えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

あの頃。

推しは、人生の全てで
人生の一部なんだよな。


そんなことを考えながら映画を観ていた。
冒頭「あやや」に出逢うシーンから目頭が熱くなったのは、もう何年も所謂「推し」がいる人間として過ごしているから仕方ないだろう。

この映画のキャッチフレーズは

"推し"に出会って
"仲間"ができた

だ。
観る前から予告をみて、これはまた全オタク(特に三次元を対象にする人の)へ強烈なボディブローを喰らわせそうな映画だな、と思っていた。
また、何より大好きな今泉監督の作品ということもあってかなり楽しみにしていた映画だ。
特にこの時期、楽しみな映画が一つ上映されるということは大きな奇跡でとんでもない喜びである。そんなわけで、今日観に行くことを本当に心から楽しみにしていた。


まず素直に感想を一つ述べると「思ったよりボディブロー決まらなかったな」というものがある。
それは、何も映画の出来や物語の良し悪しの話ではなく、劇中描かれるオタクのコミュニティが絶妙に自分の経験とは違うものだったからだ。

ハロプロ……特にあややが推しである釼さんとその仲間たち。彼らの楽しそうな日常に「あるある」の共感と「あ、そういうのもあるんだ?!」の驚きが交互に訪れた。
男性ファン・女性ファンの違いかもしれないし、時代や、対象ジャンルが微妙に違うからかもしれない。
所謂男子校的なノリに分かるような分からないような、という気持ちになり、そういう意味では一歩俯瞰して観たのかもしれなかった。



それでも。
あややに目を奪われ、なんだか無性に泣けたこと
走り出して買いに行ったCD、
同じ「オタク」たちと観た映像、ライブについてのお喋り
それから付随して、だんだんと「推し」と関係ない話をしていく時間すら、愛おしくなること。
それらは、例えば性別・時代・ジャンルが違えど、どこか馴染みがある瞬間ばかりだった。


最近は抵抗なく「推し」という表現を使うようになった。これは、そこにある共通認識的なニュアンスが伝えやすいのと、素直に好きな人、としての言葉を重ねていくと、ちょっと重たくなるのもあってネットスラング的なノリで、推し、と私は言っている。


実際、「推し」と同じように呼ぶ人々の中で、その「推し」の定義は様々だったりするんだろう。
し、そう呼ぶひとたちにはいろんな人たちがいる。


劇中の「馬場さん」とのシーンが物凄く好きだった。
その人にとって、推し、は色んな意味があるんだろう。そして、同じ「推し」を推していても、色んなひとがいる。同じように視線を向けていて、同じように熱狂していても、違う人たちだ。


劇中、ありがとうって伝えろよ、って会話があまりにも覚えのある会話だった。今思い出しても呻いてしまう。


ライブのアンコール前、ありがとう!と叫びたくなることや、
お芝居の面会で面白かったです、とありがとうございました、しか出なくなることを、思い出す。

あれ、客観的に観るとなんのありがとう?って言われないか不安になることもあるんだけど、
でも、本当に、ありがとう、なんだよな。



推しのステージを観るために乗り切れることって絶対にあるじゃないですか。
あと数日であの舞台がある、ライブがある。円盤が発売される、音源が出る。
そうして越えてきた夜がどれだけあるのかって話なんだよ。
あややに向ける釼さんの言葉ひとつひとつが、そういう意味では、分かる、わかる…!と泣けていた。


あなたに会うために、あなたがステージで輝く姿を観るために、今日まで過ごしてきました。過ごせました。
そして、その裏側にも私の人生はあって、
そこにもあなたのおかげで出逢った仲間たちがいるんです。


もうそんなの、ありがとう、しか言えること、ないじゃんか。


今泉監督の、日常シーンが私はすごくすごく好きで、なので今回も、本当に何気ないようなシーン一つ一つが温泉みたいに心地良かった。
し、なんか、今改めて考えながら、あの頃。の好きなところは、ずっと「推し」の話をしてるんじゃなくて、
なんならだんだん、推し「以外」の瞬間も増えていくところで、それがまた丁寧で、なんか、好きな温度感で描かれていて、それが、本当にすごく、好きだった。
推しだけで、生活してるわけじゃなくて、推し以外の人生も大切な人生の一つで、
なんかそれって別に分けてする話じゃないんだよな。
釼さんとナカウチさんの、あのライブハウス終わりの会話がすごく、好きだった。あのシーン、ずっと観ていたかったな。



同じようにオタクな私だけど、当然、釼さんたちとは違うから、あれは彼らの「あの頃。」だ。
だけど、どこか懐かしくて恋しくて、
そしてだからこそ、彼らが楽しそうなこととか、そういう色んなことが無性に嬉しかった。
嫌な奴なところもたくさんあるし、共感できないこともたくさんあるんだけど、
なんだか総じて、そうなんだよな、推しがいること、そこで出逢えた人たちがいること、そして、そこから今があること、全部ぜんぶ、最高なんだよな、と思っていた。思えた。



あの頃、はよかったなんて言うつもりはない。
生きている今が1番だと、推しはいつだって教えてくれたからだ。
びっくりするくらい唐突に、私たち「オタク」の毎日を、色鮮やかに変えた「推し」が、そこで出会った「仲間」が、
毎日の楽しいこと、をくれたのだ。
その毎日は、今日と続く「あの頃。」なんだと、なんか、そんな気持ちになって帰ることができたことが、すごく、嬉しかった。



それはそれとして、また「オタク」と「推し」の話をしながらバカみたいにたくさん、笑いたいな。