えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

HIGH FIVEの夜 2023.02.19

頭空っぽにして踊って手を挙げて。ああいうのが好きなんだよなあと思う。




そして厄介なのは、私は「好き」や「嬉しい」を言語化したいのである。したいけれど、あの夜のこと、あの夜、ぐるぐると頭に渦巻いていたものは言葉からほど遠くて、だというのにやっぱり言葉にしたくて、さてどうしたものかと思う。
愛おしくて楽しくて、空っぽで、だというのに決定的に大切だった19日の夜のことを思い出している。



梅田サイファーとALIのツーマン。
全然違う、でも根っこがとても似通った2組のパフォーマンスはどこまでも最高だった。

何より、2組とも好きだ!と思ってる私にとって夢のようなステージだったのは言うまでもない。





言葉が分からなくても、音楽ジャンルに精通していなくても、ALIの音楽は楽しい気持ちいい。手を挙げる、身体を揺らす。
そこにある曲の意味を頭だとかよりも空気で、身体で感覚で理解する。



音楽を楽しい、と思うひとが好きだ。そんな人たちを通して触れる音楽が好きだ。





ALIを好きだと思ったのはちょうど約1年ほど前。R-指定さんが客演している曲をスッキリで初披露した回である。





のろのろと這い出すようにしながら見た、聴いた音楽のことをあれから私は定期的に思い出す。
あの時の感覚を私は宝物のように思う。
音楽とLeoさんの言葉とそのどっちもすごく大切で、だから、私の中のALIはそれから「最高に格好いいイカす音楽をやるひとたち」だった。



そうして、初めて目の前で音楽を奏でるALIを観た。初対面での衝撃を余裕で越えて、生で聴くALIは最高にイカしていた。



ところで、私は音楽を往々にして「歌詞」「言葉」で聴きがちである。そういう意味では、英語詞メインになってくると私の中での音楽のとっかかりは減ってしまう。


でもなんか、ALIは平気なんだよな。


言葉とか意味とかじゃなくてその声、音、空気の振動が持ってる温度感、感覚、色。そういうのをいっこいっこ、噛み締めてしまった。




そしてそういう意味で、梅田サイファーの彼らが奏でる「日本語ラップ」はゴリゴリに「言葉」で楽しめるんだけど、
でもなんでか(もちろん、言葉でも楽しんでるけど)ライブ会場で踊り狂いながら楽しむ彼らの音楽はALIの音楽を楽しむその感覚に近かった。



つまりは、私にとって2組とも生でのパフォーマンスにおいて「最高」と思ったのは、言葉だとか意味だとかを越えた"超濃縮"の表現そのものだったのだ。





気持ちだとか熱量もものすごい、そしてそれを下支えするスキルが何よりも途方もない。演奏技術、ラップのスキル、ステージの振る舞い、魅せ方。その一つ一つが凄まじいレベルで繰り広げられて、しかもそのどの瞬間を切り取っても楽しそうなのだ。



なんだか、私には、その時間が必要なんだと思う。繰り返し繰り返し、思い出して思い出すたびに、思っている。あれがいる。
言葉だとか考えだとか清濁とかその他諸々言葉にすれば途端にそれっぽいに追い付かされてしまうものがある。
だけど、あの日の2組の作り上げ、魅せてくれる音楽はそういうところじゃなくて、もっと特別なところにあったと思う。




言葉じゃ、届かない、表現しきれないことがいくらでもある。言葉だと過不足が生まれて、苦しくなることがたくさんある。


それでも言葉で受け取って、受け取ったものをなんとかこねくりまわしそうになる私は、ある意味すげー矛盾してるかもしれないけど。




でもやっぱり、いくらだって「言葉にできない」はあると思うのだ。
そしてそれを「音楽をする」彼らが伝えてくれる。何かを表現すること。その危うくて苦しくて最高に楽しいこと。分かり合えて、でもきっと、同じにはならないこと。




受け取ったって言っていいのだろうか。理解ったって言っていいだろうか。どっちもしっくりこなくて、でも、あの場も時間もすごく好きで幸せで、だとしたらせめて大切だと呼びたい。大切だったのだと言葉にしたい。





踊り笑い、ほんの僅かなズレを柔らかく、格好良く内包してくれるあの空間のことをずっとずっと、思い出している。
ただただ、あの音楽があって良かった。この音楽を届けてくれる人たちが自分の生活のなか、いてくれて、本当に本当に、良かったと思う。