えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

ハコヅメ 〜たたかう!交番女子〜

最高の「警察ドラマ」に出会った。
ハコヅメは、去年放送されたドラマの中で「気になっていたのに観れなかった」ドラマである。
フォロワーさんがすごく楽しんでるのを観て観ようと思っていたのに機を逃し、総集編で観ようとするも観れず、今回、年末年始のTVerの一挙配信で見ることができた。
TVerさん有難う…。正直一番お世話になってる配信サイトだと思う。これからも推します。



そして、年末から元旦にかけてひたすら夢中になって観てしまった。観れば見るほど、ハコヅメのみんなのことが大好きになり、彼女たちの幸せを願い、毎話毎話、Originary daysが流れるたびに号泣する。
号泣するんだけど、私は約1時間、結構声を上げて爆笑していた。



警察の物語であるハコヅメでは、働く彼女たちの心の声がダダ漏れである。
違反切符を切ったことに文句を言われれば悪態を吐き、点検訓練では笑いを堪え
そんなたくさん笑えるシーンが凄まじく良いテンポで繰り広げられる。
そんなシーンを観ていたら、好きになってしまうのだ、町山警察署のひとびとが。



ドジだけど一生懸命頑張るでもどこかズレてる川合も
格好良くて綺麗ででも理不尽なとこもあったりでも面倒見のいい藤先輩も
サボる才能に満ち溢れててでも実はめちゃくちゃみんなのことちゃんと見てるハコ長も



あげたらキリがないというか、ともかく「全員好き!」でこの人たちをずっと観ていたい、と思った。
張り込みしてたら山ぴょんともじゃぴょんのデートに遭遇するシーンなんてもう、声をあげて笑ってしまった。ひとりで。しかも結構な爆笑で。
そうして油断してけらけらと笑えば、真っ直ぐな彼女たちの想いにノックアウトされる。
その緩急。
かと思えば、のめり込み、息を呑んでいると笑わせてくる。情緒ジェットコースターどころではない。


川合と藤に始まる、そこにいる人の愛おしさ。
それは「ダダ漏れ」だったからかもしれない。
警察モノ、なんだけど、それは「憧れの職業」あるいは「正義の味方」ではなく、「単なる仕事」であり、彼女たちだって普通の市井の人なのだ、と気付かせてくれる。
それは、MIU404のときにも描かれていた視点な気がするし(すぐ好きドラマの話してごめんなさいね)そういうのが、なんか、良いよなあと思うのだ。



"仕事の話"がしにくい。
そんなことを時々考える。
単に愚痴るだけならまだ良いのかもしれないけど、仕事への熱意は口にしにくいご時世だし、もし仕事への熱意を口にすれば今度は愚痴が言いにくくなる。そんな気がする。
仕事、という生活の中の一部であるはずのそれがなんとなく過剰に悪いモノ、良いモノ、になってしまう気がしてなんとなく、私は時々扱い辛いのだ。
だったら雑に「働きたくないよねえ」なんて合わせたら話は早いのかもしれないけど、私は、そんなこともないのだ。
かと言って、仕事だけに私の人生を明け渡す気もないけど。


そんなことを考える私は、ハコヅメの彼女たちに「そうだよね」と勝手な共感をしていた。
仕事を誇る気持ちもある。だけど「聖職」と言われる息苦しさもある。
(私の仕事は聖職と言われることがある類のものではない。ないけど、印象だけで"この仕事をやってるやつはこういう奴"と言われることはあるので、どうしたって"イメージ"で語られる仕事に反応してしまう)


だけど、働いてるのは「しょうもない人間」で普通の人なのだ。
それを他ならぬ「警察ドラマ」で見れたことが嬉しい。
仕事に真摯ででも悪態も吐いて、そうしながら生きる彼女たちがこんなに愛おしかったことが本当に本当に嬉しい。



どうせ来るならクソ野郎。
それは藤先輩が違反切符を切ったあと、小声で呟いていた言葉だ。
私は最初「来る"のは"じゃないのか」と思った。聞き間違えかな、と確認したが、やっぱり「来るなら」と言っていた。
どういうことだろう、と考えながらドラマを9話全て観て、なんとなく思う。
そりゃ、来るなら、クソ野郎がいいな。
犯罪を犯したならクソ野郎だろうと言ってしまえばそうかもしれないけど、そんなつもりじゃなくて間違えてしまったひと、あるいは被害にあった人が来ることもある。
そんな胸が潰れそうになる現状と向き合いながら、ハコヅメの人たちは働いているのだ。
交通事故の回、川合の感覚が正常だと言い切った先輩たちは割り切りながらも傷付かないわけじゃないだろう。だからこそ、あんなに真剣に働いているのだ。



だとしたら、どうせ来るなら、クソ野郎であれ、と思う。



それこそ、刑事ドラマであるような爽快な逮捕劇なんてもしかしたら滅多にないのかもしれない。分かりやすい善悪も、勧善懲悪もない現実の世界で彼女たちは働いているんだから。



最後に藤と川合の話がしたい。
藤と川合の最強ペアを好きになればなるほど、時折入る不穏なナレに怯えていた。そんな日はくるな!と本気で思った。バディものには仲違いは鉄板というのはわかっているけど、心底嫌だった。

「川合は囮なんじゃないか」


そんな山田の言葉になぜか私が猛烈に腹が立った。
だって、ハコ長の言う通り、そんなふうには見えなかったのだ。全く、これっぽっちも。
そうして、そこから明かされる彼女たちの物語を見て思う。
スタートは代わり、だとして。利用していたとして。
それでも、一緒に過ごしていった時間は藤と川合の時間である。彼女たちだけの物語だ。
物語で「代わり」の話を見るたびに思う。
代わりを見つけても良いじゃないか。どうせ、代わりにはなれない。きっと新しい関係がそこに一つ生まれて、もしその相手を愛おしく思えたならそのひとの人生にまたひとつ、大切が増えるだけなのだ。
川合と藤の、そして藤とさくらの関係は紛れもなく愛なんだな、とmiletさんの曲を噛み締めながら思った。
ただこのひとが幸せでありますように、と願うそんな優しくてささやかな祈りを愛と呼ばずになんて呼ぶんだろう。


降り積もる時間の中で彼女たちの関係は変化していく。いや、変化はしていないかもしれない。たくさん色が加わっていく。
そしてそれは「何をしてても藤さんに教えてもらったことを思い出す」ということだ。
生きていくことのなかで起こるそんな優しい奇跡を噛み締めながら、笑って泣いて働く彼女たちを愛おしく思う。
願わくばまた、どこかで町山警察署のみんなに会えますように。



ああ、今年も面白いドラマにたくさん出逢えるんだろうな。めちゃくちゃ楽しみだ。
どうぞ今年もよろしくお願いします。


Ordinary days

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