会って話せたらいいのに。
考えても仕方ないのにそう思う。今期のドラマは本当にどれも「他人と私」を描くのがとても丁寧で、だからこそそれを羨ましく、眩しく感じるたびに思う。
会って話せたら、きっと。
目を見て、あるいはその人の呼吸を感じたりしながらなら、きっと寂しくない。実際そんなわけもないし、今とは違う寂しさがくるだけだと知っているけど、それでもむしろ知っているからこそ、ならその寂しさが今は恋しいと思う。
三人の元夫。
そんな印象的な言葉が、タイトルに入っていた。坂元裕二作品に、今期が始まる前、Tverで配信された過去作を観たことをきっかけに惹かれた私は、やはり、この『大豆田とわ子と三人の元夫』を楽しみにしていた。
さて、私はもともと、坂元裕二作品に対して面倒なコンプレックスを拗らせてしまってるタイプだ。
この『大豆田とわ子と三人の元夫』そして『コントが始まる』を観て、「"いま""私の目で"ちゃんとこの作品を観たいぞ…!」と震えながら行った『花束みたいな恋をした』の感想ではそんなコンプレックスを爆発させたりもした。
しかし、私は、そんなコンプレックスに焦がれることも含めて、坂元裕二作品が好きなのだ。
私がどうあがいてもなれない姿を羨ましく、愛おしく思いながら、とても綺麗で素敵だと思う。どこか、浮世離れしてるようにも思うし、生々しい生活を感じることもある。
いやむしろそんな生活を感じるのに浮世離れしていることが、羨ましいのかもしれない。
このドラマは、毎話冒頭、ナレーションによって「今週こんなことがあった」と始まる前にハイライト的に紹介が入る。
そのせいか、出来事それぞれの印象が強く、
私としては一連の大きな流れのような物語というよりか、"大豆田とわ子"という人の日常を垣間見ていたような感覚がある。
つまり、何か大きな起承転結というよりかは断片的な思い出のように感じるし、その中で人間関係が動いて、というより、
とわ子と○○さん、の瞬間瞬間があっただけだ。
だからこのブログでの文と大きく矛盾するけれど、
心を揺り動かされるというより、友人の話を淡々と聴いてる、そんなこの3ヶ月だった。
もちろん、その中でも印象的に残った言葉もあるし、感動したことも、嬉しくなったこともあるけれど、
やっぱりそれは「物語」への感覚というよりかは、友人からの又聞き、のような感覚が私の中ではしっくりくる。
そんなわけで、先週まで私はきっと、このドラマについてブログは書かないだろうと思っていた。
感想はあれこれとツイートしていたけれど、
このブログに書くような「私とドラマ」の楽しみ方とは違っていたし、
私がこのドラマの中で何を思ったか、というのは少し、違ったのだ。
それに最初に書いたとおり、私は坂元裕二作品に対してコンプレックスを抱いている。それはどうあっても「こうなれない」と作品やそこにいる人物たちに感じているからだ。
こうなれない、というとちょっと語弊があるか。
どこか、違う世界のお話として楽しんでるからという方がしっくりくる。
だから異国のお話としてのワクワク感こそあれど、自分の中の変容というのはちょっと違うのだ。
ところが、6月15日放送された最終回。
観終わって、言葉にしたくなってしまった。
それは、翻って私とドラマ、「私と大豆田とわ子と三人の元夫」という世界の見え方に変わったからでは無い。
相変わらず、この物語はどこか異国のようにも思える。だけど、そこにいるのは、同じ人だ。
そうなんだよ、なんか、勝手に線を引くみたいに異国のお話なんて表現しちゃったけど、そうだよ、どうあっても、どこまでいっても同じ人だよ。
思想だとか行動原理が違おうが使う表現が違おうが、そうじゃん。
そんな風にぐりんと目がひっくり返った瞬間がいつだったのか、私には自信がない。
マーちゃんのシーンだったのか、それともお父さんのシーンだったのか。あるいは、三人の元夫のシーンなのか。その全てなような気もしている。
人はひとにラベリングしながら生活している。友達、家族、恋人、同僚。
しかし、もしかしたら、そんなラベリングはなくてもいいのかもしれない。
そんなことを思った。
網戸をなおすのは「夫」かと思ったらそうじゃなかった。
そして、TLを大きく揺るがした"マーちゃん"だってそうだ。
思い込み、あるいは時代で「浮気をしているとしたら、男性」と思ったこと。
恋人、ではなかったこと。
それはまず前提として時代だとかの価値観もあったんだと思う。なんなら、今ですら「男性だ」と思い込んでいた自身の視野の狭さに呻いたりした。
だけど、それだけではなく。単に、恋人、という枠にふたりはお互いをおいただろうか、とも思う。
なんか、私はそう思いたいのだ。
ラベリングから外れた相手だったり、ラベリングする気がない相手だったりそういう人たちが。ただ相手の名前と自分の名前だけがある間柄で、でも君が大切なんだよ、幸せになってほしいし、笑ってて欲しいんだよ、と思うこと。
それは、なんだか、とても好きなものの気がするのだ。
そして、よくよく考えると、大豆田とわ子をはじめとするあの作品に出てくる人たちは、私にとってそんな人たちな気がする。
なかなか人に会えない今、毎週賑やかになのに淡々と色んな出来事を話して聞かせてくれた人たちのことを思う。
うん、そうだな。私は、君たちがとても好きなんだよ。