えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Hiroyuki Morisaki AGRIman SHOW

人生で生まれて初めて「この人になりたい」と思ったひとを覚えている。私は常々自分が人生の主人公でいたいやつなので、「誰かになりたい」と思ったことはほぼない。
「あの人のようになりたい」はある。
「この人に負けたくない」は日常茶飯事。
だけど、滅多にない「この人になりたい」という感情を私はあるひとりの人に学生時代、痛烈に抱いた。
森崎博之
その憧れを煮詰めて拗らせたような感情を向けているその人のステージを観てきた。


ステージの名前は「Hiroyuki Morisaki AGRIman SHOW」
図らずも2週連続「なんと括ったらいいか分からない」エンタメを浴びることになったわけだけど、あえていうならたぶん「森崎博之」そのもののようなショーだった。




森崎博之。北海道を代表するローカルタレント、と紹介されることも多い演劇ユニット、TEAM NACSのリーダーである。



森崎博之を表現する言葉はいくつもあると思う。



顔も大きく声もでかい、ハートもでかい。
脚本家、演出家、役者、タレント。
そして農業や酪農を応援するタレント。


この全ての肩書きをフルに使い、全部のスキルで「農業や酪農を応援する」をエンタメを通して伝えてくれるのが、この「Hiroyuki Morisaki AGRIman SHOW」だった。




ところで私は、森崎さん……もリーダー、とその愛称のまま呼びたい……の演出家としての考え方が好きだ。




劇場の客席のことをいつだか、何かのインタビューだったかで語ったことがある。彼らNACSがお芝居を始めた札幌の小劇場の座席の話。長時間座るには少ししんどいそこにお客さんに座ってもらうからこそ、そのお尻の痛みを忘れさせるような「面白いもの」を見せたいと思っていたこと。それから、舞台の上での想像力の話。

私はそんならもリーダーの何かを届けようと創意工夫し続けるひとであるというところが大好きだった。そしてこのステージを見ながらああそうだ、私の好きなもリーダーはこんな人だったと何度も心の中で嬉しくて頷いた。
そもそも何をやるのか……音楽や一人芝居があることはなんとなく告知されていたけど……わからずいったこのショー。
その随所にサプライズのような出来事が散りばめられていた。それに心底楽しんでいると、いつのまにか、お尻の痛みなんて忘れて笑って泣いてしてしまう。
心がステージの上の出来事に揺れ動かされ、考え、想像する。




なんでそこまでできるんだろうと思ってしまうくらいの工夫があちこちにある。本当に一瞬たりとも飽きさせない。わくわくする。次何を飛び出すか、楽しみになる。
そのなんで、を自分なりに考えていてあるパートで思い至った。たぶんそれは、もリーダーが伝えたいからだ。
伝えたくて届けたくて、なんなら怒りにすら似てる「伝われ!」を一人でも多く少しでも自分の中にある温度感のまま伝えたい。そのためなら形や方法はいくらだって工夫して作り上げる。
そんな奥底からの叫びを真正面から浴びた気がする。




このショーの真ん中にあるのは、「AGRI」だ。農業、酪農。そういう「食べ物」のために工夫してそれぞれの家庭に届けてくれている人たちの姿。



「生きることは、食べること」



そう、冒頭、もリーダーは言う。それを伝えたい。そして「食べることは、生きること」なんだと。



私は恥ずかしながら、人に誇れるような食生活を送ってはいないと思う。だけどご飯を食べるのは好きだ。美味しいものは好きだ。
このショーを観ながら知ったこと、考えてなかったことに気付いたこと。それについて考えながら毎日食べているご飯に思いを馳せていた。そこに行き着くまでの生産者の方々のことを考えていた。



そしてそうやって、「食べること」や「食べ物」について語り、歌い、演じるもリーダーの姿を観ながら、私は何度も「生きろ」と言われているような気がした。
今あるこの命はそもそも、誰かの命に繋いでもらって生きている。それを鮮やかに伝えながら、だから生きろ、と言う、そんなショーだったと思う。





全く関係ない私事だけど、この間ごくごくプライベートなところでトラブルに巻き込まれ、心身ともにかなり消耗することがあった。かなりしんどく、悲しく、苦しかった。
でもそこで考えに考えていると最終的に「ちくしょう生きてやるからな」と思っていた。基本的に生きることにビビり散らし、億劫さにのろのろ生きてる私がだ。




人は常に死にたいのかもしれない。そんなことを思う日がある。生きることのしんどさにやられてほとほと困ることもある。



だけど、あの日、私はめちゃくちゃ長生きしようと思った。お世辞にもちゃんと生きてるとは言えないからどこまでどれだけかは分からないけど、物凄く傷付いた時にああちゃんと、生きようと思った。その時のことを思い出していた。
それから、あの時の感覚はやっぱり間違いじゃないですよね、と舞台上の大きな愛を見せてくれた人に心の中で語りかけたくなる。




なんか、もっともらしく賢いフリして「生きることは苦しい」なんて言う暇があるならなりふり構わず、生きようとする努力をしたくなった。
自分の身体を大切にしたくなった。
粗末にするなんて、結構、身勝手だ。
誰かの命をもらって受け取って、血肉にしているんなら、その命ごと、たぶん、ハッピーでいたほうがいい。




誰かの命の先に、自分が生きてる。そうじんじんと叩き過ぎまで熱くなってる手のひらに思う。
とりあえずまず、美味しくご飯を食べるところから。大事に命をいただくことから。それからなるべくたくさん笑って、できるだけ機嫌良く優しく、生きていけたら良い。



これから食べるご飯を美味しく、どころか、これからの時間をかなり愛おしくする時間をくれた。
そんな森崎博之さんは、やっぱり出会った頃から変わらず私の憧れの人なのだ。