えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

メルサル

自分を誇るということなのだ、と思う。





ヴィジャイさんの作品が好きだ。最初に出会った「マスター」から、そして本格的に好きだと思った「サルカール」まで。いや、それだけじゃない。まだ観たい、もっと知りたいと観た「ビギル」「ジッラ」と好きな映画はどんどん増えていく。
真っ直ぐすぎるくらいに自身や家族、国、民族が置かれている状況を見つめ、諦めずに少しでも良い明日、に向かって歩き続ける。
社会派映画を中心に活躍するその姿に何度励まされてきただろう。
この世界をよくする、なんて言葉にすると陳腐だ。難しかったり、説教臭いとかも思われそう。だけど、そうじゃないのだ。そうじゃない、ということも適切かわからない。
だけど、スクリーン越し、ヴィジャイさんを観る度に思う。
その熱量は、正しいからじゃない。
目を惹きつけるのは「あるべき」だからなんてものでもない。





目の前でヴィジャイさんが表情を変え、熱を込め、言葉を綴る。
その姿は力強い、格好良い。だけど、どこまでも普遍的に「ただの人」である。
なんで、そう思うんだろう。
今回メルサル、サルカールと立て続けにヴィジャイ映画を観たこともありずっと考えていた。
超人的な強さ、頭の良さ、チャーミングで愛される人柄。そのスーパーヒーロー的姿とどこまでも地続きに私たちと同じ生きる人たちだ、と思わせる。それを両立することをやってのける。だから、私は、ヴィジャイさんが好きなのだ。






「社会派」や「社会問題を取り扱った映画」というとなんで人は敬遠するんだろう。
エンタメでくらい楽しい思いがしたい、明るい話だけ聴いていたい。それも分かる。私もそう思うことはある。
だけど、小難しい気がする、とかましてや「ご立派ですね(笑)」と笑われるものじゃないだろう。
どこか遠い世界の話ではない。身近な話なのに。今まさにそういう現実はあるのに。


社会問題を描いた映画じゃない。社会派の説教臭い映画なんてものでもない。これは、私たちの世界の、生活の映画である。




だからこそ、ヴィジャイさんがスカしたりせず、また格式高くしたりせず、ただただ、同じ人として、ああいう題材の映画を作ってくれるのが嬉しい。嬉しいんだ、私は。






メルサルでは、医療がその人の収入によって受けられるかどうか左右されるインドのおかれている現状の問題について痛烈に描いた。
だけど、日本でも現在は高額医療についての保険や日々の国民皆保険があるけど、それだって本当にいつまで続くか分からない。
さらに言えば医療についてのリテラシーや選択の権利、知識を持ってる持っていないという問題は、日本だって既にあちこちにある。
見てないだけなんじゃないか、なんだって。



サルカールも、メルサルも。観るたびに思う。スクリーンの中、映るそれはどこか遠い国の話じゃない。「わたし」の話だ。




医療を受けること、生きていること。生活をすること。
それは、最低限の幸せであり、そこから積み上がっていくものなのだ。劇中の台詞を繰り返し思い出している。それは、忘れてはいけない言葉だった。自分の生活を脅かしてはいけない。さらに言えば、誰かの生活を脅かしたりしてはいけない。
繰り返し繰り返し思い出す。だってきっとそれは、忘れやすいことだから。
劇中で誰かの命を軽んじた人たちは、特別な悪党なんかじゃなかった。どこにでもいる普通の人たちで普通の欲を持って、誰かの命を生活を軽んじた。
それを「その人たちの人間性だ」と断じてしまうことだって出来るけど、私はいつだってそんな彼らと紙一重のところにいるように思うのだ。





ところで、私がこのメルサルで一番印象的で、心にブッ刺さったシーンは、あの空港のシーンである。
有色人種であり、民族衣装を着ていることを嘲笑されるあのシーン。自分より下だと勝手に格付け、軽んじていいとする人たちへの、彼の台詞、またそのやりとりのあとの空港で働く女性との会話をずっと思い出している。

その人たちとの違いで、笑われたとして
自身の生まれ、育ち、信条などで笑われたとして「違う」や「おかしい」と言われたとしてもそこで変わるべきは自分ではなく、そうして笑う人であること。
また、その人たちを責めるのではなく、広い心と余裕で許してあげること。変わるべきは彼らだ、と笑顔で言ったあのシーンの表情をずっとずっと、忘れたくない。





いつも、ただ生きてるだけで生活してるだけで当たり前ができず、おかしいと言われることが多いけれど、そうじゃないんだ。そうじゃない、と思って良いのだ。
そして、自分は同じことをまた違う誰かにやってないかも自問自答しながら、生きていきたい。



誰かの生活を命を軽んじず、軽んじさせず。自身を誇り、誰かの誇りを守ること。
その道こそ、格好よく、憧れる姿だと、思うからこそ。