えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ビギル 勝利のホイッスル

観れば観るほど、大将のことを好きになる。
それがここ最近の私の大将…ヴィジャイさんを観るたびの印象である。



マスター/先生が来るを観た1月からじわじわとでも確実に好きになってきている。どこが好きなのかと言えば、あの笑顔も強さもダンス、歌のうまさ、茶目っ気。あと何より、出演作が自分の好みにドンピシャだというのもあるだろう。映画の力を信じてストレートに「少しでも良い明日」を目指すように促す大将はいつだって格好いい。
そして、薄目ながら情報を見ていると大将は作品の中だけではなく、現実でも教育支援にも取り組んでるらしいと聞き、ますます興味が出た。





そんな中、「ビギル 勝利のホイッスル」がドリパスで大阪で観れるという。ちょうどサルカールを観た勢いでチケットを取ったのがちょうど1ヶ月前。そして、取った後にどんな映画なんだろうとネットで調べながら、ほんの少し、ほんの少し、正直に言えばははーん…と思ったのだ。




女性へのエンパワーメント作品。
興味がないかと言われると嘘になる。でも、どうなんだろう。






好きになる作品、ジャンルが昔から圧倒的に男性が強いことが多い。男性が主役、女性は引き立て役なら良い方で、出てこないこともざらである。なんなら出てこない方がマシな描き方もあって結構複雑な気持ちになることはある。
私自身、性別は女性だ。だけど、女性の物語に共感できるかの確率は若干低いし、自分の好きなジャンルで女性が描かれると逆に高確率でもやっとすることが多い。
かと思えば、「女だから」と日常生活で馬鹿にされると考える前に喧嘩を買ってしまうこともある。いまだに過去言われた「女が出しゃばんな」の言葉を思い出してはじたばたする。






そんなわけで、もし、大好きな人の作品で、しかも「女性をエンパワーメントしている」作品でもんやりしたらどうしよう、と思った。いやなんなら「エンパワーメントしてあげましょう」みたいなテンションなら本当に、さすがに、うんざりしてしまうかもしれない。





そんなことを思ったことを深く深く謝罪したい。
そして思うのは私は「女性だから」という理由だけでああだこうだ言われたくなかったのかもしれない。さらに言えば、「という立場」だと決められて、一方的にラベリングされていくことに対して、すごく、反発を覚えてしまうのかもしれない。ら





だけど、この「ビギル 勝利のホイッスル」はそうではなかった。単に「女性」にフォーカスしただけではなく、カーストや立場、仕事、切り口はなんであれ他者から「こうである」と決められた枠の中で自分で考え、戦い、行動し、自分の望む居場所を掴み取る物語だった。
そしてその中でインドの中での「女性」とラベリングされた人々が向き合わされている現状を描きながら、「元気づけてあげる」なんてスタンスでは当然なく、リスペクトを持ってメッセージを届けてもらった、そんな気がしているのだ。






印象に残っているシーンは一人二役をこなす大将がビギルとともに演じたビギルの父親の台詞。
このお父さんの役を大将が演じていること、物凄いことじゃないかと思う。
ヒールというわけじゃないけど、でも間違いなく「善」ではない(ヤクザの親玉だし)なので、かなり冷酷に人を殺すシーンもある。
それ以外にも「こんなヴィジャイさんが?」と色んな意味で涙目で見てしまう瞬間が多々ある中で、ビギルとお父さんが話すシーン。




自分の手にはナイフがある、人を殺す、そういうやり方で自分の街を守る。正しさを探す。その中で、ビギルはナイフを握らず、人を殺さず、でも喧嘩に明け暮れる若者をピッチへと連れて行く。あんなサッカーがやりたいと思わせる。そうすることで、街が変わる。





個人的にあのシーンを見た瞬間に、私はこの映画が大好きになった。ああこの映画が描こうとしてることはこういうことか、と頭の芯のようなところに響いた気がした。
サッカーをやること、誰かを楽しませること。そういうことが暴力を遠ざけ、誰かを笑顔にすることがある。






大将のアクションはその演出も相まって、圧倒的である。暴力、力の圧倒的な側面を思い知らされるし、実際、今まで観た3作品ともにアクションシーンで無双をしていく時にスローになる彼の芝居にその強さをビシビシと感じた。
それにかっけー!と思いながらも私はほんの少し「結局力が一番手っ取り早くて確実なんだよなあ」と思い、しんみりしてしまった。
その中でのシーンだったからこそ、ああそうか、と思った。




インド映画は派手なアクションとともに結構あっさりと人が死んでしまうことがある。酷い暴力も度々描かれる。だけどそうじゃない。ヴィジャイさんの圧倒的強さは描く、その上で、そうじゃない強さ、そういう武力ではないところから生まれる強さや光を大将は映画で描こうとしてるんじゃないか。
そしてそれは、この作中でも語られる「スポーツが唯一逆転できる方法」に繋がる。一方的に弱いとされるもの、発言権を持たないものたちが自分のスキルを信じ、好きを信じ、歩き出す、止まらないし隠れたりしない。この「ビギル 勝利のホイッスル」はそういう物語なのだ。




インドでは、まだ名誉殺人が起こり、定期的に「女性である」という理由で人が命を奪われる。そして「インドでは」なんて書き方をしてしまったけど、それはこの日本でも変わらない。女だから、という理由で暴力に晒されたり踏み躙られたり、時には命を奪われる事件が私の頭の中にはある。いや「事件」とは括られなくてもそんなものは日常のあちこちにあるじゃないか。
だけど、だからこそ、映画の中でそういった問題から目を背けず、真っ直ぐに言葉を届けてくれた。そしてそれをただ「大将」の物語にするのではなく選手ひとりひとりの、家族の、それを支えるスタッフの物語と並行して描いてくれたから、私はこの映画が大好きだった。




私はやっぱり、映画が好きだ。映画を信じている映画が好きだ。




ビギル率いるチームが勇気を与えたのは、あの作中の人々にだけじゃない。それはスクリーンを通して私たちにまで届いた。傷付いても立ち上がり、力ではなく、真っ直ぐなエネルギーで、性別も立場もを吹き飛ばしてきらきらと笑うあの光景を、私はことあるごとにこれから思い出すんだろう。