えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

みんなちがってみんないい

書きたいことがいくらでもある。映画の感想も書けてないし(なんなら、読もうと思って積んでる本もドラマも映画もいくらでもあるし)この間の星野源オールナイトニッポンを聴いた時の感覚やずっと好きだといいなと願った話も書きたい。17歳の帝国、あれだけ楽しみにしてたのに1話の10分しか観れてないし、鎌倉殿であれだけ心を揺らしたのだから手帳にでも良いから言葉を残していたい。



夜に起きてられないくらい日中、動いて考え尽くしているからなんだろうな、と思いつつ、文や言葉を残せないのはわりと困る。ツイートはしてるけど、ツイートとこうしてブログに書く言葉やラジオごっこで話す言葉は違うのだ。
ところが、じゃあそんな毎日にイライラしてるかといえば、わりと興奮もしていて、その上で楽しいことも全部やってやるからな、と持ち前の負けん気をくすぐられている。



のだけど、同時にどうだろうな。
それって、本当は結構不安だったり、合ってるのか心配だからこそ、負けるかこなくそって自分の時間を必死に「意味のあるもの」に変えようと足掻いてるだけな気もするのだ。
じゃあその意味ってなんなの、って話をするんだとしたらそれは「幸せ」なんじゃないかと思う。




私の好きな表現者の中には「劣等感」を口にしてくれる人たちがいる。結構な割合で。
うまくいかないこと、マジョリティになれないこと、お前は違うと言われること。
それを「なんでだよ!」と跳ね返したり自分に真ん中を持ってきて歩く人たちが、私はたまらなく好きなのだ。
そしてたぶん、"世間"も好きなんだと思う。
劣等感を口にして表現していた彼らはいつの間にか、ポップと呼ばれ、世間からの人気者に変わった。
そんな姿に「置いてかないで欲しい」「彼らは幸せになってしまった」なんて表現したりされたりすることがあるわけだけど。


いやじゃあ幸せってなんだろうね。



結婚できないことをぼやきながら、仕事で成功できないことをぼやきながら、私はいつも強烈な違和感を感じる。




どこまでいっても幸せになりきることはないのだと、たぶんあの年知ったんだと思う。
ひとがいなくなること、それが順番でもなく意味でも価値でもないこと。いつか、必ず死ぬのだということだけが決まっていること。




毎朝、朝4時、延々と朝日で白くなる部屋をぼんやりと眺めたあの年、ずっとじゃあなんで生きるのかを考えていた。感傷的だったり自虐的だったりする答えを安易に出すことは自分に許せなくて、だから考え続けなきゃいけないとずっと思って、ずっとずっと、考えていた。


思えば、そんな中に星野源の音楽はお芝居は、表現は飛び込んできた。
清々しくてちょっと陰りもあって、でも優しくて、近寄りがたさと親しみをごちゃまぜの闇鍋にしたような、分かりやすいような底知れないようなその表現に触れたあの真夜中を、私はたぶん、ずっと忘れない。
シンプルにただただ、寂しくて疲れていたのだということを思い出させてくれた、愛してるもくそったれも同じ場所で歌ってくれた彼のこと。



Creepy Nutsは、自分が仕事でギシギシと己を削ってた頃に出会った。人の顔色の変化をしっかり見て、タイミング良く相槌を打ち、求められてる成果を打ち返し、をやりながら何やってんだろうなってウンザリしてる頃、ラジオに笑って、曲にそうだよな、と頷いた。
好き勝手やってるんだ!と振る舞うことにも、「足りない」と言われ、「HIPHOPじゃない」と言われることを全部うっせえと蹴散らしてきてげらげら彼らの道で笑ってる姿にそうしよ、と決めて、私は自分の人生も仕事も諦めないことにした。



彼らが、結婚したり、成功したりするのを見て、寂しくなるかと思ったこともあった。いや正直、成功については知ったタイミングでかなり有名だったから、表現に迷うところだけども。
ただなんか、私は今、なんとなく、今でも同じような気がしてるのだ。
それは別に彼らの幸せを否定するつもりもないし、というか私がどうこう言う話でもない。幸せか不幸か、快か不快かを決めたくもないし、正しいも正しくないも、そんなの、話す話ではないのだ。




それでも、どこまでいっても満たされることはない。別にそれは悲しい話として言ってるわけじゃない。
相変わらず壊れかかった星でふざけた生活を続けてるし、生きてる限りは勝ち逃げできない。
それでもその時々で怒ったり笑ったりする、彼らの表現に私はこれからも頷いたりそうだよな、と勝手な共感を寄せるんだろうな。
それから、私はこうして意味もない言葉を重ねていつかの自分がそうだよな、と頷けることを祈ってる。
どこまでも幸せにはならないし、思ってることがぴったり重なることはないけど、そうやって時々の頷きでなんとか、重たい身体を引きずって、たまに身体が軽くなったりするような気がするので。



まあでも、こんな文を書くくらいには疲れてるので、今日はちゃんとお風呂を溜めて「まあよくやってるよ」と自分を労ってやろうかね。