えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

深夜、会話から逃げるようにイヤフォンを耳に突っ込んで布団に潜り込んだ。指が何度もタップし慣れたアプリを叩き、再生ボタンを押す。
ほとんど会話は覚えてる。それでも今この瞬間あの会話を聴ける場所に逃げたかった。
深夜バス用に買った半ワイヤレスイヤフォン(正式名称はたぶん、他にある。知らない)を持ってきて良かった、と心底思う。



分かってる。
傷付いてるこちらの方がおかしい。
久しぶりに家族みんなで集まって楽しい会話。
楽しい時間を過ごしているはずなのに片っ端から会話に景色に傷付く。
笑わせる時に誰かの欠点をネタにすること、自分を下げないこと、無邪気に言われた「美味しいくない」の言葉、誰かが好きなアーティストへの無責任な野次。
それらを「行儀がいい」とはもちろん言わないけど、それじゃそれに傷付くことを分かってくれとも思わない。
ただただ、静かに傷付く。
傷付いて傷付いてとうとう無理だ、と泣いた私に周りはいよいよ途方に暮れていた。泣くようなことじゃないという言葉に心の中で頷く。ええはいまあ、仰るとおりです。
余計なことを言ったら平行線を辿るから適当にモゴモゴ言って布団に潜り込んで、再生ボタンを押した。



耳に聞き慣れた会話が流れ出す。



「だからこれ変なんだって思うことの連続…連続ですね」




2021年の秋に放送された星野源オールナイトニッポンにゲスト出演された若林さんと源さんの会話。
ただ普通にしているだけなのに自分にとっての「当たり前」がいつの間にか周りからはズレて見える。お前の言ってることはおかしい。
まんま自分が今置かれている出来事をラジオで話しながら、でもそれをそのままにするふたりの会話を聴いてようやくちょっと落ち着いた。




そういうことがあって、ずっと読むのを先延ばしにしていた若林さんのエッセイを読むことにした。
先延ばしにしていた理由はいくつもある。確実に好きだと分かってるから逆に今じゃなくていいと思っていたこと、すごく好きなDJ松永さんの解説を読むことも好きなものに触れてみるのにも結構ビビってたこと。




それでも年末年始から続く日々の中で逃げ場所として若林さんの言葉をおいていた私は、とうとう「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を購入した。
(最早、読むならとことんやってやれ、と思っていたDJ松永さんが解説を書いてるものにした。案の定、文が好きで本当に困っている)




読みながら、いっこいっこのほつれが直っていく感じがした。それは、あの日のラジオを再生する時の感覚に近い。
「日本と逆のシステム」がある国へ灰色の街から抜け出して向かう若林さんが喋りに近い文章で見たものを綴る。
キューバのことを少しも知らないのに、なんだか無性に楽しかった。




何が良かったのか。
それを言葉を尽くして語るのはたぶん野暮だ。
いやそれは正確には半分嘘で、本当はこの本を読んでいる時の感覚を言葉にできないだけだ。



生きていくだけで疲れて、「何で間違うんだろう」とずっと考えてる人なんていくらでもいるんだろう。だから、この傷だって大したことじゃない。そう思うのになんだかうまくやっていけずにずっと首を傾げている。
何でもないのに。みんな一緒なのに。
そう言い聞かせているのに心の奥底、「でも他の人たちは平気そうにしてるじゃないか!」と喚く自分に困惑しながら毎日を過ごしている。



ただ、その毎日の消耗の中で若林さんの文は寄り添い過ぎるでもなく、そこにある。
まさか「この人は自分と同じだ」というつもりもない。でも、それでもやっぱり、安心してしまった。



それはまさしく若林さんが生き辛い思いの中で逃れようとした寄り道から出てきた言葉たちへの共感だった。
あなたが悩み、苦しんできたからこそ、という松永さんの言葉に頷く。そして若林さんの言葉にも頷く。



若林さん自身が、寄り道の中で出会った色んなものも、もしかしたらそうして誰かが悩み苦しみ、そこから逃れようとして生み出したものなのかもしれない。
読みながらそんな脈々としたものを想像する。
それはもしかしたら、星野源オールナイトニッポンで語られた源さんの音楽に対しての若林さんへの言葉が大好きだったからかもしれないけど。




別に共感したからって「一緒だ」と思うつもりもない。
それこそ、ラジオで語られたとおり、少数派が結託して多数派に〜なんて、私もクソくだらないと思うしどうでもいい。「生きづらい」の共感があるからって「結託」なんてできるわけがないだろうとも思う。



でも、こうして若林さんの言葉に出会えたことが嬉しい。
これからも毎日の中で積み重ねられた「違う」ことでの消耗に挫けそうになったらこの本を開くんだろう。その時に、耳を傾けさせてくれたら嬉しい。





ただ、それだけで良いのだ。
仲間だとも同じだとも思わない。でも、ボンネットを覗き込みながら走り方を探して生きるあなたがいることが、たまらなく嬉しい。