えす、えぬ、てぃ

好きなものの話をしよう

せんきゅー2021

今年実は、家を買った。
清水寺の舞台から完全に飛び降りてる。なんなら飛び降りて複雑骨折してる気すらする。



それでも、もしもの時、何かを家族に残せると思うとめちゃくちゃに安心したし、何より部屋に初めて愛着がわいた。
ここに帰ってくるのだ、と思える場所がひとつできたことはかなり私の中で大きかった。



周りに驚かれ、思い切ったね、と言われるたび「いつ死ぬかわからないからね」と返してきたしそう言うたび「まだそんな歳じゃないでしょ」と返される。その時、なんだかもったりとした違和感があった。悪気がないことも分かってるし、私が健康にまだまだ生きていくと思って「願って」くれているからだ、というのはもちろん分かっているんだけど。
今年の1月放送された「俺の家の話」を観た時、だよなー?!と叫んだ。
その物語を観ながら「順番」なんてものはありはしないのだとじくじくする痛みとともになんだか妙な清々しさと嬉しさを持って私は最終回を飲み込んだ。
それは残酷だけど、どこかほっとする事実だった。順番なんてものはない、いつ何が起こるかなんてずっと分からないし、物語はハッピーエンドとは限らない。



ところで、私は自分のテリトリーに他人がいるのがあまり好きでは無い。
団体に属するのが苦手な上にテリトリー意識が人一倍強くてその上部屋の片付けが苦手だからますます人を家に呼ばなくなる。
しかし、今回、家に人を呼んでいる。呼びまくっている(当社比)といっても過言では無いし、なるべくこんな生活が続くといいなあと思ってもいる。


自分のテリトリーにひとりぼっちという時間を去年から今年の夏まで過ごしながらその楽さと自暴自棄を噛み締めて楽しんいた。気楽で居心地が良く、有り体にいえば幸せだった。
そして離れてしまった分、自分がどれくらい色んな人に愛され、大切にされてるかの実感もしっかり手元にあった。
自分を労わらなくていい、大切にしていなくても誰かを傷付けるわけじゃないという身勝手な気楽さを謳歌しつつ、でも、それもわざと視野狭くして楽しようとしてるだけだろ、と思った。思える幸せが、私にはあった。
「つくさんは幸せでいいですね」なんてわざわざ言われるまでもなく、本当に、身にあまるような恵まれた環境に私はいる。



「こんなに幸せになるはずじゃなかった」

不安症はもしかしたらそこからくるのかもしれない。こんな幸せが手元にあることが私はいつまでたってもなれないのだ。



文を書きたいんだ、と今年の年始に気付き、

思いつくまま書きたい時に書きたい文を書いてきた。今年はこの記事を入れるとブログだけで78本書いたらしい。
そうやってコツコツなにかを続けたら何かマシになるかと思ったけど、なったかといえばなったし、ならなかったといえばならなかった。



愛されてるなー!と思って、そんなとき観たコントが始まるというドラマで出会った台詞に私は大きく大きく頷いた。


長くなるけど、引用したい。

こんな仕事じゃ格好悪いとか
こんな金じゃ満足できないとか
一歩も動けなくなる。
まあだから……周りの大切な人を満足させてみようって切り替えた。
もしかしたら周りを満足させる生き方をできた時、
初めて本当の意味で自分を満足させられるような気がしてるんだよ。


頷いて、そうか、と思った。


今年のブログを振り返るとずっと「寂しいということ」を書いていた気がする。そして、他人との関わりについてずっと考えていた。


ブログをひたすら書いたこと。
たくさんドラマを観たこと。
ラジオごっこを始めたこと。



コントが始まるの兄の話、何をすれば幸せにできるのかと考えていたら、自分の顔がわからなくなった。
まだ本当は分かってない。分かる日がくるのか、どうしたらいいのか、分からないんですけど。
でも、なんというか年末マジックか、まあ、良かったんじゃないか、と思っている。もとより、答えなんて死ぬまで出ないと去年だって私は書いていた。
そして、年始の文を書くのだと決めた私も。

なんか、どこを切り取っても楽しいな、でいたいのだ。

何度ものたうち回った今年、書き残した文章がその時々、見ていたこと・聴いていたこと・考えていたことを教えてくれる。
それを振り返って私は、なんだ、楽しそうじゃんと思った。泥だらけでみっともなくても、ずっと、楽しそうに自分がやりたいように生きている。



今年一年、お付き合いいただいた皆様、お読みいただきありがとうございました。
ここに書いた文章が、誰かのためになることが私は全くいまだに想像もできないし、そうなるように整えることもできませんが、来年も、また同じように書ける限り、書き続けたいと思います。