えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

石子と羽男 -そんなコトで訴えます?-

石子と羽男、面白かったな。



観たいドラマが立ち並んでわくわくしていた今期、結局ドタバタと生活に追われてそのほとんどが見れなかったなかで、なんとか見切れたのがこの「石子と羽男」だった。


石子と羽男が描いたのは、日常の中に潜む「そんなこと」に苦しむひとがいること、そして、徹底して「助けてと声をあげてほしい」ということだった。



3話の感想でも書いたけど、このドラマが描いたそこにいる人たちが心底愛おしくて、その生活と地続きである今私が生きているこの世界までも、ちょっと愛してしまえるような気持ちになってるからすごい。



例えば、街にたむろする少女たちを助ける回。
終わった直後流れた制作陣のアンナチュラルやMIU404から徹底した「助けてと声をあげる人を助けるひとがいる」という物語は、色んな人に届いて、お守りのようになったと思う。


加えてそんな石子と羽男が単なるヒーロー譚とならなかったのはそんな「助けてと声を上げるひと」を、ただただ生きてきた生活をする人を踏み躙る悪意もしっかりと描いたからじゃないだろうか。

綺麗事ではなく「弱いから悪い」と嗤うひとを、法律という誰かを守るための傘の隙間を縫う悪意を、目を逸らさずに描いた。そしてその上で、それを覆すのは超現象的な奇跡でも、誰か突出した特技を持つ超人でもなく、ひとりひとりの積み重ねた努力や地味な作業であり、なんでもない"普通の人"であり、何より「助けて」と声を上げた人なのだと語りかけ続けた、そんなドラマだから、私はものすごく、このドラマが好きだ。


ヒーロー譚ではある、あるんだけど、そのヒーローは私たちと同じ人であり、被害者自身なのだ。



思えば、羽根岡の一度見たら忘れない能力や石子の思考力・発想力はそれだけ見れば「特別」な気もするけど、ただその能力があるから全てうまくいくわけではなく、その上で足りないところを補い合い、「この人たちとなら最強になれる」と思える人たちと立ち続けるその姿が、私はたぶん、大好きだった。



悪意が積み重なる、生きてることこそ怖くなるこの世界で、無駄じゃない、と繰り返し言ってくれたこのドラマのことを忘れないでいよう。


それから。
羽根岡の家族を単なる毒親、毒家族と描かなかったことも本当に良かったな、と思う。
もちろん、そうではなく、本当に加害性に満ちた親族はいるし、例えその人にどんな事情があれ、許されるべきではない身内の加害だってあるから、難しいけれど。
いや、難しいというか、なんならシンプルに「羽根岡家はそうじゃない」という話でしかないか。
(実際、7話では家族との和解以外の道を描いている)



誰かが特別ではなく、それぞれに生きている場所があり、生活があり、時々それが交わって助けてと言えば助けてくれる人だっている。
それが家族の時もあれば、友人、恋人、弁護士のような専門家、公共の福祉の時だってある。
道は一つではないのだ。
一歩踏み出した石子の明日が、傘を差し出した羽根岡の明日が、一生懸命で不器用な大庭の明日が、晴れていたらいいと思う。



苦しむ誰かに傘を差したいと生きる彼らに、また会えたらいいな。