えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

Varisu 後継者

Varisu後継者を観ることが出来て良かった、と思う。
いい意味でライトに観れるヴィジャイさんの作品で、観終わった後心地よい「面白かった〜」を噛み締めた。

 

 

 

メッセージのテーマがいつもの社会的なそれよりももう少し個人にスポットを当てていたこと(もっともその「個人」は結局社会に、「社会」は個人につながるので切り離すのもまた違うのだけど)
またアクションシーンなどの暴力性が今まで観てきた作品と比べるとライトだったことも大きいかもしれない。

 

 

 

とはいえ、今回も主軸を描きつつも社会や弱い立場に追いやられやすい人のために行動する姿がさりげなく描かれていたり、
アプリからの子どもを狙った人身売買や警察の
行動描写など、エクスキューズ的に描かれたことはとても「大将」の映画だなあ、とも思う。
更に言えば小ネタ的に挟まる「いつもの!」なファンサービスカットなど、ファンとしてもわくわくする描写も多い。

 

 

 

その上で、だ。そのヴィジャイファンとしてこの映画を大好きだ、と思う上で私がこの映画を好ましく思うのは、この「Varisu」でヴィジャイさん以上に父が主人公にも思えるように作られていたような気がしたからだと思う。

 

 

 


インドで成功した男である父と、その父のやり方や価値観に反発し出ていったヴィジャイ。
その父の余命が残り僅かだというところから物語は大きく展開していくわけだけど、そこからの「父」の描写の魅力がどんどん増していくことがすごい。

 

 


それは好ましいキャラクターになっていく、ではなく、彼の素の表情というか、本当に言葉を選ばずに言うと「哀れさ」が大きく物語を動かしたように思えるのだ。

 

 

 

 

自分の思うように生きて、地位も権力もお金も手に入れたはずの彼。前半は、何をどう観ても、嫌な奴である彼が、自分の命の残り時間を知り、手元に残るものを考えた時に自分の人生に強烈な後悔を覚える、その姿がとても印象的だった。

 

 


中でも「私は死の問いかけに何も答えられない」という台詞(一度しか観ていないのでかなりニュアンス的にはなってしまうが)が一番心に残った。死の問いかけ、それに人生を通して答えること。それは、死ぬことだけが確実に決まっているこの世界で生きていくことの意味のようにも思える。
そして、それに「答えられない」と思うことは、どれほどの絶望だろうか、とも思うし自分に失望する、その空虚な感覚が父親役の俳優さんの佇まいからとても伝わってきた。

 

 

 


私にとってこのVarisuは「人生の意味」について考えるような、そんな映画だった気がする。

 

 

 

 

それは、お母さんの描写からも感じる。
幸せか?という問いに対する「お前に答えてもきっと納得しない/伝わらない」というあのシーンでの会話はとても良かった。

 

 

どう観ても、あのお母さんを「幸せ」とは思えない。だけどきっと、お母さんにとっては、「死からの問いかけ」に自信を持って答えられる人生なのだろうな、と振り返りながら思う。それは、他人から見て評価される人生かどうか、……もっと言えば、羨まれる人生かどうか、というのはきっと、あまり関係がないのだ。

 

 

そういう意味で、ともすれば、家族という存在への肯定映画とも観えるこの映画は、しかし、誠実にそれについても注釈をつけていたな、とも思う。
そもそもインド映画を(まだ全体の数は少ないけど)観ていると価値観として家族の存在の大きさに驚かされる。兄と思ってくれ、という言葉の強さや父母への感情、振る舞いなど、文化や価値観の違いをいつも興味深いな、と思いながら見てしまう。
その上で、この映画の中では終盤……家族を大切にすること、家族と過ごすことを肯定的に描く中でも「欠点のない、完璧な家族はいない」ときっちり描く。その後続く言葉を「だけど家族は大切にするべきだ」と取ることもできるけど、なんとなく私はそこで紡がれる言葉に「結局は自分が後悔なく、自分の正しいと思える道を選ぶ、歩くこと」の必要性を説かれた、そんな気がするのだ。
更に言えば「そう思っていたけど違ったならいつでもやり直せるし、やり直すべきだ」という意味にも。

 

 

 

 

お母さんは何も「家族は大切にすべきだから大切にしていた」わけではないんだろう、きっと。

ただ、大事にしたいから、そう生きてきたんだ。

何を大事にして、何をどう守り生きていくかは自分で決めるのだ。

 

 

 

 

そうして、冒頭から一貫して「お前の世界の中心はお前だ」と言い続けた歌の歌詞が響いてくる。誰かにその世界の中心を譲ってはいけない。
自分は自分の人生を生きていて、その真ん中に、いつだって自分を置かなければいけないのだから。

 

 

 

 

そういうメッセージはまさしく、いつもヴィジャイ映画を観た時に感じるエンパワメントだった。こういうところが好きなんだよな、としみじみ思い出しながら噛み締めている。