、もっと前、ずっとテークエムさんの音楽の中にあった感情や言葉を、ご家族や地元の友達が聴くこと。そこにあったことや感情を綴るには私の言葉は足りないし、私は役不足だと思う。
ただ、そんな特別な言葉や時間をこうして共有させてもらえたことを、奇跡みたいだな、とずっと思っている。

 

 

特定の誰かに宛てた言葉をこうしてたくさんの人が聴いてる。そしてその誰かに届く瞬間に立ち会ってる。
誰かに切実に伝えようとした言葉ほど、多くの人に届くのかも知れなかった。あの日のことをずっと、たぶん、覚えてる。繰り返し、思い出してる。

 

生きていることを、生きていくことを肯定できる。ステージの上、それをめちゃくちゃに格好良くカマしながら証明してくれた彼のことを、私はもっともっと好きになった。