えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

オールナイトニッポン55時間スペシャル

「55周年中途半端」と記念ジングルの中で歌われたその1年間が私はたまらなく楽しかった。


あの夜を覚えてるの印象も強く、間にあったイベントや、源さんと若林さんのジングルと忘れられない1年になったニッポン放送の記念イヤー。
そこからの今回。55時間ぶっ通しかつ、レジェンドから現役までのお祭り騒ぎの企画でのお祝い。それは、なんだか、関わるひとたちみんなの「これが好きなんだ」を感じる企画だった。


忙しいなかで、パーソナリティを引き受けた人たちも
Twitterやいろんなところで話題にし、聴き込んだリスナーも
とんでもない規模の企画をうまく回るよう、色んな人が関わっただろうスタッフさんたちも。



そして私も例に漏れず、その中での「55時間記念放送」というぶっとんだこの企画が大好きだ。



そして改めて思う。
ラジオは、限りなく個人的なメディアで、
パーソナリティとリスナーはたとえ、それを楽しむのがアプリになろうが、ハッシュタグを使おうが、その楽しみ方の変化でも変わらず、一対一なんだ。



知ってるラジオパーソナリティのラジオ、知らないパーソナリティのラジオ。そのどれもが楽しかったのは何故だろう。
ただぽつぽつと話される言葉の一つ一つに私は心底安心し、ほっとしていた。





今年、大好きなラジオが終わることが決まった。
整理はついたと思っているけどやっぱり時たま「終わるなんて言うなよ」と駄々を捏ねたくなるし寂しくなる。あんなに楽しみな放送日すら、大切な一回がまた減るのだと悲しくなることだってある。




そのラジオは、私の中で「笑える時間」だった。ラジオを聴いてる時だけ、確かに「在る」ものがある。




多くのリスナーと同じように私はコロナ禍以降でラジオを聴くようになった。
テレビを点けてもネットを眺めてもガリガリと削られ、ひとりだと思うことが増えた。その塞がれていくような感覚で、どうしようもなくなってた頃に出会ったのがラジオだった。そして今年終わるその番組はその中で支えてきてくれた番組の一つだ。




パーソナリティは、友達ではない。
私のことを彼らは知らないし、彼らのことだって本当には私は知らない。だけど、電波越しその時間だけ、勝手に勘違いできる。笑って泣いてなんならたまにちょっと怒って、そういう空間で、そこだからこそ、大きく深呼吸できたりもする。




だから、大切な番組が一つ終わることは私にとっては結構ダメージがでかかった。
でも、今回、55時間企画を楽しみながら思う。
これ、たぶん、何も失くさないんじゃないか。




今回数ある55時間の番組の中のパーソナリティが知ってる方の好きな人々だったので「あああの人もこの放送を楽しんでくれたらいいなあ」と思っていた。
きっと、あの人は当時ラジオ聴いてたんだろうな、と思っていたから、きっと嬉しいだろうな、と勝手ににこにこしていた。
そして放送され、Twitterでその人がそのラジオの当時のリスナーだったこと、また数十年ぶりの復活が嬉しいこと、あの頃と変わらずラジオを楽しんでる様子を見た。なんか、それが、すごく嬉しかった。




そして私自身も去年、お別れした「菅田将暉オールナイトニッポン」と久しぶりの再会をした。
1年経っても変わらず、「ラジオの菅田」は菅田だったし、むちゃくちゃで傍若無人でよく笑う大好きなパーソナリティだった。





その時間を通して気付いた。
ラジオを聴いていた時間はその人たちのなかに残る。
そしてその時間は、たとえ、時代が変わり番組が終わっても聴いていた当時の環境とそれぞれが大きく変わっても、続くのだ。
そしてその電波越しの数時間はあの頃みたいに「久しぶり」とバカ話ができる。くだらない馬鹿話が、他のところから「マジになってんなよ」と笑われる真面目な話が、できるのだ。




なくなって、お別れしてもまたいつも、で集まれること。それを思いがけず、この55周年企画で私は知った。
そしてやっぱり、ラジオが好きだと改めて思ったのだ。
本当に、最高の時間をありがとうございました。
これからも聴き続けます。55周年、すげー中途半端だけどすげー幸せな節目でした。おめでとうございます!!