えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

札幌の街を歩く歩く歩く

札幌に住んでた頃、私はひたすらに歩いていた。
周りには、もっと遠くのどこかに出掛けないと、と言われた。自分で運転できないからなんて言い訳していたけど、今、認める。そうじゃない。運転スキルなんて大したことじゃない。私は「こう」だから、走り出せないのだ。
不慣れな中でも不安がある中でも向こう見ずに飛び出す勇気を、いつだって私は持ち合わせていないのだ。






Creepy Nutsの生業で札幌を選んだのは好きなHIPHOPユニットが出るかも、という期待があったというのもある。もっとも実際のツーマン相手は予想とは違った人ではあったけど、でもそれも含めて最高だった。
だけど、何より今このタイミングでちょっと「札幌」にいきたかった。
自分の普段暮らしているわけではない場所、だけど、数年前、短い時間だけど住んでいた場所。
うまく言葉にはできないけど、そんな場所で過ごして自分のことをぼんやりと考え直す時間が欲しかった。





チケットを取った時は「久しぶりにあちこちいきたいし食べたいし会いたいしな」くらいのラフな気持ちだったけど、
ここ数ヶ月の忙殺されっぷりから気持ちにどんどん余裕がなくなった今、思ったよりも必要だな、と思った。
飛行機に乗れなくなるかも、という焦りからイレギュラー的スタートこそしたけど、飛行機の中で空を見ながらしみじみ考えた。
今必要なのは、これだったのかもしれない。





どっちに行けば良いんだろう、というのはよく私は陥ってしまう。目標がないと走れないけど、あり過ぎると手加減や止まり方が分からなくて、結果、エンストを起こしてしまう。





札幌の街に着いて駅の改装中の様子に面食らった。知らない駅のように感じて「いや短期間しか住んでないしさ」と言い聞かせた。
そうしながら、久しぶりに会った前職の先輩たちが少しも変わってなくてほっと息を吐いた。
その先輩たちはコロナ禍でどんどん塞ぎ込んでしまう中、良い音楽をシェアして「この音楽最高じゃない?!」と一緒に遊んでくれていた人たちだった。
そんな人たちと最近聞いている音楽、仕事の話、プライベートの話をして、なんだか「あ、普通に笑ってるな」と思う。
メインのライブ前後、好きだった店に行く。歩き慣れた街を歩く。歩きながら数年前、あの頃何を考えながら歩いていたか思い出した。
何かにむかつきながら、そんなことが全部嫌になりながら、歩くのを止めたらダメになる感覚があったからなるべく広いところ、あるいは逆に狭いごちゃごちゃしたところ。そういうとこ、にイヤホンを耳に押し込んで歩く。






あの頃、どこにも居場所がないような気がしていた。ひとりぼっちな気がして音楽とラジオに逃げ込んで、立ち止まると不安になるから北から南へ、東から西へ、ひたすら歩いていた。
それがいつの間にか、久しぶりにやってきたら訪ねたいひとがいる。行きたい馴染みの場所がある。あの日ラジオを聴きながら笑いを噛み殺した道が、音楽を聴きながらふらふら歩いた道が、変わらずにそこで広がっていた。





守ってくれる誰かがいなくても、ちゃんと自分が生きていけるのか確認したくて、札幌の転勤行きを了承した。結果、全然ダメだったと思いながら泣きながら大阪に帰っていたあの日の自分へ。意外にそんなこと、なかったかもしんないよ。





あの頃好きになったアーティストが今も変わらず好きで、そして観に行く度にどんどん好きになる。知らない顔をどんどん見せてくれるからむしろあの頃以上に夢中になってる。
あの頃逃げ込むように通った映画館は今も気になるようなラインナップを上映してくれていて、「来週も来たいな」なんて思わせてくれる。





どっちに進んでるか、進んだら良いのか分からなくて進めた足が今の自分が歩くための道を作ってくれていた。
そんなことをあの街を歩きながら思い出した。
だから一旦今の「どっちに歩いたら良いかわからない」なんて不安は見ないふりして、当面また、たくさん歩いていける。そんな気がしている。