えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

とりあえずはいのちだいじに

限界だったんだな、と思う。
寝付きが悪くて、何回も嫌な夢見て飛び起きてたり、職場でパソコンが起動しきるのを待つたびに逃げたいと真剣に思ったり。
たびたび同期からもここ数週間「そのままやると身体か心かをぶっ壊すよ」と言われていたわけですが、しっかりやりました。





コロナになりました。






結果数日、各症状にのたうち回り、かつ「この日があるから」と楽しみにしていた予定は軒並みキャンセル。
今はすっかり回復していて、その中で何してんだろうなあということをぼんやりずっと考えていた。
たぶん、休むべき初期段階でも無理して仕事をしていたのは状況もあるけど、心身的にも止まれなくなっていたんだろうなあとあの時も今も思う。






自分の置かれている状況を不幸だとは思わないし、やりたいからやってるというのは前提変わってない。だけど、目の前を流れていく景色に気持ちがどんどん毛羽立っていくような気がするし、じゃあ何が観たいんだっけ、と考えても思い出せない。
明日から仕事、と思うと手足に嫌な汗もかいてる。
ついでに、今回直前で楽しみがダメになったせいか、ここからだって楽しい予定を確かにいくつも入れてるはずなのにどこか心が麻痺してる気もする。「ああ、うん」みたいな。





次にどこに行けばいいかは分からないけど、でも確実にまだ頑張らないといけないような気がして、それがやなのかな。






ぶっ倒れるまで仕事したらぶっ倒れて
楽しみもなくなって、でもまだ仕事してた。
私は一体、何がしたいんだろう。

すげー稼ぎたいとか
すげー結果残したいとか
誰かの役に立ちたいとか、全部「うん、そう」とは思うんだけど、なんかちょっとズレてる。





ゴリゴリ自尊心が削られてるな、とは思っていて、まずいな、楽しみでなんとかチャージしたいなと思いつつ「とかってなんか嫌なフラグみたい」と思ってたら見事な回収をしてしまった。
こうして日曜夜にじゃあ、って考えながらいつも文を書く時に開くノートを見たら、見事にここ数ヶ月自分が何をしてて何を考えてたのか、よく分からなかった。何が好きなんだっけ。

思えば、文フリの準備にあそこまで打ち込んでいたのも数ヶ月前の自分が残してくれていた「やりたい」という明確さがあったからかもしれない。そう思うと、さんきゅー数ヶ月前の自分。





これ以上無理は良くないことは分かった。
だけど無理しちゃうことも分かった。
かと言って、じゃあ仕事セーブしてまでやりたいことだとかも浮かばないし、仕事がしたくないわけでもない。
私はどこに行って、何がしたいんだろう。



ただ今回良かったと思うのは、
楽しみが桁違いだったのであまりにも高い授業料になり「えーい分からん」と投げ出すつもりもさらさらないこと。絶対こっからちゃんとプラスになるものを得てやるし二度と同じ轍は踏まない。観れなかった景色を思うといまだに泣けるからこそ無駄にする気はいっっっっさいない。

何より、自分がかなり色んな人たちから大切にされていて、それを踏み躙ったらそれこそ自分の歩きたい真っ当のレールを踏み外すことだと改めて実感したこと。

なんかそういうのを生き死にレベルの何かで学ぶ羽目になる前に分かって本当に良かった。



あと意外に逞しくもなっていて、どうしたもんかね、と途方には暮れているけど別に悲観はしていない。
なんなら、今回の楽しみのリスケに「縁がないなあ」と悲しくなりはしているけど「じゃあないなら作りにいくまでだ」と思っている。
どうしたもんか、の答えは今、少しも出ていないけど(無理しない、という基本枠くらい)別段、それくらい大したことでもない。
どうせ、生きていくのだ。一切合切が常に順風満帆なわけがないし。

多少燃え尽きているのはある。たぶん、心身は今、結構ズタボロだから一旦は「いのちだいじに」で、次に行きたい場所とその方法を考えよう。





ズタボロだけど、タダで転んでやるつもりは毛頭ないのだ。これはそういう気持ちの備忘録である。とりあえず何より、いのちだいじに!たぶん、うまくできないことは百も承知だけど、念じることからひとまず。