えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

POWER OF WISH 大阪7月30日

※ネタバレがあります



2年半ぶりのドームなのだ、ということに道を歩いてて気付いた。大正駅で降りてドームを目指す。そのことにおっかなびっくりしていて、なんなら最寄りが本当に大正駅なのか自信がなくて何度も確認した。


書く前に言う。感傷的にしか書けないと思う。
毎度そうだろと言われてしまえばその通りだし、そもそもその感傷を抱く資格があるのか、というのは考え込みはしたんだけど、それでもやっぱりどうあっても感傷的な気持ちになった。



RED PHENIXも行ったし、ANSWER…もそれ以外のライブ、お芝居だって言っていた。遠征だって解禁していた。
それでも、やっぱり「EXILELDHのドーム公演」は私の中で存在がでかかったらしい。
その上、今のこの感染状況などを考えると今、自分が行くのか?をもう一度問い直してしまった。ライブそのものもそうだけど、なんせドーム規模になれば"完全な感染対策"は難しくなる。何万という人が全員同じ意識で感染対策できるなんて私にはどうしても思えなかった(当たり前だけどエンタメやLDHへのdisをしたいわけではない)


それでも、やっぱり行くと決めて道中緊張で落ち込んだりしながら、ライブに行った。
こうして書いてても思う。だったら行かなきゃ良いし、行ってる人たちにも敢行してる人たちにも失礼だ。その迷いがある時点で私は私に資格が無いと思う。



そうして幕開けしたPOWER OF WISH。
冒頭の演出を観ながら思う。
私はむしろ、コロナ禍でどんどん大切なものを見失ったと思うしまだ見失ってる。人は最低だし協力しないとどうしようもない時に協力し合えるような強さもない。
それでも、彼らはこの文脈を信じるんだなあ、と思った。良し悪しではなく、彼らのエンタメの文脈を久しぶりに浴びた気がした。


賛否あるんだなあと思いながら今回のツアーの感想を見ていた。というか、単にツアーとして評価するには色んな人の色んな感情が向いてるんだよな。ATSUSHIさんの限定復活も、黒木啓司さんの引退も。
だからそれぞれの感情、スタンスによって受ける印象が大きく異なるんだと思う。どんなライブもそもそもそうだけど、今回は特に。



ATSUSHIさんがいた頃の善性を信じたLove,Dream,Happinessを軸に子どもたちの幸せを祈る、エンタメ。
ATSUSHIさんが卒業後、エンタメの復活を掲げそれぞれが核となり方法を模索しながら作ってきたエンタメ。
私にはそれが、融合していくような、それこそ「道」で繋がるようなライブに思えた。



私は2020年2月26日のライブに行く予定だった。
あの日、いきなり奪われたエンタメから、しばらく。LDHの現場をこの春まで離れていた。
その間、彼らはオンラインライブを作り上げ、いち早く"生の現場"を作り上げて行った。
行こうと思えば行けたはずなのに行かなかったことで私は「ああもう私は彼らにおかえりと言う機会も、おかえりと言ってもらう機会も失くしたんだな」と思った。
それは自分が選んだことだし文句を言う筋合いもない。行かない中でも彼らがそれぞれの生活や経済、エンタメの力を信じて生のライブにこだわっていることは心強かったし、もうそれはそれ、と思っていた。


しかし、今回POWER OF WISHはこの2年間を繋げるようなライブだった。ライブのある生活が日常になっている中で何を今更と言われてしまうかもしれない。
でも私には、あの日受け取り損ねた「おかえり」を言ってもらえた気がした。そしてそれを言ってくれたのは、ATSUSHIさんだった。



書き方迷うんですが、私はATSUSHIさんが得意ではない。
性善説がそもそも苦手だし、主義主張はいっそ清々しいくらい合わない。音楽に対する感性も錆びてるので歌が上手いというのも「こういう歌声を上手いというのか」くらいの認識だ。
卒業発表の時はブチギレもしたし、ブチギレ過ぎてツイートを控えた。


その私が、今回、驚くほどATSUSHIさんの歌声に泣いた。それは単純な技術の話ではなく、彼もまたEXILEのドーム、にようやく帰ってこれた、という思いが溢れていたからだと思う。そして、それをATSUSHIさんのファンであろう観客の人が本当に嬉しそうにフラッグを振ってることが嬉しかったからだ。
ああ良かったな、と思った。
あの日のまま終わらなくてよかった。ちゃんとこうして「ドームのEXILE ATSUSHI」に出会える日が、そういう形のEXILEが「ドームで」公演できて良かった。



指摘されるまでもなく、ある程度熱量が下がっていたからこその感覚なんだろうな、と思っている。もしも私がこの2年半、普通に2020年以前と同じようにライブに通っていたら卒業を聞いた時のようにブチギレていたかもしれない。かもっていうか、わりと確信を持ってキレてただろうな、と思う。



それでも昨日、ドームにいたのは「今の私」である。エンタメとの関わり方に迷いまくりライブに行けないまま好きでいる姿勢に迷い、今もまだ結論を出せずにうじうじしている私だ。
そんな私にとって、昨日の新旧のEXILEごちゃ混ぜのドーム公演は「ああこれが観たかったのかもな」と思えるものだった。
もう二度とおかえりと言ってもらえないのだと覚悟を決めて、だからもう二度とあの頃のような気持ちでライブに行くことはないんだなと諦めたなかで思いがけない「おかえり」を、もらえる公演だった。



そんな私の目線から見たPOWER OF WISHは進むためのライブだと思った。
2年半がむしゃらに駆け抜けてきたそれぞれが改めて現状をこの2年半の歩みを確認してそれぞれがまた歩き出すための確認。
このタイミングで、新生EXILEが過去のEXILEのエンタメをやる意味は私は十分あるように思ったし、それは明確な線引きがあるわけではなく、連続していて、ここからも繋がるんだというのが伝わってくるような気がした。

当たり前だけどEXILEってEXILEという生命体がいるわけじゃないんだよな。
そこにそれぞれのメンバーがいて想いがあって人生があるんだよな。
それがたまたま今交わって続いていくこと。重なってきたものがあること。そんな姿を観に来るファンにだって人生があって積み重ねている毎日があるんだよな。



続いていく1日の1公演、1ページ。たぶんその意味合いも人それぞれなんだろうな。だってその場にいる理由だってそれぞれ違うんだ。
私にとってはドームにいる彼らが好きだと再認識して、おかえりを受け取れた、彼らのエンタメが好きなんだなと確認できたそういうライブだったのだ。